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6月22日は「ボウリングの日」。「東京アラート」解除以降の都内風景。

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目 6/12(金)「東京アラート」解除以降の都内風景


▽ 6/15(月)、「アラート発動基準」見直し 全面解除方針を維持

14日には新規感染者が47人と5月5日以来の高水準になったが、検査体制の充実や医療体制の整備を踏まえ新たな判断基準を設ける。感染拡大を抑制しながら経済活動との両立を図る。

新宿区歌舞伎町の繁華街 共同通信=日経新聞報道写真20200614から引用



▽ 6/15(月)、「暑中見舞いの日」に「区立堀切菖蒲園」(葛飾区堀切2-19-1)のハナショウブを観賞

「堀切菖蒲園」のハナショウブ20200615撮影

 


▽ 6/18(木)、都知事選2020が告示され過去最多の22人が立候補。新型コロナ感染収束にメドが立たない中、オンラインや街頭で握手を控えるなど異例の選挙戦がスタートした。

れいわ新選組代表の山本太郎氏(45)は、新宿駅南口近くで第一声を上げ、「新型コロナを災害として認定して、都民の暮らしを底上げする」「あなたが生きていていいんだと、思える東京にしたい」などと訴えた。
新宿駅前 朝日新聞報道写真20200618から引用



▽ 6/19(金)、史上初の無観客 [7/10(金)からは限定観客] で開幕戦がスタートした。空っぽの観客席を彩る応援メッセージが書かれた人型の看板。

神宮球場の開幕 毎日新聞報道写真20200619から引用



▽ 6/20(土)、「ペパーミントデー」に「都立六義園(りくぎえん)」(文京区本駒込6-16-3)でアジサイを観賞

 

「六義園」のアジサイ20200620撮影



▽ 6/21(日)16時過ぎ、京王線調布駅前の商業ビル「パルコ」の植え込みに、巣から落ちたらしいハヤブサ科のチョウゲンボウ(長元坊、学名Falco tinnunculus)の若鳥が発見され警察官が捕獲した。

調布駅前 テレビ朝日ANNニュース映像20200621から引用






■ 6月22日は「ボウリングの日」


1861年6月22日付け「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」紙 (英貿易商A.W.ハンサードが創刊した日本最初の英字新聞) に、長崎市の外国人居留地・大浦で、オランダ人が伝えた、日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」の開設が報じられた。
1952年、日本初の本格民間ボウリング場「東京ボウリングセンター」(東京・港区青山の神宮球場と秩父宮ラグビー場との間)に開業した。男子初のパーフェクトは1957年の岩上太郎。
1970年、スコアをボウラーが計算しなくても済む自動計算機能マシン「オートマティックスコアラー」が実用化。

1966~75年(ピークは70~72年)には、スター・プレイヤーである須田開代子(1938/8/2~95/11/20)・中山律子(1942/10/12~)らの出現によって "ボウリング・ブーム" 到来。
1970年8月21日、中山律子が女子プロボウラー初のパーフェクトゲームを達成。その後、"さわやか律子さん"の愛称で一大旋風を巻き起こした。

1972年、「日本ボウリング場協会」 (略称「BPA」。1965年任意団体⇒1973年社団法人⇒2012年公益社団法人。品川区南品川2-2-10) が、前出の日本初のボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された1861年6月22日に因んで、この日を「ボウリングの日」に制定した。


□ ボウリング(英語 bowling)、ボウリングの球(英語 bowling ball)の語源


ラテン語 bulla [泡・瘤(こぶ)]に由来する。類語としてゲルマン語 ball(球)、bowl(食器・容器)。

紀元前5000年頃の古代エジプトの墓から、木製のボールとピンが発掘されている。元々は、倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことができたならば災いなどから逃れられるという一種の宗教儀式であった。

中世ドイツの宗教改革創始者、マルティン・ルター(Martin Luther、1483~1546年)が、ピンを9本、並べ方を菱形に統一、宗教家の間で近代ボウリング「ナインピンズ・ボウリング」(nine-pin bowling、九柱戯)ルールの原型になり、

17世紀になると、清教徒たちが移住した米大陸でもボウリングが盛んになった。ピンを10本、並べ方を正三角形に変えた、現代ボウリング「テンピンズ・ボウリング」(ten-pin bowling、十柱戯)ルールの原型になったのだ。


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□ お題「ボウリング得意?苦手?」
 

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ビックリマーク 私とボウリングの記憶

私が初めてボウリングを経験したのは大学浪人期(1966年)だった。当時はブームが始まった頃。金沢市内だけでも、香林坊・片町の映画街と同様、武蔵ケ辻~玉川町・専売公社ソバ~尾山神社ソバ~長町の金沢聖霊修道院&病院ソバ~片町・中央通りの間を中心に、金沢スタジアム・金沢スターレーン・片町中央ボール・ジャンボボール・カナザワ寿レーン・エバラ金沢ボウルなどが相次ぎ開設されて行った。
中学の同窓生に熱いヤツがいて「金沢スターレーン」(金沢市尾山町10-5、1965~1975年。現「石川県文教会館」) に入り浸っていたため、私も釣られて予備校や図書館通いの後で立ち寄ったものだった。だが、私は肝心のスコアが上がることはなかった。

社会人となって工場実習で青梅に滞在している間(1971年初夏)のこと。近くのボウリング場 [青梅線小作駅に近い今日の「西東京レーン」(青梅市新町9-1-1、1968年~) だったと思う] に、人気絶頂の中山律子さんが来ると言うので皆が騒いでいた。


1980年代~90年代の会社懇親ボウリング大会は、決まって「田町ハイレーン」(港区芝浦2-12-13、1972~2015年)で開かれたし、その後も仕事の途中の休憩に立ち寄っていた。だが、そこも2015年3月を以って閉館した。

 

 


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