Quantcast
Channel: ちとちのなとちのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

5月2日は「えんぴつ記念日」。江東区「木場公園」などで晩春から初夏の移ろいを感じるばかり。

$
0
0

□ 5/2(日)の未明

月齢19.7 二十日夜「宵月」。
20210502--04:29 (正中の3分前、日の出の18分前)
南の天空



**


今日5/2(日)の午前中、墨田区の「清澄公園」~江東区「木場公園」をサイクリングした。

□ 台東区寿2-10

ニオイバンマツリ(別名ブルンフェルシア)

 

 

□「区立済美(さいび)公園」(寿1-4-4)

ベニバナトチノキ

鳥が翔ぶ



□ 蔵前4-30

カシワバアジサイ


カラー(別名カラーリリー/オランダカイウ)

 

 

*


□ 墨田区緑3-5

タチアオイ

 

 

□「都立墨田工業高校」(墨田区森下5-1-7)

カルミア




*


□ 江東区白河2-22~白河1-5

ヤマボウシ


キリノキの花


 

*


□ 依然として休園が続く「都立清澄庭園」(江東区清澄3-3)

庭園周辺の花壇
シロバナシラン、スブレーギク



□ 隣接の開放型「都立清澄公園」(清澄2-2)

タニウツギ




ザクロ



□ 仙台堀川==「清川橋」(清澄1/2~江東区佐賀2)

アキニレの新緑


 

*


□ 江東区冬木5

キンレンカ(別名ノウゼンハレン/ナスタチウム)



□  平久川(へいきゅうがわ、別名平久運河)==「鶴歩橋」(かくほばし、冬木~江東区木場3)
名称の由来は、旧平富町と旧久右衛門町との間の牡丹町通りに在った。




カワセミだ!!と興奮して撮った。

帰宅して調べたところイソヒヨドリというカワセミ似の美しい鳥だった。

  

  

 

対岸へ移動

ビックリマーク今日の一枚!!




クラゲ(先日、旧中川で見た)




*


■「都立木場公園」(三好4~平野4~木場4/5にまたがる)


北から南へ
三好4丁目・・・東京都現代美術館
平野4丁目・・・サービスセンター、テニスコート、イベント広場、多目的広場、野外ステージ、ジャブジャブ池、北の冒険広場
木場4丁目・・・都市緑化植物園、ふれあい広場、イベント池、ミドリアム、噴水広場、南の冒険広場
木場5丁目・・・駐輪場


□ 噴水広場下の花壇

オダマキ各種
全景

橙色

赤紫色

青色

白色

黄色



□「都市緑化植物園

エゴノキ


ハイビスカス


アズマシャクナゲ



シャクヤク



キショウブ


ルビナス


スイセンノウ(別名フランネルソウ/ビロードソウ)


ムギセンノウ(別名ムギナデシコ)


アネモネ


ネモフィラ、ガーベラ


チャイブ(別名セイヨウアサツキ/エゾネギ)


スプレーギク


モモイロタンポポ(別名センボンタンポポ)



*


□ 仙台堀川==「木更木橋」(平野2~江東区深川2)

ベニバナトチノキ



◇----------------------------------------------------------


■ 5月2日は「えんぴつ記念日」


14世紀のルネッサンス期になって、オランダの画家ヤソファソオイックは鉛筆風の道具で製図したと伝えられている。同じ頃のイタリアでも、現存しているミケランジェロのスケッチ画などから、鉛と錫(すず)を混合した芯を木軸に装着した鉛筆が作られていたことが分かる。

1565年、イギリスで黒鉛の結晶を発見し、これを棒状にして板に嵌(は)め込むという簡単なものに過ぎなかったが、最初の鉛筆の製造が始まった。
同時代の16世紀、ドイツでは黒鉛の粉末と硫黄を混合する技術を持ち、品質ではイギリスの鉛筆を凌(しの)いでいたと言われている。

1760年、今日の世界で有名なドイツの鉛筆会社の一つ「A.W.ファーバー社」(後の「A.W.ファーバーカステル社」)の先祖カスパー・ファーバーがニュールンベルグ近郊のシュタイン村に工場を建設し、翌1761年から鉛筆の製造を開始した。



一方、日本では江戸時代初期、オランダ人によって徳川家康に献上された鉛筆が、現在も静岡県・久能山東照宮博物館に保存されている。

1878年、眞崎仁六(まさき・にろく)はパリ万博でチェコの「コヒノール(Koh-i-Noor Hardtmuth)社」製の鉛筆を初めて見て感動し、1886年5月2日、「眞崎鉛筆製造所」(新宿区内藤町、後の「三菱鉛筆」品川区東大井) を創立し、翌1887年、水車を動力とした工場を建て日本初の鉛筆の工場生産が始まった。

1949年、印刷付き鉛筆は日本の「トンボ鉛筆」が最初に製造した。


□ 日本の鉛筆製造会社

私がよく使った頃(1954~1970年代)の鉛筆ブランドには、トンボ鉛筆、三菱鉛筆、コーリン鉛筆があったが、
「日本鉛筆工業協同組合」(荒川区西日暮里2-30-6) の歴史をチェックしてみると、その他にも太陽鉛筆、キリン鉛筆、ホームラン鉛筆、東京小林鉛筆、アイボール鉛筆、などがあったようだ。
トンボ鉛筆と三菱鉛筆は永く事業を推進して来ているが、コーリン鉛筆は、ブランドマークの"三角顔"を右向きから左向きに変更した1982年辺りから不調となって、1997年に倒産してしまった。2009年に色鉛筆事業に絞って、念願の再スタートを果たしている。


▽ 三菱鉛筆

1887年、眞崎仁六が「眞崎鉛筆製造所」(東京市四谷区内藤新宿)を創業。
1903年、「三菱」ブランドを登録。
1918年、「大和鉛筆(株)」(横浜市神奈川町)の誕生。
1925年、「眞崎鉛筆製造所」と「大和鉛筆(株)」が合併し「眞崎大和鉛筆(株)」(横浜市神奈川町) を設立。
1952年、社名を「眞崎大和鉛筆(株)」から「三菱鉛筆(株)」に改称、社名と商品名との統一を図る。
1958年、高級鉛筆「ユニ」を発売。


▽ トンボ鉛筆

1913年、小川春之助が「小川春之助商店」[東京市浅草区瓦町(後に東京都台東区柳橋)] を開業し、「トンボ鉛筆」創立となる。
1927年、「トンボ印」を商品マーク(ブランド)に採用。
1939年、個人経営だった「小川春之助商店」を改め製販2社の法人を創設。営業部門は「トンボ鉛筆商事(株)」、製造部門は「(株)トンボ鉛筆製作所」とした。
1952年、国内最高級鉛筆「HOMO」を完成、発売。
1954年、事業の拡張に伴ない本社を台東区柳橋より中央区日本橋人形町に移転。
1968年、本店(現・本社)を北区豊島に移転。


▽ コーリン鉛筆

1916年、「赤木廣八商店」(東京市神田区東神田)を創業。
1932年、工場を東京市足立区に移転。
1947年、社名を「コーリン鉛筆(株)」に改称。
1982年、本社を東京都葛飾区に、工場を茨城県水海道市に移転、CI変更("三角顔"のブランドマークが右向きから左向きに変更)。
1997年、倒産。
2009年、「(株)コーリン色鉛筆」として再生。



**


□ お題「えんぴつで絵を描いたことある?」

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 

小中学校では、鉛筆・クレヨン・クレパス・絵具で絵を描いたが、高校では素描(デッサン)用の木炭・コンテが加わった。
しかしサラリーマン期(1971年)以降では久しく絵らしい絵を描いてはいない。
また、リタイアの折り(2009年)に老後は絵を描くことが過ぎったものの、実行に移せないままだ。

 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

Trending Articles