■ 7月14日は「ゼリーの日」
「ゼリー」※ の原料である「ゼラチン」がフランスの菓子・料理に好んで使われるので、フランスの市民革命が始まった (バスティーユ牢獄を襲撃した) 記念日1789年7月14日に合わせて「ゼラチンの日」とした。
これに因んで日本ゼラチン・コラーゲン工業組合(1964年に設立、中央区日本橋本町2-8-12) が「ゼリーの日」として2005年に制定した。
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「ゼリー」 (英語 jelly) の語源・・・ラテン語 gelare (ゲラーレ、凍らせた)に由来。⇒ フランス語 gelée (ジュレ)、イタリア語 gelato (ジェラート) 。
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□「ゼラチン」 (英語 gelatin) の起源
▽ 接着剤 == 膠(にかわ)
メソポタミア文明の初期、シュメール人によるウルク期(紀元前3500~3100年)。
古代エジプト文明の第18王朝・ファラオ期(紀元前1300年前半頃)。
古代ローマ(紀元前753~紀元後330年)では煮凝り料理も登場。
▽ 墨(すみ) == 膠(にかわ) + 煤(すす)
中国の南北朝時代・魏朝 (紀元後300年頃)に始まり、隋朝 (6世紀頃)には今と殆ど変わらない膠・膠墨を製造していた。
日本の飛鳥時代・推古朝 (593~628年)に伝来。
奈良時代以降は、接着剤や膠墨のみならず織布の仕上げ剤や医薬品(造血剤)などの材料へと普及して行った。
▽ ゼラチン == 動物性タンパク質・コラーゲン
動物の身体を形成する(豚や牛などの家畜、鮭の骨や皮から抽出する)繊維状タンパク質「コラーゲン」は、長時間、水と加熱すると水に溶けるようになり「ゼラチン」となる。
ヨーロッパでは、1700年頃より工業生産が開始され、1800年代に入ると食用の「ゼラチン」が生産された。
日本では、明治時代以降、欧米の食文化の到来とともに動物性の「ゼラチン」として普及した。現在では兵庫県姫路市に製造会社が集中している。
▽ 寒天 == 植物性多糖類・トコロテン
一方、それに先立つ江戸時代(17世紀後半)に山城國・伏見※※ で、植物性の紅藻類(テングサやオゴノリなど)の粘液質を凍結・乾燥させた「寒天」が作られ、和菓子(羊羹やあんみつなど)に広く利用されるようになった。
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寒晒(かんざら)しで凍結したトコロテン「寒天」を、1685年、山城國伏見町(現・京都市伏見区)の旅館・美濃屋が偶然に発見。
それに続いて、摂津國原村(現・大阪府高槻市)の宮田半兵衛が「寒天」の製法を改良して広めた。
「ゼラチン」が動物性のタンパク質であるのに対し、「寒天」は植物性の多糖類である。
私の関連ブログ 髙田郁・原作のNHKドラマ化「銀二貫」(2014/04/29)
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市販の「フルーツゼリー」は、子どもたちと生活していた頃は、よくお目に掛かった。色んなフルーツの味を楽しむミックスゼリー。フルーツ以外には、ミルク・ヨーグルト(ムース)・コーヒー・抹茶などの味、チーズケーキとの組み合わせもある。今は時折、妻が食べていて、勧められたら私も食べる。
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■ NHKハイビジョン特集 「時の旅人 ヘミングウェイ~アメリカに背を向けた男の真実」(改題) を観た。
今回の再放送: 2020/07/13(月) NHKBSP 15:36~16:36
初回放送: 2004/11/02(火) NHKBShi 23:00~00:00 ハイビジョン特集「時の旅人 失われた”父”を求めて 作家・矢作俊彦とヘミングウェー」
旅人: 矢作俊彦(小説家)
アメリカでの少年時代。
第一次大戦中における野戦病院のドライバー時代から、スペイン内乱の戦いを報道した記者時代に至るまでを土台にした、並外れた物語の数々。数々の戦場を駆け抜け、逞しくてハンサムで、何をやってもプロ級だったノーベル賞作家。
釣りと狩猟への情熱と革命前後のキューバへの愛。第二次大戦中に報道記者としてフランスのレジスタンス要員と接触した経験。多くの女性との恋愛。
人生の晩年をキューバで過ごしたヘミングウェイ。旅と釣りと酒を愛した作家の心の軌跡を辿る。
しかしそのタフな外面とは裏腹に、彼は或る欠落感を生涯抱えていたと矢作は言う。それは父親の喪失だった。少年ヘミングウェイの家庭では、厳しい母が主導権を握り、虐(しいた)げられた父は自ら命を絶つ。ヘミングウェイは、その欠落感を埋めるために作品の中で「男らしさ」を描き、実人生でも強い男を演じ続けた。
そしてついには鬱に陥り、自殺に至った晩年。
そんなヘミングウェイの足取りを矢作はアメリカ各地に辿る。それはアメリカの20世紀の中で、父が何を得て何を失って行ったかを探る旅でもある。そして今、アメリカの男たちが求められているものとは?
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□ ベストセラー作家・矢作俊彦が挑む“日本的ハードボイルド”の世界 週プレNEWS 2011/08/17
主人公の心の動きをストレートに表現する“日本的ハードボイルド”に初挑戦した矢作氏。
ハードボイルドを一度ぐらい書いておきたかったんです。昔の日活アクション映画の原作になるような小説をね。
高級外車を狙う窃盗団を捜査する刑事の前で、女はティファニーのショウウインドーに銃を打ち込んだ。10億のダイヤを素通りして10万のイヤリングを盗んだ女は何者か。その姿が脳裏から離れない主人公は、警察組織を離れてひとり女を追う――。
ハードボイルドとは、しっかりゆでられて固まった「固ゆで卵」のこと。卵の黄身のようにドロドロうじうじした心内描写を廃し、物を通して人物の内面を描く手法だ。しかし、ハードボイルドは日本で独特の仕方で発展してきたと矢作俊彦氏は言う。
そんな“日本的ハードボイルド”に、デビュー40年を目前に初挑戦したのが本書『エンジン/ENGINE』だ。
――では、矢作氏の考えるハードボイルドとは?
ハードボイルドの創始者は、ヘミングウェイということになっています。彼の作品で、『心が二つある大きな川』 (or『二つの心臓の大きな川』) という短編がある。主人公は戦争から戻ってきて、故郷の川で釣り糸を垂れながら、小さな頃のことやかつてセックスした女を思い出すのだけど、途中、釣った魚の様子を細かく描きます。鱗がどんなふうに光っているか、どうやって針を抜き、手の中でどのように弱っていくか。
これは、戦争で命の奪い合いをしてきた主人公が、平明な精神状態に戻っていないことを示しています。魚の客観描写で、戦場から戻った彼とアメリカ社会との距離を描いている。
ハードボイルドとは、こんなふうに心内描写をせずに物や登場人物の行動を通して内面を描く文体のことです。でも日本ではそうとらえられていない。「おれ」の心の動きをストレートに書いてしまう。

――そんな日本的ハードボイルドの文体は初めてだと。では今回、主人公をどのような人格に設定しようとしましたか?
人はいつも“地獄の蓋”の上で暮らしていると僕は思っているんです。大きな自然災害があるとはっきりとわかりますが、どんなに強固に見える現実も、ちょっとした出来事で覆る。そんな地獄の蓋が開いて中をのぞくと、その人は非日常を生きるようになるわけです。今回の主人公も、同僚の死と謎の女に遭遇して、そんな“蓋”の中に触れてしまった。だから、自分の命を顧慮せずに行動し続ける。
普段、そんな非日常は隠れています。思うに、それがあらわになるのが祭りでしょう。盆踊りがいい例だけど、祭りとは死者のダンス。この世とあの世がつながって、この世の決まりごとがなくなります。だから、祭りの夜はおおぴらにセックスが行なわれた。
博多の男は、なぜあんなに危険な山笠に参加するのかといえば、そんな姿をカッコいいと思う女がいるからです。股を濡らす女が祭りを支えている。だから男が命懸けになる。セックスと死は結びついています。
――だから今回、女に狂わされて主人公は行動するのですか。
それが王道でしょう。ジャンル小説としてのハードボイルドを一度ぐらい書いておきたかったんです。昔の日活アクション映画の原作になるような小説を。ぼくのデビュー作(『マイク・ハマーへ伝言』)は世間からハードボイルドといわれてますが、あれは“青春小説”で、いわゆるハードボイルドは初めての試みです。
だから、ぜひ多くの人に手に取ってもらいたいですね。
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□ ヘミングウェイに関する私のブログ
懐かしい英読本---ヘミングウェイ『老人と海』、サマーセット・モーム『サミング・アップ』(2008/04/06)
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway, 1899/7/21~1961/7/2, 61歳)
1929年の『武器よさらば』は、彼女との恋愛をモデルにしたものです。遡(さかのぼ)って1921年に、トロントの「スター・ウィークリー」紙の特派員としてパリに駐在し、小説創作活動を開始、彼の短編集は、簡潔文体のハードボイルド小説の原点とされています。そして、『日はまた昇る』の出版が、彼の名声を不動のものにして行きました。行動派の作家として、スペイン内戦や第二次世界大戦にも積極的に関わり、その経験をもとに、『誰がために鐘は鳴る』を出版しました。第二次大戦戦後の1952年、ライフ誌・特別号に掲載された、『老人と海』が高く評価され、ピューリッツァ賞(1953年)とノーベル文学賞(1954年)に輝いています。
しかし、名声とは裏腹に、充たされない情愛、孤立する自分に苦悩し、更に、遠ざかってしまったキューバへのノルタルジアが追い討ちを掛け、晩年は躁鬱症(そううつしょう)に陥り、1961年、ライフル自殺を遂げてしまいました。
孤独なヘミングウェイは猫好きでした。飼っていた猫は足の指が6本ある多指症でしたが、幸運を呼ぶ猫だと信じて可愛がりました。
▽『老人と海』(The Old Man and the Sea, 1952年)
ヘミングウェイは、医師の父の影響を受け、ハンティングとフィッシングが趣味でした。彼は、キューバの首都・ハバナより少し東に行った、漁港・コヒマルの漁師達との会話を素材として、この小説に取り掛かりました。それは、釣りボートが嵐で遭難し掛かった後、その港に辿り着いたという、自らが遭遇した事件があったことから、以後、頻繁にこの港を訪れていたそうです。孤独な老人が、勇猛果敢にカジキと死闘し続けた後、疲れ果てながらも、栄光に満ちたライオンの勇姿に、想いを馳せながら眠りに落ちて行きました。夢は黄昏(たそがれ)の海を駆け巡っています。時は、東西冷戦が日増しに緊迫し、ケネディ大統領によって、大好きなキューバと国交断絶、危機が迫って来ました。ヘミングウェイは安らぎの島から退去せざるを得ませんでした。62歳の誕生日が間近い1961年7月2日、アイダホ州サンバレー近郊のケッチャムの自宅で、彼は、猟銃を口に当てて引き金を引きました。
『老人と海』に、こんな一節がありました。名声と安息のいずれも、どんどん遠ざかって行く日々、、、、負けるな、考え過ぎるな、、、、
It was too good to last, he thought. I wish it had been a dream now and that I had never hooked the fish and was alone in bed on the newspapers. ' But man is not made for defeat ', he said. A man can be destroyed but not defeated.'---------- Now the bad time is coming and I do not even have the harpoon. ------------ Don't think,old man,' he said aloud. ' Sail on this cource and take it when it comes. ' But I must think, he thought. Because it is all I have left.
(あまりに素晴らしいことだったから、長続きしないや、と彼は思った。今となっては、夢だったら良かったのに。あんな魚には全然出会わないで、一人ベッドで新聞紙の上に寝ていた方が良かったのに。「しかし、人間は負けるように造られてはいないんだ。」と彼は言った。「人間は殺されることはあるが、負けることは無い。」 ----------- 今や困難な時が迫っているのに、俺には銛(モリ)さえ無い。----------- 「爺さん、考え事は止めな。」 と彼は声に出して言った。「舟を真っ直ぐ走らせて、そうなったら、その時のことさ。」 だが、俺は考えずにはおれない、と彼は思った。だって、それだけが俺に残っていることだからな。)