伊坂幸太郎 (著)「ホワイトラビット」
新潮社・単行本2017年9月刊行
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■ 概要
最新書き下ろし長編は、予測不能の籠城ミステリー! 仙台の住宅街で人質立て籠り事件「白兎事件」が発生。宮城県警のSITが出動するも、逃亡不可能な状況下、予想外の要求が炸裂する。
息子への、妻への、娘への、オリオン座への(?)愛が交錯し、事態は思わぬ方向に転がって行く。
かのヴィクトール・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』のように、地の文で作者が時折語り出す。幾度も繰り返し作中に顔を出し、そして物語を動かして行く。
即ち、本作の語り手である"神の視点"、人質立て籠り事件の全てを知る者(作者)が後日談の形で"高み"から見下ろすような語りをしている。
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■ 主な登場人物 <ネタバレご注意>
兎田孝則・・・誘拐ビジネスグループの誘拐係(仕入れ担当)。ボスの稲葉に綿子ちゃんを人質として捕られ、折尾を連れて来いと脅された立て籠り事件の実行犯。
兎田綿子・・・兎田の新妻「綿子ちゃん」。稲葉の人質として東京から仙台に拉致され倉庫に監禁されている。
猪田勝・・・兎田の相棒(部下)。
稲葉・・・人を誘拐するビジネスグループの創業者(ボス)。
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折尾豊・・・通称「オリオオリオ」。誘拐ビジネスグループの犯罪コンサルタント。オリオン座に詳しく、何かと"オリオン座"の話をすることで有名で、物事をオリオン座の星の並びに当て嵌(は)めて説明しようとする癖がある。
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黒澤・・・伊坂作品でお馴染みの泥棒&探偵。空き巣を生業(なりわい)とする。泥棒を実行した際には義賊よろしく"盗んだメッセージ"を書いた紙を残すことにしている。今回の立て籠り事件をややこしくした実行犯。この事件の筋書きを考え自らもコンサル・折尾に扮して協力。忍び込んだ家で勇介の父の振りをして兎田にバレる。
中村・・・黒澤の泥棒仲間(ボス)。佐藤家で立て籠り犯として協力。
若葉・・・中村の妻。近所の通報人として協力。
今村・・・黒澤の泥棒仲間。佐藤家で立て籠り犯として協力。黒澤の不運な運命を作った張本人。
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佐藤勇介・・・兎田が立て籠もる一軒家・佐藤家の長男。折尾を不運にも殺してしまう。
勇介の母・・・兎田が立て籠もる家の母。
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夏之目・・・宮城県警特殊捜査班SITの課長。立て籠り犯との交渉役。交通事故で妻と娘・愛華を失い病んでいる。
春日部・・・夏之目の部下・課長代理。
大島・・・夏之目の部下・隊員。
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■ 参考となる書評
書評「星座のような籠城劇」レビュアー: 村上貴史(書評家)〈『ホワイトラビット』刊行記念〉新潮社「波」2017年10月号掲載
兎田(うさぎた)孝則は、ワンボックスカーを道端に止め、車外で冬の空のオリオン座を見上げながら、新妻である綿子のことを考えていた。
そこに部下が戻って来て、二人は車に乗り込む。後部座席には先ほど誘拐したばかりの女性。その女性を或る場所まで運び、次の担当者に引き渡して任務完了。
兎田は、誘拐ビジネスを営む組織の一員なのだ。順調に営まれていたそのビジネスだが、ちょっと問題が発生していた。
通称・オリオオリオというコンサルタントによって、組織の金が詐取されてしまっていたのである。
そんな状況だが取引相手には近いうちに送金せねばならず、送らないと大変なことになりそうで、組織はオリオオリオからの奪還を目論む。
そしてオリオオリオを見つけるよう命じられたのが、そう、兎田だった。
それも、綿子を人質に取られるかたちで……。勇介という青年と母親を人質に取った立て籠り事件。籠城の舞台となるのは、仙台の高台に在る一軒家。
やがて現場に警察が駆けつけ、特殊捜査班SITの夏之目課長が、立て籠り犯との交渉を開始する。
その合間に泥棒の計画も語られる。死んだ詐欺師の自宅から三人組の泥棒が名簿を盗もうというのだ。
どこか歯車がズレたようでいて、それでも軽快に回転する三人の会話を愉しみ、それら複数のエピソードが兎田の問題を含めて繋がり始める。
一夜の籠城劇を中心とする『ホワイトラビット』は、星座のような小説。生まれも育ちも異なる星々を、想像力という糸で結び合わせてオリオンやサソリを夜空に描く。
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■ あらすじ
兎田孝則と猪田勝は、誘拐を事業とする会社の誘拐係、つまり対象人物を誘拐して来る仕入れ担当に当たる。"オリオオリオ"こと折尾豊は、誘拐ビジネスグループの犯罪コンサルタント。折尾は何かと"オリオン座"の話をすることで有名で、物事をオリオン座の星の並びに当て嵌(は)めて説明しようとする癖がある。兎田らの誘拐事業会社の経理係をしていた女性が、折尾に唆(そそのか)され会社の金を横領し逃亡していた。彼女が兎田らに捕まった時には既に折尾の口座に移しており、かつ彼女を殺害し折尾を追跡する。兎田には綿子という愛妻がいて、その幸せな日々はずっと続くと思っていた。ところが綿子が誘拐される事件が起きる。自分の生業で妻が蒸発してしまう事態に茫然!!
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仙台駅東口のファミレスで中村・黒澤・今村の三人が詐欺師の家に泥棒に入る相談をしている。それは仙台駅前で老人たちから金を騙(だま)し取る詐欺師がいて、騙した老人たちのリスト情報を詐欺師仲間に提供する可能性が高いとして、黒澤らが情報の回収に動こうというのだ。彼は凄腕の金庫破りだとして、泥棒仲間からそのテクニックを見せてほしいと頼まれる。黒澤は泥棒を実行した際には義賊よろしく"盗んだメッセージ"を書いた紙を残すことにしている。
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籠城事件の舞台となった仙台市の新興住宅地・ノースタウンの一軒家の隣家がその詐欺師の自宅。この詐欺師は海外旅行中らしく無人だったので、黒澤は易々と侵入し金庫を開け老人たちのリスト情報が入ったUSBメモリーなどを回収する。泥棒仲間たちは粗忽(そこつ)で間抜けなので、黒澤と現地合流する前に詐欺師の自宅と間違えて、今回の籠城事件の舞台となった家に侵入するばかりか、その2階で金庫を見つけ例の黒澤式の義賊メッセージを落として行ってしまう。間抜けな仲間が落としたメッセージ回収のために、やむなく黒澤は籠城事件の舞台となった一軒家に侵入し、"盗んだメッセージ"を回収!! ところが、この回収中に母子が帰宅し、さらに兎田孝則という拳銃を持った黒装束の男が突然、鍵をかけ忘れていた玄関から侵入して来て、その家の母子を縛り上げ人質にして立て籠る籠城事件<白兎事件>が発生!! この男は、母と子に「潜んでいるオリオオリオを出せ」と脅す。2階にいた父親らしき人物を見つけ共に縛り上げる。
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実は、この立て籠り犯になった兎田孝則は愛妻・綿子を誘拐され、誘拐ビジネスを事業化している企業の社長(稲葉)から、その企業の金を持ち去った「オリオオリオを探し出して、連れてこい」と命じられる。無茶な注文を受けた兎田は、JR仙台駅前で偶然、オリオオリオと遭遇!! しかし、足蹴(あしげ)にされ倒れている隙(すき)に逃げられる。ところが、この倒れている時に、兎田はGPS発信器をオリオオリオのカバンに入れることに成功!! この結果、兎田はカバンに仕掛けたGPS発信器を追って、その発信源にやって来る。仙台市郊外の路上でオリオオリオは、今回の立て籠り事件の現場となった一軒家の息子と擦れ違う。この時にオリオオリオは息子と小競り合いを起こし、火事場の馬鹿力を起こした息子がオリオオリオを転倒させ、打ち所が悪かったオリオオリオは死んでしまう。人を殺したことに動揺した息子は、オリオオリオの死体を自宅の2階に隠す。この時にオリオオリオのカバンも一緒に持ち込まれる。“盗んだメッセージ”を回収する目的で侵入し、母と子が帰宅したために2階に潜んでいたのが黒澤。父親らしき人物となり、偶然に現場にいた黒澤は泥棒だが義賊のような役処で、この籠城事件を創作し演出する。
既に、オリオオリオは死んでいるので、兎田の愛妻を誘拐した企業の社長(稲葉)のところにオリオオリオを連れて行って、愛妻を奪い返すことができない。宮城県警に電話し「オリオオリオを探し出して、連れてこい」と伝える。警察と同時にマスコミ各社にも連絡し、この籠城事件現場の一軒家をテレビ中継させる。この籠城事件現場のテレビ報道を、誘拐した企業の社長・稲葉は観たことによって、警察の特殊捜査班SITに囲まれた籠城事件現場の家の中に兎田がいて身動きが取れないことを知るのだ!! この籠城事件現場の近くで、オリオオリオを自称する男が見つかり、その正体は黒澤!! オリオオリオに成り済ました黒澤は、宮城県警の籠城事件捜査本部に連行され、兎田のスマホに電話していた稲葉のスマホの位置情報を逆探知によって掴む。警察の力でないと誘拐した企業の社長の位置情報を逆探知できないから、籠城事件を演出したのだった!!
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■ 印象に残ったセンテンス
p23
「人間というのは集団で生きているからな」黒澤が言う。「ルールを守ることに関しては敏感なんだ。ルールは自分たちから自由を奪う。ただ、そのルールによって秩序が、集団が守られている。ルールを破りたいが、破らないように、と昔から教え込まれている」「誰に教え込まれたんすか」「渡り鳥に、渡る時季を教えたやつなんだろうな」本能、と口にするのは大袈裟に感じ、黒澤はそう言い換えた。
p25-26
「小説の中で、おわりのほうで、誰かが演説してますよね。十九世紀は偉大だけど、二十世紀は幸福になるだろう、って。二十世紀には、古い歴史にあったようなことは何ひとつ、征服も侵略も飢餓も略奪もなくなるだろう、って。何だか、しょんぼりしちゃいましたよ。ぜんぜん、今もありますよね」「人は変わらない。同じことを繰り返すだけだからな」
p86
社会において、人の行動を自重させるのは、法や道徳ではなく、損得勘定だ。
p108-109
古い刑事ドラマで見られるような、「できるだけ通話時間を引き延ばして!」と言って電話の相手を逆探知する必要はない。アナログ時代とは異なり、デジタル化した今は、電話は通信会社を経由する時点で、すべての履歴が残る。どこからかけているのか、携帯電話であればどの基地局にアクセスしたのか、逆探知するまでもなく記録されているのだ。つまり面倒なのは、「個人情報の壁」「通信会社との書類のやりとり」だけと言え、それすらも緊急事態には後回しになる。
p126
「テレビ局の考えることは俺たちにも分からないんだ。一人ずつはいい人間でも、集団や会社になったら、倫理や道徳よりも別のものが優先される」
p158-159
「海よりも壮大な光景がある。それは空だ。空よりも壮大な光景がある。それは」「宇宙か?」「それは人の魂の内部」彼女は笑う。「人の心は、海や空よりも壮大なんだよ。その壮大な頭の中が経験する、一生って、とてつもなく大きいと思わない?」・・・それは、大事な人を亡くした者の魂の内部だ。
p164-166
<ノースタウン>から北東のあたりに点があり、そこから右下に動いたところにまた点がある。・・・「ここは、オリオン座における左上、オリオンの腋の下、ペテルギウスにあたります。今、おっしゃった三角形というのはオリオン座の上半身、肩から上の三つを指すだけです。大事なのはここです。見てください。三つの星が」・・・「右下の、オリオンの足、リゲル」・・・「おそらく、リゲルに当たる部分に犯人はいるのでは、と」
p197
そして黒澤は、因幡の白兎の話を思い出している。『古事記』に出てくるあの話だ。隠岐島から因幡に行く際に海を渡るために、鰐を騙す。頭数を数えるから並んでね、と鰐を整列させ、その上をぴょんぴょんと飛び跳ねる作戦に出たのだ。渡り切る直前、余計な一言を口にしてしまい、・・・とにかく小馬鹿にしたのだろう、怒りを買い、皮を剥がれてしまう。黒澤はその話をし、「それと同じように、段取りを踏んでいけば、お前も向こう岸に渡れるんじゃないか?」と言った。
p204-205
「電話の位置情報が、犯人の居場所だと言えば、警察はその場所を警戒する。ただ、その位置情報は、あくまでも犯人の居場所を指す情報に過ぎない、と思わせたらどうだ」・・・「ただ、点を四つ打って、四角形を描いてみせて、対角線を引く。その対角線の交差した中央の点を指差したらどうだ」「そりゃその、真ん中に注目する」「対角線の交差したところを、だろ。四角形の四つの角のほうはそれほど気にしない」
p257
「罪は引力みたいなものだ、と書いてあったな」とぼそりと言った。「罪が引力?どういうことだ」「地上にあるものは罪から逃れられない。罪をゼロにはできない。生きてれば誰だって罪がある、という意味かもしれない。罪のない人間なんてありえない」・・・「だから、できるだけ罪を少なくするのを目標にしろ、と書いてあった。・・・」
p265
「誰が正しくて、誰が悪いのか、訳分からなくなってくるよな」「人間の歴史はいつだってそうだろ」
p267
自分がどうして、面倒な芝居をし、協力したのか、分からないでいた。確かなのは、兎田やその妻に同情したわけではなかったことだ。「たぶん、人質を誘拐している奴に腹が立ったのかもしれないな」「正義感か?」「悪いことをして、自分だけは安全地帯にいる人間は、困るじゃないか。集団の規則を平気で破る奴は」「渡り鳥に、渡る時季を教えたやつのせいか」
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■ 伊坂幸太郎氏の著作と私のブログ(2014年~)
「首折り男のための協奏曲」(新潮社2014年1月、新潮文庫2016年11月)
「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎2014年9月、幻冬舎文庫2017年8月)
「キャプテンサンダーボルト」(阿部和重との共作、文藝春秋2014年11月、文春文庫2017年11月)
「火星に住むつもりかい?」(光文社2015年2月、光文社文庫2018年4月)
「ジャイロスコープ」(新潮文庫2015年6月)
「陽気なギャングは三つ数えろ」(祥伝社ノン・ノベル2015年10月、祥伝社文庫2018年9月)
「サブマリン」(「チルドレン」の続編、講談社2016年3月、講談社文庫2019年4月)
「AXアックス」(KADOKAWA2017年7月) 未読
「ホワイトラビット」(新潮社2017年9月)
「クリスマスを探偵と」(河出書房新社2017年10月)
「フーガはユーガ」(実業之日本社2018年11月) 未読
「シーソーモンスター」(中央公論新社2019年4月)
「クジラアタマの王様」(NHK出版2019年7月)