梶よう子「一朝の夢」
区立図書館から借りていたのを読了。
時代小説は久しぶりだ。
私が好きな時代劇は次の通りテレビで観て良かった作品ばかりだが、
本作は違っていて、松本清張賞に惹かれたから(苦笑)。
池波正太郎『鬼平犯科帳』シリーズ (1967~89年)
池波正太郎『雲霧仁左衛門』シリーズ (1974年)
藤沢周平『闇の歯車』(1977年)
宮部みゆき『三島屋変調百物語』シリーズ (2008~18年)
*
文藝春秋社単行本2008年6月、文春文庫2011年10月
第15回(2008年)松本清張賞を受賞。
「主人公らしからぬ男の造形が面白い」(大沢在昌氏)、「小説の骨格がよくできている」(夢枕獏氏) と、選考委員を唸(うな)らせた。
朝顔栽培を生きがいとする北町奉行所同心を主人公とした、作者の優しい目線が光る連作の人情小説集。
主人公の中根興三郎が夢中になっている趣味の朝顔とは、朝顔の変種を生み出し、そうして生まれた新種の朝顔の有り様を競う「変化朝顔」。
「変化朝顔」に関連するブログ
「2013年度 変化朝顔展示会」(日比谷公園)を訪れる (2013-07-31)
遅かったのかい、青い朝顔。。。【続報】サブライズの桃色吐息!!!(2015-09-13)
「文京朝顔・ほおずき市」--「牛天神」「伝通院」「善光寺」そして「源覚寺」を巡る (2017-07-22)
今年も七夕様の「入谷朝顔まつり2018」(2018-07-07)
*
■ 作者の略歴
1961年東京都足立区生まれ。本名: 梶木洋子。
幼い頃から時代劇を好んでいた。学生時代に浮世絵や江戸風俗に興味を持ったことを切っ掛けに、時代小説を読み始める。女子美術短期大学(杉並区和田1丁目)卒。
フリーライターとしてロック系音楽雑誌にインタビューやCDレビューを執筆。小説の執筆を開始する。横浜市在住。
2005年、『い草の花』で第12回九州さが大衆文学賞大賞(笹沢左保賞)を受賞。
2008年、『槿花、一朝の夢』で第15回松本清張賞を受賞。応募時の名義は蘇芳よう子、『一朝の夢』と改題し文藝春秋社単行本 (2011年に文春文庫)、小説家・梶よう子としてデビュー。
2010年、『いろあわせ 摺師安次郎人情噺』(角川時代小説倶楽部単行本、2013年に時代小説文庫)、『迷子石』(講談社単行本、2013年に講談社文庫)
2011年、『柿のへた 御薬園同心水上草介』(集英社単行本、2013年に集英社文庫)、『夢の花、咲く』(文藝春秋社単行本、2014年文春文庫)
2012年、『ふくろう』(講談社単行本、2015年講談社文庫)
2016年、『ヨイ豊』(2015年に講談社単行本、2017年に講談社文庫)で第5回歴史時代作家クラブ作品賞を受賞。第154回直木三十五賞の候補、本屋が選ぶ時代小説大賞2016の候補。
趣味は、斬ったり跳んだりのアクションゲームをすることや、酒を少しずつ呑みながら気に入っている時代劇や映画を観ながら号泣すること。
*
■ キーとなるセンテンス
p97
中根興三郎「朝顔そのものが夢の花だと私は思っています。どんなに美しく咲いても、花は一日で萎(しお)れてしまいます。ツマリ・・・僅花(きんか)、一朝の夢、です」。
宗観「僅花は朝顔のことだな。ふむ、一炊の夢と同じ喩えか」。
(※1) 「僅花一朝の夢」・・・出典は中国唐代の詩人・白居易の『放言』。「槿花一日の栄」(いちじつのえい) 、「一炊(いっすい)の夢」と同義熟語で、栄華が儚(はかな)いという意味。
p102
宗観「お主に一期一会という言葉を贈ろうかの」「再び返らぬ生涯の一時とする。儂(わし)は茶会において、常にその心構えで臨んでおる。お主が、花と対峙するときの心と同じものだな。・・・」。
(※2)「一期一会」・・・出典は安土桃山時代の千利休の高弟だった山上宗二の茶道具秘伝書『山上宗二記』。茶の湯で茶会は毎回、一生に一度だという思いを込めて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた熟語。転じて、一生に一度しかないこと(出会い)であるという意味。
p297
その後『一期一会』の花姿を屋敷内で見ることはなかった。だが興三郎が、あの一朝を譲った先がどこなのか、小太郎にはなんとなく気づいていた。
p298
「どんな朝顔でも出会いはそのとき限りの一期一会。一朝の夢ですよ。植木屋さん」はっと気付いたときには、隠居の姿はもう雑踏の中に飲み込まれていた。まさか、な。
p298
明治二十九年、熊本で中輪咲の黄色花が咲き、大きな話題となったという記録が残されている。だが、その作者は不明である。
*
■ あらすじ
幕末の江戸。
主人公の中根興三郎は、長身(六尺)痩せ形で薄給(三十俵二人扶持)の旗本。三十歳半ばなのに嫁の来てもなく、老いた下男の藤吉との侘(わび)しい日々の暮らし。
両御組姓名掛 (りょうおくみせいめいがかり。奉行所員の名簿作成役 == 与力と同心の姓名帳の編纂や加除記入をする事務方) に過ぎない閑職の北町奉行所同心。
同心と言っても血生臭い事件には縁遠く、朝顔栽培を唯一の生きがいとしているオタク。
或る日、元北町奉行(1843~48年)の旗本で江戸朝顔界の重鎮・鍋島直孝を通じて、宗観と呼ばれる壮年の武家と知り合ったことから、朝顔を介して心和む交流が始まる。
だが時代は急展開を迎え、井伊大老(1858~60年)と水戸徳川家の確執や、尊王攘夷の機運が高まるなど予断を許さない。
また興三郎の同僚・村上伝次郎が、学問塾の過激なグループに入っていた息子を斬殺して出奔するという事件を起こす。
鍋島直孝の屋敷前で絶命していた武家の死体が消えた。一方、町人や商人が四人続けて辻斬りの犠牲になるという事件が起きる。
武家の死体の消失事件や辻斬り事件とも関わり、更には時代の波にも無関係ではいられなくなるのだった。
興三郎は、思いも寄らぬ形で井伊大老を中心とした歴史の転換点に関わって行く・・・。
宗観は実は●●●●だった。
*
■ 登場する江戸の地名
一(節)
御曲輪内(おくるわうち)の北町奉行所(千代田区丸の内1-1 北町奉行所跡)。
八丁堀の屋敷。
王子の商家。
楓川に架かる海賊橋(現・中央区日本橋1-20先/日本橋兜町3先 海運橋跡)。
新右衛門町(現・日本橋3)。日本橋にある質屋の富田屋。
下谷の植木職人。
高輪泉岳寺門前の牛町(現・港区高輪2)より火の手が上がり、日本橋、木挽町の芝居小屋も焼き、浅草周辺までも舐めつくした。
焼け野原になった下谷御徒町。御徒町にあった御徒士組(おかちぐみ)組屋敷(現・台東区台東1/2/3/4~東上野1/2)。
王子の音無川沿いの料理屋扇屋。飛鳥山へ花見。
日本橋の雑穀問屋鈴や。
二
呉服橋ではなく右の堀に架かる錢洗橋(現・千代田区大手町2-6 錢瓶橋跡)。
京橋の飯屋。
三
金龍山浅草寺本堂(観音堂)裏手の奥山で行われている朝顔市。
浅草田圃の色っぽい花。吉原の吉葉花魁(おいらん)。
雷門を出て、広小路を大川のほうへ。
今戸町の料理屋ふじ屋で花合せ。今戸橋(現・台東区今戸1-5-22 山谷堀今戸橋跡)。
御成道沿いの古本屋藤岡屋。
松本一悟の塾が京橋の鈴木町(現・中央区京橋2)。
いなばは日本橋本石町二丁目の路地を入ったところにある小体(こてい)な料理屋。
四
五
本八丁堀の飯屋富田屋。
飯田町 (千代田区飯田橋1/2/3/4~九段北1/九段南1~富士見1/2) から日本橋まで歩くのは辛かった。
源助長屋は本八丁堀。下水路を挟んで、両側に棟割長屋。
北町奉行所から、京橋までは四半刻もかからない。
日本橋通りから、鈴木町への路地。
米公使館のおかれている麻布善福寺(現・港区元麻布1-6-21)、英公使館の東禅寺(現・港区高輪3-16-16)。
武州西新井に行く。
水戸藩駒込下屋敷(現・文京区弥生2-11-16 東京大学浅野キャンパス)での斉昭の謹慎。
六
モチノキ坂(冬青木坂、万年坂・・・現・千代田区九段北1/富士見1) の鍋島家、日本橋に栄太楼という金鍔(きんつば)の美味い菓子屋 (現・中央区日本橋1-2-5 榮太樓總本舗)。
品川の料理屋は夜になると客を取る店。
柳橋あたりを小粋な芸者と歩いていた。
本八丁堀二丁目。
七
一石橋 (現・中央区八重洲1/日本橋本石町1)。
村上家の菩提寺である妙見寺(現・目黒区五本木2-28-17)。
殺害されたのは四人目の麹町に住む医者。
柳橋の料理屋。
眞正寺(現・荒川区南千住1-56-9)。
小石川には水戸藩上屋敷(現・文京区後楽1-6-6 小石川後楽園)。
筋違御門(現・千代田区神田須田町1)。
八
不忍池の弁天島南側。
浅草の黒船町にある榧寺(かやでら、現・台東区蔵前3-22-9)。
柳橋の船宿。
九
池之端の出会茶屋井枡屋。
新宿にいることを突き止め、しばらく箱根に湯治に行っていた。
黒門町の生糸問屋佐倉屋。
外桜田の彦根藩藩邸(上屋敷・・・千代田区永田町1-1-1 国会前庭洋式庭園/衆議院憲政会館。中屋敷・・・千代田区紀尾井町4-1 ホテルニューオータニ)。
十
大名は大手門か桜田門のいずれかから城内へと入る。
彦根藩上屋敷は、半蔵門と桜田門の中間に位置していた。
荏原郡世田谷村にある井伊家の菩提寺、豪徳寺(現・世田谷区豪徳寺2-24-7)。
十一
江戸小伝馬町の牢。