■ 4月5日は「ヘアカットの日」
旧暦・明治5年(1872年)4月5日、当時の東京府が女性の「断髪禁止令」を発布したことに因んだもの。近年、男女平等でない法令に反対した女性たちのための日との思いが込められている。
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明治維新の旧暦・明治4年(1871年)8月9日、「散髪・脱刀勝手たるべし」との旨の「散髪脱刀令」が新政府太政官から発令されており、男性はそれまでの丁髷(ちょんまげ)から散切頭 (ざんぎりあたま、別称・斬髪) にすることが奨励された。
"散切頭を叩いてみれば文明開化の音がする" という流行(はや)り歌が登場した。
この断髪令発布の趣旨を「女子も散髪すべきである」 と誤解して断髪する女性が続出したため、
旧暦・明治5年(1872年)4月5日、当時の東京府が「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」 とする女性の「断髪禁止令」を発布するに至った混乱があった。
一方、明治6年(1873年)3月、敦賀県(現・福井県)で、断髪令に反対し散髪・洋装の撤廃を要求した一揆が3万人規模で発生し、6人が騒乱罪で死刑となった。
☆ 明治新政府要人たちの断髪姿
明治天皇(孝明天皇の第二皇子・祐宮睦仁親王)
岩倉具視(副総裁⇒遣外使節団特命全権大使)
大久保利通(大蔵卿⇒内務卿)
木戸孝允(桂小五郎、文部卿⇒内務卿)
☆ 文明開化期の要人夫人 "鹿鳴館の華" たちの洋装姿
大山捨松(初代陸軍大臣⇒内大臣・大山巌の妻)
陸奥亮子(農商務大臣⇒(条約改正期の)外務大臣・陸奥宗光の妻)
戸田極子(きわこ、副総裁⇒遣外使節団特命全権大使・岩倉具視の三女、オーストリア=ハンガリー全権公使・戸田氏共の妻)
鍋島榮子(ながこ、権大納言・広橋胤保の五女、イタリア公使・鍋島直大の妻)
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□ お題「あなたの髪形のこだわり教えて!」
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髪形に拘(こだわ)りは殆ど無いが、刈り上げないようにはしている。
若い頃を思い出すと、高校生期には、歌謡曲アイドル歌手「御三家」の一人・舟木一夫のヘアスタイル"舟木カット" (※)で、前髪を右に垂らしていたことが拘りだったかな。
(※)「御三家」のヘアスタイルで最も人気が高かったのは、橋幸夫の "潮来刈り"(角刈りの愛称)の方だった。
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一方、私の頭髪は、大学生期から白髪が出始め~結婚後の10年近くまで、妹や妻に抜いてもらっていた。抜くと尚更増えるとの通説にも拘わらず。
30代後半になって抜いても追い付かない位に増えてからは、妻によって散髪時に黒く (7Gの黒褐色に) 染めてもらうようになり30余年にもなった。
しかし、此度の72歳の春、思い立って毛染めを止める気になった。但し、妻は灰色に染めるのをワンステップ挟むことを勧めてくれた。