10/22(月)も快晴が続いた。
午前中、東京メトロ・銀座線で溜池山王駅乗り換え、千代田線で乃木坂駅まで。
「国立新美術館」で開催中の「ピエール・ボナール展」を鑑賞した。
メトロで一駅移動し赤坂駅で下車して、「赤坂サカス」の地下で中華弁当を買い、散歩道のベンチで食べた。
それから「TBS」の横庭まで散歩後、山王下へと移動し「山王日枝神社」に参拝した。
「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」
19世紀末のフランスでナビ派の一員として出発した画家ピエール・ボナール (Pierre Bonnard, 1867/10/3~1947/1/23,79才没)。浮世絵の影響が顕著な装飾的画面により、「日本かぶれのナビ」の異名を取った。20世紀に入ると、目にした光景の印象をいかに絵画化するかという「視神経の冒険」に身を投じ、鮮烈な色彩の絵画を多数生み出した。
本国フランスでは近年、ナビ派の画家たちへの評価が高まり、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展では51万人を魅了。油彩72点、素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点、合計136点の様々なジャンルを通じて、謎多き画家ボナールの魅力に迫る。
□ オルセー美術館館長が語るボナール展の見所
□「Art Immersion Technology (AIT)」セクション
画家が感じ取った風景は、作者のタッチによってキャンバスに描かれている。しかし画家が絵を描くために立っていた場所には、キャンバスのなかに描かれきれなかった風景もあったはず。その「描かれきれなかった風景」を観賞することができれば、「作者の視界へと没入している状態」になり、なぜその風景の中から画家がその場所を切り取ったのかを体感できるのではないか。
日本経済新聞社とカヤックは共同で、作品を描く上で画家が見ていた世界を仮想現実(VR)で再現する技術「Art Immersion Technology」を開発。その技術を採り入れたのが今回の「オルセー美術館特別企画展」。
今回の展示ではピエール・ボナールの作品の中から6点の絵画を厳選。絵画と同じ場所で360度撮影を行い、描かれなかった部分の風景は、ピエール・ボナールが実際に暮らした北フランスの家/南フランスのアトリエ/散歩した道/ニースの岬などを訪れ、絵が描かれた場所を探し出した。
展示された風景画だけでなく部屋全体に、「作者が目にしたが描かれなかった風景」 の実写映像を、日経イベーション・ラボが開発したAIでボナールのタッチで描いた絵画の映像に変換した。
人工知能が画家の「その時の風景」から得た思考を追体験し、風景を画家のタッチを再現して、展覧会の「AIT」セクションで展示室全体にプロジェクションマッピングによって360度に投影し映し出すので、作品に対する理解を深めることもでき、何より芸術・アートの世界に入り込むことができる。
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□ 1章 日本かぶれのナビ
印象派に続く世代に属すピエール・ボナールは、ゴーギャンの影響のもと結成されたナビ派の一員として、繊細かつ奔放なアラベスクと装飾モティーフが特徴的な絵画を多く描いた。ナビ派の画家たちは、 1890 年にパリのエコール・デ・ボザールで開かれた「日本の版画展」にも衝撃を受けた。ボナールは浮世絵の美学を自らの絵画に積極的に取り込み、批評家フェリックス・フェネオンに「日本かぶれのナビ」と名付けられる程だった。また、同時代の象徴主義演劇とも呼応する、親密な室内情景を描いた作品もこの時期に集中して制作された。
1《アンドレ・ボナール嬢の肖像、画家の妹》1890年 油彩、カンヴァス 愛媛県美術館
2《庭の女性たち》1890-91年 デトランプ、カンヴァスで裏打ちされた紙(4点組装飾パネル) オルセー美術館
3《黄昏(クロッケーの試合)》1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
4《格子柄のブラウス》 1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
5《白い猫》1894年 油彩、厚紙 オルセー美術館
10《黒いストッキングの少女》1893年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
13《ランプの下の昼食》1898年 油彩、板で裏打ちされた厚紙 オルセー美術館
17《大きな庭》1895年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
□ 2章 ナビ派のグラフィック・アート
芸術家としてのキャリアをスタートさせる切っ掛けとなった《フランス=シャンパーニュ》をはじめ、初期のボナールはリトグラフによるポスターや本の挿絵、版画集の制作にも精力的に取り組んだ。とりわけ、ナタンソン兄弟が創刊した雑誌『ラ・ルヴュ・ブランシュ』は、ボナールが独創的なリトグラフを試みる舞台となった。雑誌の挿絵だけでなくポスター制作も手掛けており、大胆なデフォルメと意表を突く構図が際立っている。また、即興的なデッサンに象徴されるボナールのリトグラフの特徴は、油彩作品にも見ることができる。
19《フランス=シャンパーニュ》1891年 多色刷りリトグラフ 川崎市市民ミュージアム
20《ラ・ルヴュ・ブランシュ》1894年 多色刷りリトグラフサントリーポスターコレクション(大阪新美術館建設準備室寄託)
24《作家クロード・テラスと二人の息子》1892年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
27《博物誌》(ジュール・ルナール) エルネスト・フラマリオン社、パリ 1904年刊書籍 個人蔵illust
28《入院したユビュおやじ》(アンブロワーズ・ヴォラール) ジョルジュ・クレ社、パリ 1917年刊書籍 個人蔵illust
□ 3章 スナップショット
コダックのポケットカメラを購入したボナールは、1890 年代の初めから写真撮影を行うようになった。ボナール家の別荘があったル・グラン=ランスでは、水遊びに興じる甥っ子たちをはじめ、家族がめいめいに余暇を過ごす様子が撮影されている。また、ボナールが恋人マルトと住んだパリ郊外のモンヴァルの家では、庭の草木のなかに佇むマルトのヌードを写した美しい写真の数々が生まれた。これらの写真には、中心を外した構図やピントのボケなどにより、生き生きとした効果がもたらされている。
49《陽光を浴びて立つマルト》1900-01年 モダン・プリント オルセー美術館
56《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》1906年頃 モダン・プリント オルセー美術館
□ 4章 近代の水の精たち
ボナールの画業全体において最も重要な位置を占めるのが裸婦を描いた作品の数々。壁紙やタイル、カーテン、絨毯、小物、鏡などが織り成す重層的な室内空間の中で、ボナールの描く女性たちは無防備な姿を露わにしている。生涯の伴侶であったマルトをはじめ、ボナール家の医師の妻であったリュシエンヌや、マルトの友人でボナールの愛人となるルネ・モンシャティら複数の女性がモデルを務めた。ボナールの描く彼女たちの顔は曖昧で、モデルが特定できない作品や、複数の女性の特徴がみられる作品もある。
66《化粧室 あるいは バラ色の化粧室》1914-21年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
68《浴盤にしゃがむ裸婦》1918年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
69《バラ色の裸婦、陰になった頭部》1919年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
□ 5章 室内と生物「芸術作品ー時間の静止」
「親密さ」というテーマは、ナビ派の一員であった 1890 年代から晩年までボナールを魅了し続けた。一見するとありふれた室内には、人工的な照明や独特のフレーミングによって、親密さと同時にどこか謎めいた雰囲気が漂っている。そこでは、燃え上がる色彩によって、慣れ親しんだモティーフが未知のものへと変貌を遂げているようだ。日常世界の微細な変化にも目を向け続けたボナールは、それをカンヴァス上に定着させることを「時間の静止」と捉えていた。
85《桟敷席》1908年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
86《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》1912年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館
87《バラ色のローブを着た女》1918年 油彩、カンヴァス ヤマザキマザック美術館
93《ル・カネの食堂》1932年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 (ル・カネ、ボナール美術館寄託)
94《テーブルの片隅》195年 油彩、カンヴァス オルセー美術館 (ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)
96《果物、濃い調和》1930年頃 水彩、グアッシュ、紙 オルセー美術館 (ルーヴル美術館保管)
□ 6章 ノルマンディーやその他の風景
ボナールは柔らかな光の中に壮大な風景が広がるノルマンディー地方の自然に魅了されていた。1912 年には、モネが住むジヴェルニーに近いヴェルノンという街に、セーヌ河岸の斜面に建つ小さな家を購入した。テラスから空と水のパノラマを一望できたこの家での暮らしは制作意欲を大いに刺激した。庭には野生の植物が生い茂り、その重なりは精妙なグラデーションとして描き出されている。そしてボナールが頻繁に訪れたアルカションやトルーヴィルでは、表情豊かな空が大きな空間を占める海景画が生み出された。
105《ボート遊び》1907年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
112《日没、川のほとり》1917年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
113《アルカションの海景》1911年 油彩、板で裏打ちされた厚紙 オルセー美術館
116《トルーヴィル、港の出口》1936-45年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)
□ 7章 終わりなき夏
自らを画家=装飾家と見做(な)していたボナールは巨大な装飾壁画も手掛けた。そこでは生の喜びを謳い上げ、「アルカディア」を出現させようとした画家の創意が見てとれる。また 1909 年、画家アンリ・マンギャンの誘いで南仏のサン=トロペに初めて長期滞在し、母に宛てて「色彩に満ちた光と影」が織りなす「千夜一夜」の体験を書き送った。その後、彼はコート・ダジュールを毎年のように訪れ、1926 年にはル・カネの丘の上に建つ、地中海を一望する家を購入した。第二次世界大戦中もこの地に留まり、1947年に亡くなるまで、輝く色彩に満ちた終わることのない「夏」を描き続けた。
117《水の戯れ あるいは 旅》1906-10年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
118《歓び》1906-10年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
120《にぎやかな風景》1913年頃 油彩、カンヴァス 愛知県美術館
121《地中海の庭》1917-18年 油彩、カンヴァス ポーラ美術館
125《南フランスの風景、ル・カネ》1928年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)
127《アンティーブ(ヴァリアント)》1930年頃 油彩、カンヴァス オルセー美術館
132《花咲くアーモンドの木》1946-47年 油彩、カンヴァス オルセー美術館(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)
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■「赤坂SACAS(サカス)」
□ 超高層(39F)ビル「赤坂Bizタワー」(港区赤坂5-3-1)
博報堂などが入居。
□ ライブハウス「赤坂BLITZ」(赤坂5-3-2)
□ エンタメ劇場「赤坂ACTシアター」(赤坂5-3-2)
□「TBS放送センター」(赤坂5-3-6)
横庭「TBS南公園」
ウルトラマン銅像
ウルトラセブン銅像、BooBo&BooNa
白いハギ、オブジェ
完熟カキの実
ミズヒキ
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■「山王日枝神社」(別称「江戸山王大権現」など、千代田区永田町2-10-5)
1478年に勧請した「川越日枝神社」に始まる。
後方の超高層(38F)ビルは「プルデンシャルタワー」(永田町2-13-10)
狛犬ならぬ"狛猿"
七五三の参拝
隣接する右の超高層(44F)ビルは「山王パークタワー」(永田町2-11-1)
NTTドコモ本社、内閣府消費者庁などが入居。
左の高層(29F)ビル「ザ・キャピトルホテル東急」(永田町2-10-3)
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帰途は、東京メトロ・銀座線の赤坂見附駅から。
今日のウォーキングは5,800歩と程良く。