「新型コロナ感染症」緊急経済対策「特別定額給付金」が昨日6/23(火)入金されました。6/1(月)に申請書を郵送しましたので、3週間で振り込まれたことになります。
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■ 6月23日は「慰霊の日」
1945年4月1日、米軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された太平洋戦争沖縄戦が、6月23日、第32軍司令官・牛島満中将が自決した日を以って、組織的戦闘を終結したことに因んで、米国施政権下の琉球政府及び沖縄県が制定した。毎年、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われる。
□ お題「平和に貢献した人物といえば?」
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私が思う平和に貢献した日本人たち
☆ 北条時宗・・・強大な外敵・蒙古・高麗連合軍から奇跡的に日本列島を専守防衛した。
世界的規模のモンゴル帝国(中国元朝)の圧力が高まる中、18歳で鎌倉幕府第8代執権(在職期間1268~84年)となった北条時宗(1251年6月5日~1284年4月20日)は、1274年の来襲(文永の役)、1281年の来襲(弘安の役)という2度に亘って九州博多沖に侵攻した中国元軍と属国・朝鮮高麗軍の連合艦隊(世界最大規模の元寇)との2カ月近くの戦闘で、国運を賭けて抵抗した末に台風の直撃の助け(神風) を借りて撃退し、日本の国難を救った。
産経新聞より引用
☆ 勝海舟&西郷隆盛・・・全国の外国(仏英)代理戦争化が懸念された内乱勃発不安から江戸を救った。
鳥羽・伏見の戦い(1868年1月27~30日) で敗れた15代将軍・徳川慶喜が江戸に遁走すると戊辰戦争の舞台は近畿から関東に移った。甲府城を押さえ東征大総督府を樹立した新政府軍は江戸城に迫って来た。旧幕府vs新政府の戦いはフランス対イギリスの代理戦争になりかねず、交渉を任された江戸幕府陸軍総裁・勝海舟(1823年3月12日~1899年1月19日) は江戸が焦土と化すのを回避すべく、山岡鉄舟の下交渉を経た東征大総督府参謀の薩摩藩士・西郷隆盛(1828年1月23日~1877年9月24日) との交渉は薩摩藩江戸藩邸(田町)において1868年3月13~14日の2回行われ、4月4日には江戸城無血開城が最終合意に達し、11~21日に江戸城無血開城が実現した。
国際子ども図書館より引用
☆ 杉原千畝・・・ヒットラーに迫害されたユダヤ難民を日本の外交官が救命した。
第二次世界大戦中に赴任していた外交官・杉原千畝(ちうね、1900年1月1日~1986年7月31日)は、リトアニア国の在カウナス日本領事館領事代理として赴任中、ナチス・ドイツによって迫害されていたユダヤ人避難民のうちの約6千人に対し、1940年7~8月に外務省からの訓令に反して大量のビザ(日本通過査証)を発給し、彼らの亡命を手助けし、後に "東洋のシンドラー" と呼ばれた。
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/jewish-refugees/jewish-refugees.html より引用
☆ 沖縄住民・・・太平洋戦争で広島・長崎の原爆死とともに日本帝国軍に未曽有の艱難辛苦を強いられ、今尚、本土住民の防衛肩代わり。
米軍は、太平洋戦争末期の1945年3月26日には沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島に、4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。旧日本軍は本土防衛の時間稼ぎとして無益な持久戦を展開して抵抗。約3カ月に亘る地上戦となり9万4,136人の沖縄住民が巻き込まれて戦死した。6月23日には日本軍司令官が自決し組織的戦闘が終わったとされる。
沖縄は戦後27年間も米国の統治下に置かれた後に1972年に本土復帰したが、沖縄県民となった今も尚、米軍専用施設の約7割が集中し米軍関係の不品行な事件・事故が相次ぐなど過重な基地負担が続いている。
朝日新聞より引用