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歳末の浅草風景part2 神社編 

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昨日12/29(日)の最低気温が2.2℃となり、12/8(日)の記録と同じでした。


■ 歳末12/29(日)に訪れた台東区の神社

 

<柳橋~浅草橋~蔵前方面>

 

出典 Mapionマップ




□ 「篠塚稲荷神社」(旧称「篠塚山玉蔵院宗林寺」、台東区柳橋1-5-1 柳橋篠塚通り) 

創建時期は不詳(1346~70年の正平年間らしい)。新田義貞の家臣・篠塚伊賀守重廣が祈願した稲荷社が「篠塚稲荷」と称されるようになった。

1681年に「篠塚山玉蔵院宗林寺」となったものの、明治維新の神仏分離令により廃寺となり、篠塚稲荷神社が残った。

 



□ 「浅草橋須賀神社」(旧称「祇園祠牛頭天王社」「蔵前牛頭天王」など、浅草橋2-29-16  江戸通り) 昨日は休日。

創建時期は不詳(601年の推古天皇年間らしい)。疫病が流行した折りに郷人らが牛頭天王(ごずてんのう)の祠を創建した。

 


□ 「銀杏岡(いちょうがおか)八幡神社」 (浅草橋1-29-11 江戸通り裏の福井町通り)

創建時期は不詳(1062年の康平年間らしい)。源頼義・義家父子が奥州征伐の折りに戦勝祈願し創建した。

江戸期に福井藩松平家の邸内社となったが、1725年に福井町の産土神となった。

20181227撮影



□ 「第六天榊神社」 (旧称「第六天神宮」、蔵前1-4-3 江戸通り裏)

景行天皇年間の110年、日本武尊が東夷征伐の折りに戦勝祈願し創建した。

1928年、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の跡地に遷座し現在に至る。

 


□ 「蔵前神社」(蔵前3-14-11 蔵前神社通り)

1694年、徳川綱雄氏が「石清水八幡宮」を勧請し創建した。

1947年に隣接の福徳稲荷神社/塩竃神社/北野天満宮などを合祀した。

旧「蔵前国技館」時代の大相撲関連オブジェがある。



「蔵前神社」の家ネコらしい美形。

「呼んだからと言って、ホイホイとカメラの方に向かないよ」。

 


□ 「鳥越神社」(旧称「白鳥明神」、鳥越2-4-1  蔵前橋通り)

白雉年間の651年、日本武尊が東夷征伐の折りに当地・白鳥村に滞在した。その威徳を偲んで村民が奉祀し創建した。

1925年に松平神社を合祀した。

 


□ 「佐竹秋葉神社」(台東4-21 清洲橋通り裏)

1889年、秋田佐竹藩の上屋敷跡地に「秋葉山本宮 秋葉神社」(静岡県浜松市天竜区春野町領家841)を勧請し創建した。

 

 

<松が谷~西浅草~浅草5方面>

 

出典 Mapionマップ

 


□ 「秋葉神社」(旧称「鎮火社」、松が谷3-10-7 左衛門橋通り裏)

1870年、明治天皇の勅命により秋葉原駅構内(千代田区神田花岡町)の地に、火の神火産霊大神/水の神水波能売神/土の神埴山毘売神の三柱を祀神として勧請した。

1888年、日本鉄道(現・東北本線)が上野駅から秋葉原駅まで延長され秋葉原の払い下げに伴って現在地に移転した。1930年に秋葉神社と改称された。

 

出典 wikipedia




□ 「西浅草八幡神社」(西浅草2-14-5 国際通り裏)

1655年の「明暦の大火」により浅草へ遷座した「浄土宗田島山誓願寺」が、「宇佐八幡宮」を勧請して元禄年間の1700年に創建した(神仏習合)。

明治維新の神仏分離令によって「浅草神社」の兼務社となった。



□ 「柴崎日枝神社」(西浅草3-8-1 浅草合羽橋本通り裏)

室町期に現在の丸の内常盤橋付近に在った「天台宗薬王山東光院医王寺」の境内に祀られていた。後に近江の「日吉大社」を勧請した。

慶長年間(1596~1614年)に徳川家康が江戸城を増築した際、小伝馬町へ遷座したが、1655年の「明暦の大火」後に再び「東光院」(西浅草3-11-2)と共に 「日枝神社」は当地へ遷座した。



□ 「浅草富士浅間神社」(通称「浅草のお富士さん」、浅草5-3-2 浅草警察署向かい) 昨日は休日。

創建時期は不詳(1688~1703年の元禄年間らしい)だが、江戸期に盛んとなった「富士講」に伴い建てられた。

1945年の「東京大空襲」で焼失した社殿が1998年に再建され、玉垣が2002年に奉納された。

 


□ 「今戸神社」(別称「今戸八幡」、今戸1-5-22 橋場通り裏) 鳥居

1063年、源頼義・義家父子が奥州征伐の折りに戦勝祈願し「石清水八幡宮」を勧請し創建した。

江戸幕末期、結核を患っていた新選組・沖田総司を診ていた医師・松本良順が今戸神社を仮住まいとしていた。

1923年の「関東大震災」、1945年の「東京大空襲」などに見舞われたが、都度再建された。

現在の社殿は1971年に再建されたもの。1937年に「白山神社」を合祀し「今戸神社」改称された。また現在では「浅草七福神」のひとつ福禄寿、今戸焼の招き猫も祀る。

 

茅の輪




<千束~竜泉方面>

 

出典 Mapionマップ



□ 「鷲神社」(別称「お酉様」、千束3-18-7 国際通り)

古来、この地の「長国寺」には鷲宮が祀られ、日本武尊が東夷征伐の折りに戦勝祈願し、志を遂げて松に武具の「熊手」を掛けて、「鷲大明神」「天日鷲命」(あめのひわしのみこと)を祝った。その日が十一月酉の日であったので「酉の市」が始まり、江戸期には「鳥の社」「御鳥」と呼ばれた。

明治維新の神仏分離令に伴い「長国寺」から独立し「鷲神社」となった。

 


茅の輪

 


□ 「吉原神社」(千束3-20-2 鷲神社/台東病院裏)

和同年間の711年に最も古い「九朗助稲荷社」は和同年間の711年に創建された。

江戸初期の1655年の「明暦の大火」後に建設された「新吉原遊郭」---に祀られていた「玄徳(よしとく)稲荷社」と廓四隅の「榎本/明石/開運/九朗助の四稲荷社」が合祀され「吉原神社」と改称された。

 


□ 「緑苑吉原弁財天本宮」(別称「吉原弁財天奥宮拝殿」、千束3-22-3 鷲神社/台東病院裏)

近くに境内飛び地として弁天池(花園池)跡に奥の院があり、亡くなった遊女を供養している「吉原観音様」や「花吉原名残碑」が建っている。

 

 


□「千束稲荷神社」(竜泉2-19-3)

江戸後期の文化年間1813年に創建され、龍泉寺村の氏神様として信奉されて来た。

樋口一葉の「たけくらべ」の舞台として登場しており、「文学碑」が建てられている。

20181021撮影


 


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