■ 3月10日は「砂糖の日」
「さ(3)とう(10)」と読む語呂合わせから、砂糖の優れた栄養価などを見直す日として制定した。
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□ 語源
▽ 英語「sugar」の語源
サンスクリット語「sakara」(砂利/砂、砂糖の意)
ペルシャ語「shakar」
アラビア語「sukkar」
古フランス語「sucre」
ロシア語「sakhar」
ラテン語(イタリック語派ラテン人の語)「succarum」「zuccarum」
古イタリア語「zucchero」
古高ドイツ語「zucura」
ドイツ語「Zucker」
スペイン語「azucar」
ポーランド語「cukier」
▽ 日本語「砂糖」 (サトウ、satou)」の語源
中国語「砂糖」(シァータァン、shātáng)
朝鮮語「설탕」(ソルタン、seoltang、雪糖)
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□ 砂糖の歴史
白砂糖の主成分はスクロース[Sucrose, 蔗糖(しょとう、= ブドウ糖 + 果糖)]。サトウキビやテンサイを原料として精製される。
▽ テンサイ(別名サトウダイコン、英語sugarbeet)の原産地は地中海沿岸。
歴史は略す。
▽ サトウキビ(英語sugarcane)
1万7千年前、南太平洋パプアニューギニア)の原産地。
⇒東南アジア(インドネシア)
⇒東インド [マガダ国(紀元前1200~322年)]・・・2,500年前(紀元前4世紀後半)、搾り汁を煮詰めて甘味料(濃縮・糖蜜など)を作る製造方法を発明(技術開発)。第二の原産地。
中国古代・唐朝第2代皇帝の太宗(李世民、在任626~649年)は、砂糖の製造技術を学ばせるため、東インドのベンガルに職人を派遣した。
日本に伝来したのは唐朝の律宗帰化僧・鑑真が753年に黒糖の形で持ち込んだ。
▽ ハチミツ(英語honey)
欧州のイギリスなどの甘味料は16世紀までハチミツだった。砂糖が本格伝来したのは15世紀以降。
新大陸の発見
⇒植民地時代の1530年代からオランダ領のブラジル北東部(ノルデステ)における奴隷による砂糖生産
⇒最初の大生産地となったのはポルトガル領のブラジル北東部(ノルデステ)
⇒1650年代からカリブ海域のイギリス領やフランス領に移民
⇒スペイン領のキューバで大規模な砂糖プランテーションが相次いで開発された。
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□ お題「甘い物、好き?嫌い?」
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基本は辛党ですが、甘い物ではチョコレート、偶には粒餡(つぶあん)のあんパン/大福餅/チーズケーキなど。
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■ 3月10日は「ミントの日」
「ミ(3)ント(10)」と読む語呂合わせから、菓子類やアイスクリームなどを販売している「カネボウフーズ(株)」(現「クラシエフーズ(株)」、港区海岸3-20-20) が2000年に制定した。
「ミント」(mint)は、シソ科ハッカ属/ミント属/メンタ属の総称。
□「スペアミント」系 (学名「Mentha spicata L. syn. M. viridis」、英名「Spearmint」、和名「ミドリハッカ」「オランダハッカ」「チリメンハッカ」)
北半球に広く分布している。シソ科ハッカ属スペアモント種の多年草、ハーブの一種。
香りが比較的弱く甘い香りがあり、古くからハーブとして用いられている。日本には江戸時代に「オランダハッカ」が渡来した。
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□「ペパーミント」系(学名「Mentha x piperita L.」、英名「Peppermint」、和名「セイヨウハッカ」「コショウハッカ」)
原産地はヨーロッパ大陸。シソ科ハッカ属ペパーミント種の多年草、ハーブの一種。
ミントの元祖と言われる「ウォーターミント」(学名「Mentha aquatica」、英名「water mint」) と「スペアミント」の交雑種。
香りが強くメントールの含有量も多い。東アジア原産の「ニホンハッカ」もここに含まれる。
▽「ニホンハッカ」(学名「Mentha canadensis var. piperascens」、通称「ハッカ」「和ハッカ」、英名「Japanese peppermint」)。
アジア東部の原産で日本全国に分布し、やや湿気がある草地に自生する多年草。
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今日「東京都平和の日 (東京大空襲記念日)」の3/10(水)午前中---
歯科定期検診に訪れたところ主治医さんから、歯科治療を放置したり(ウイルスの侵入を助長したり)発熱したりしていると「新型コロナ感染症」治療でハンディを負っていると言う。
高額なインプラントを避けて自前の歯を大切に活かそうとする良心的な診療を維持することが難しくなっていると言われた。
検診後、近場の横網(よこあみ)界隈へと散策した。
馬道通り⇒江戸通り(水戸街道)⇒春日通り⇒ 隅田川=厩橋(うまやばし) ⇒「横網町公園」「旧安田庭園」
⇒清澄通り⇒国技館通り⇒「両国国技館」⇒ 隅田川=蔵前橋 ⇒御蔵前通り⇒浅草通り。
サイクリング6.6km & ウォーキング2,300歩。
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周辺広域マップ
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■「都立横網町公園」(横網町2-3)
元陸軍被服廠跡地を東京市が買い受けて1923年、「横網町公園」として日本庭園などの造営整備に着手した時、図らずも「関東大震災」が発生し東京市の遭難死者は58千人に上った。東京市は犠牲者の霊を追悼し、被服廠跡地に「震災記念堂」を建設し、附属施設として「東京都復興記念館」を建設した。
□「日本庭園」
□「両国国技館」(横網1-3-28)
1833年から「浄土宗回向院」(現・墨田区両国2-8-10) で相撲興行を催して来たことから、1909年、「旧蔵前国技館」(現・台東区蔵前2-1-1) が同境内に建設された。明治30年代(1897~1906年)になって常設館建設の動きとなり、日本初のドーム型鉄骨板張の洋風建築の建物(屋根は法隆寺金堂を真似、約13千人を収容できた。その後、日本大学が日本相撲協会から買収している。

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□「東京都下水道局/北部下水道事務所 蔵前水の館」(台東区蔵前2-1-8)・・・「コロナ禍」で見学中止中。