一昨日10/8(月・祝)、元横綱・輪島関が亡くなった。
輪島氏は私と同郷かつ同い年。
私が社会人2年目(1972年)の歳の暮れのこと。会社では政府に申請する重要書類作成集中作業のため、銀座の某シティホテルの一室に閉じ篭(こも)っていた。駆け出しの私まで招集が掛かり、そのうち、上司から寿司を買いに行って来いとの指示があって有名な勘八本店に向かった。今で言うパシリ。何とチラチラと雪模様。革靴が滑らないように注意しながら歩いていたところで、豪華な米車・黒塗りのリンカーンコンチネンタルの中から付き人の番傘に、悠然と白い着流しのちょんまげ姿力士。「あれ! 輪島だ!」。高級クラブの山口洋子ママの「姫」へと消えて行った。
"黄金の左" 輪島関と、そんな行きずりエピソードがあった。
関連ブログ
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☆ 輪島大士(わじま・ひろし)関
本名は輪島博、1948年1月11日七尾市石崎町(実家は理髪店)生まれ、市立香島中学校時代から頭角を現わして、金沢市の私立金沢高校に進学し先生宅に下宿、日本大学で2年連続学生横綱に輝く、花籠部屋、三役昇進前から私生活は派手、場所入りはリンカーン・コンチネンタルを乗り回す、史上初の学士・本名横綱誕生、第54代横綱(1973~81年)、左の下手投げを得意とし、トレードマークの金色の廻しと掛けて "黄金の左" と呼ばれ下手投げを得意とする力士は大成しないというジンクスを破った。幕内優勝14回、引退から4年目、年寄名跡を借金の担保にしたことが発覚し、日本相撲協会から処分を受けて廃業する。その後は全日本プロレス所属のプロレスラー、大相撲解説やタレントとして、日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」に準レギュラーで出演し、いわゆる天然ボケタレントとして活躍した後、アメフト・Xリーグのクラブチーム「ROCBULL」の総監督に就任し、キューバの相撲ナショナルチーム監督も務めたのだった。
2013年秋に咽頭癌が判明し、切除手術を受け、その影響で声を失ってしまった。
そうして5年経過後の一昨日、2018年10月8日(月・祝)、衰弱のため都内の自宅で死去。70歳没。
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今日10/10(水)午前中は、神田川の支流「善福寺川」沿いの「和田堀公園」などを散歩した。
JR中央線で神田駅⇒四谷駅、東京ロトロ丸ノ内線で四ツ谷駅⇒方南町駅下車。
「善福寺川緑地」/「都立和田堀公園」を上流に向かって遡(さかのぼ)った。
前回訪問のリブログ
以下、「橋」の順
和田堀~(環状7号線==都道#318)、
定塚(じょうづか)、堀之内、本村(ほんむら)、紅葉、熊野、武蔵野、済美(せいび)、二枚、大松、宮木、大宮、宿山(しゅくやま)、
宮下~(松ノ木八幡通り==都道#427)、
八幡、御供米(おくまえ)、大成、白山前、成園、成田下、成田上、
尾崎~(五日市街道==都道#7)。
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環七地下貯水池
堀ノ内
どこにもコサギとカモが共存していた。
武蔵野橋
済美
都立和田堀公園第二競技場(済美山運動場、杉並区堀ノ内1-15)
大宮
ピラカンサの朱色の実
定番!! ハナミズキの赤い実
タイワンホトトギス、イヌタデ(アカマンマ)
マユミの赤い実
イチョウとハナミズキのコントラスト
区立郷土博物館(杉並区大宮1-20-8)
和田堀池(大宮2-25)
掻掘(かいぼ)り作業完了の案内板
紅葉の始まりが池面に映っていた。
松ノ木
イイギリの赤い実
黒猫が近付いてくれた。
成田
ミニストップでサンドイッチを買って食べた。
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帰途は、成田西3-2からJR中野駅前まで関東バスに乗車。
JR中央線で中野駅から神田駅まで。
この日のウォーキング11200歩の大台突破。