<追記>
このブログを投稿している最中に、大きな地震が襲った。
直ぐテレビを点け、福島沖の震度6強(M7.3)と知った。
東京の私でも驚いて、寝込みの妻を起こしたんですから、さぞ、東北の皆さんは恐ろしかったでしょう。
2011/03/11。あれから丁度10年経過した。
されど未だに復興は遅々としたものだ。
森、石原~猪瀬、安倍の政治家各氏は、復興よりも五輪に巨額の資金と労力を費やした。
15,899人の御霊が天から地から、呻(うめ)いておられるように思えてならない。
■ 2月13日は「苗字(名字)制定記念日」
江戸時代は苗字を使っていたのは公家(貴族⇒華族)と武家(武士⇒士族)だけだったが、明治維新の1870年9月19日、新政府の太政官布告として平民(農民・町人)が苗字を名乗ることを許可する「平民苗字許可令」が出された。
しかし、読み書きが不得手の人が多く、また、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか広まらなかった。
そこで1875年2月13日、前年1874年の「佐賀の乱」を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と苗字を名乗ることを義務づける太政官布告として「平民苗字必称義務令」が出された。
これにより、今まで不要だった苗字が義務化されたことに困ってしまった人々は、村役人の名主(関西では庄屋)やお寺の住職などに付けてもらったり、集落で同じ苗字を付けたりしたそうだ。
尚、太平洋戦争敗戦後の1947年5月3日、「法の下の平等」を定めた日本国憲法第14条の規定に基づき、華族・士族・平民の族称は廃止された。
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□ お題「憧れる苗字は?」
特にありませんが、素早く索引できる「五十音順(あいうえお順)」の先頭で、しかも画数が少ない・・・阿井さんや相井さん辺りかな?
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今日は穏やかで晴れ上がっていたので、市街地には人出が比較的多かった(密だった)。
昨日に続いて、近場をサイクリングしながら「オブジェ」を撮影した。
■ 「オブジェ」PartⅡ
□ 雷門通り
「炭火焼肉 平城苑」(台東区雷門1-15-10)

「相撲グッズ 浅草招き屋」(雷門1-16−8)

□ 雷門一之宮通り
「数珠 浅草念珠堂」(雷門2-18−15)

「珍味 中村屋本店」(浅草2-1-1)
白波五人男の南郷力丸

□ 六区ブロードウェイ

「六芸神 因縁」(浅草2-6)
唄神(うたいがみ)…東海林太郎
奏神(かなでがみ)…田谷力三
話神(はなしがみ)…古今亭志ん生
戯神(おどけがみ)…江川マストン
演神(えんじがみ)…榎本健一
踊神(おどりがみ)…水の江瀧子