ドキュメンタリー
NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」
昨夜NHK-Gで放送され、シルバーとしては樹木希林さんの生き方から多くを学び、多く考えさせられた。
★どうなろうと家族は死ぬまで愛する。
★自分が責任を持てることをする。
★金にモノを言わせる生き方はしない。
★たとえ癌に冒されても言われるがままの治療は受けない。
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初放送09月26日(水)19:30~20:43
再放送10月02日(火)23:55~25:08
■ 概要
今月9月15日、大女優の樹木希林(本名:内田啓子、1943年1月15日東京神田生まれ)さんが亡くなった。75年(享年76)の生涯だった。
先月8月13日、大腿骨を骨折した。15日に緊急手術を行った。9月15日2時45分、東京都渋谷区南平台の方の自宅で家族に看取られて逝去。
映画「わが母の記」で第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。2013年3月8日の授賞式スピーチにおいて、全身を癌(がん)に冒されていることを公表した後も、悲観せず、かといって気負いもなく、淡々と軽やかに女優として生きた希林さん。最期の日々を見つめた。
『私を撮ってもいいわよ』そんな希林さんから長期密着取材の許可をもらったのは、去年6月のことだった。
人生の晩年をどのように生き、身終(みじま)いしようとしているのか?
そもそも“樹木希林”とは何者なのか、向き合う日々が始まった。
結果的に希林さんが出演する最後のドキュメンタリーとなった今回の番組。
仕事、家族との関係、そして、日々の暮らし…。
密着取材を通して、希林さんはどんな思いを託そうとしたのかを、見つめる。
予告動画
NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」ホームページ
■ 出演
樹木希林
その他の出演: 監督・是枝裕和、NHKディレクター・木寺一孝、他。
■ あらすじ
2017年
6月29日
これまで希林さん長期に亘る密着取材の依頼を断って来たが、今回、撮ってもいいと初めて許してくれた。
取材初日、カメラの前で希林さんは普段目にすることない素顔を見せてくれた。密着中には思いがけない告白もあった。
7月5日
希林さんはディレクターの木寺一孝の自宅の前まで迎えに来てくれたのだ!!
目黒区青葉台の自宅から仕事場までの往復は自分で愛車トヨタオリジンを運転し、ディレクターの送り迎えも引き受ける。
ディレクターが希林さんと出会ったのは3年前の福岡発地域ドラマ「いとの森の家」(原作:東直子、脚本:坂口理子、演出:木寺一孝、出演:永作博美・樹木希林)に出演してもらったのが切っ掛けだった。
初めての演出に戸惑うディレクターに自分の思い通りにやればいいと声をかけてもらい、希林さんの魅力に惹き付けられたと言う。
彼は東京に転勤した後、希林さんをもっと知りたいと密着取材を申し出た。
希林さんはこの1年に4本の映画に出演することを決めていて、現場に密着したら番組になるかもねと取材に誘ってくれた。
最初の作品は実在の画家の物語「モリのいる場所」(脚本・監督:沖田修一、出演:山﨑努・樹木希林)だった。
この頃、希林さんの体調は何の問題もないように見えた。
帰りの車の中で希林さんは「役の努力っていうより生きて行く努力はあるかもしれない」などと話した。
7月16日
希林さんは「差し入れです」と言いスイカを持って来てくれた。
希林さんが演じるのは偏屈な夫に文句を言いながらも寄り添い続ける妻。
希林さん自身も破天荒なミュージシャンの内田裕也さんと30歳で結婚した。夫婦喧嘩が絶えず僅か1年半で別居。
しかし離婚はせず40年以上不思議な関係を続けていた。もし内田裕也さんと結婚してなければ、重しを失い別の人生を歩んでいたかもしれないと言う。
ディレクターの家庭も最近うまく行ってないという話になり、希林さんは「きっと感謝する時が来ますよ、両方で。そう思った方が面白いでしょ」などと話した。
連日30度を超える暑さの中で撮影が続いた。
乳癌が見つかり右乳房の全摘出手術を受けたのが2005年。全身癌であることを公表したのは2013年3月のこと。その後、放射線治療(四次元ピンポイント照射治療)が効果をあげ仕事を続けて来た。2014年1月には治療に一区切りをつけ、新たに抗癌剤治療などは一切受けないと宣言していた。
7月28日
希林さんは控室のベッドで横になっていた。撮影が5時間も遅れ出番は深夜にズレ込んでしまった。
出番が来た希林さんベッドから起き「固まっちゃって動かないよ。背中と腰が腰痛とで全部出てね」などと弱音を吐いていたが、現場では何事もなかったかのように撮影に臨んでいた。こうして一月に及ぶ撮影を乗り切った。
7月29日
映画の撮影が終わった翌日の7月29日、息吐(つ)く暇もなく次の映画に取り掛かった。
「どうやって気持ちを切り替えるのか」を聞くと、希林さんは「昨日の台本は全部処分しました。人間に対しても名残惜しいなんて持てないから、物ぶは特にないですよね」などと話した。
次の映画はパルム・ドールを受賞した「万引き家族」(脚本・監督:是枝裕和、出演:リリー・フランキー、樹木希林) の撮影だった。
万引き家族は犯罪で繋がった疑似家族の絆を描いた作品。希林さんが是枝監督の作品に出演するのはこれで6本目だった。
打ち合わせの時に希林さんは「こういう人が家にズルズル入って来ちゃって、まぁいいかにならないんじゃないかな」などと疑問を投げかけた。
希林さん演じる老婆の家には行き場のない人たちが集まって暮らしている。なぜ他人を老婆は受け入れたのかリアリティーを感じられないでいた。
希林さんは「成立してないところがずいぶんあるから理解しにくい」などと話した。どうすればリアルな世界を描けるのか繰り返し議論を重ねた。
その後、老婆には夫から捨てられた過去があったという設定が加えられた。
8月7日
「女優にとってはヌードになるより恥ずかしいのよ」と入れ歯を外して撮影に臨んだ樹木さん。
トコトンまで自分を曝(さら)け出しながら役に向き合っていた。
11月20日
3本目の映画「日日是好日」(原作:森下典子、脚本・監督:大森立嗣、出演:黒木華・樹木希林) の撮影が始まった。今回演じるのは凛とした佇(たたず)まいの茶道の師匠だった。
この頃、希林さんは新たな映画への出演依頼を全部断っていた。
ディレクターが真意を聞くと希林さんは「そこまで行けるかどうかも思いつかない体調なのよ。筋力が落ちちゃって」などと話した。その一方で女優以外の仕事は引き受けていた。
11月21日
撮影現場で希林さんは「気が張ってるからやれてるんだね、このまま辞めていいですよって言ったらシャッキリするかというとそうじゃないからね」などと話した。
ディレクターはなぜ希林さんは現場に立ち続けるのか、なぜ取材を続けさせてくれるのはどうしてなのか、心の内を知りたいと思った。
12月20日
希林さんは日に日に体調の悪さが目立つようになった。
半年になろうとする鈍感なディレクターの密着取材にも苛立ちを募(つの)らせて行った。
帰りの車の中で希林さんは「ただ漠然と付いて来て、何か出て来るならいいけど、私からは何も出ませんよっていうのが本当のところ。なんか悪いから何かしゃべんなきゃなと思ってしゃべってる感じがするじゃない。それが負担というか悪いなと思って。何かいい方法ないかね」などと話した。
3本目の映画は年末に撮影を終えた。
2018年
1月6日
「万引き家族」の撮影が再開された。
希林さんは「何が面白くて撮ってるの?私が4本映画やるからくっ付いて来たらどうって言ったのが良くなかったんだけど、映画をどう向き合ってるかという話しする訳ではないし、何に興味があって何に興味がないか教えてもらいたい」などと話した。
ディレクターは希林さんに対して自分を曝け出すことしかできなかった。
1月15日
「万引き家族」の撮影最終日を迎えた。
この日は希林さんの75歳の誕生日。
その日に演じるのは突然死を迎え床の下に埋められる場面だった。撮影が終了した後、ディレクターは楽屋に呼ばれ話したいことがあるからカメラを回すように言われた。
希林さんは「体は大変だったけど幸せな日々だったんでしょうね、終わり。取り敢えず終わり」などと話した。
3月22日
2カ月後、連絡の途絶えていた希林さんから久しぶりの電話があった、新聞社の取材に同席してほしいと言う。
ディレクターはなぜこの場に呼ばれたか検討もつかないまま時間は過ぎて行った。
新聞社のカメラマンが去ると希林さんは平成16年(2014年)に癌になった時の資料を見せてくれた。
3月5日に検査に行ったら癌が全身に転移していることが分かった。医師に「どれくらい行けますか?」と聞くと、「今年一杯でしょう」と言われた。
希林さんは「1年密着で来たけど、これがあれば少し肝ができたか。これに対して木寺さんはどう思うか聞いてみたい」などと話した。
初めて突きつけられた余命宣告、それを「番組の材料に使いなさい」と言い放つ姿を前に、ディレクターはカメラを回すしかなかった。
この日は以前からプロデューサーとして関わって来た映画、遺作となった「エリカ38」(企画:樹木希林、脚本・監督:日比遊一・奥山和由、出演:浅田美代子・樹木希林) の現場に来ていた。
希林さんは初めて資金集めからキャスティングまでを担っていた。
主演に据えたのは浅田美代子だった。10代の頃から母親代わりとして公私に亘り面倒を見て来た。
そんな浅田に俳優としての代表作を作ってあげたいと考えて来た。この日は浅田美代子の誕生日で希林さんが中心となって祝っていた。
それからしばらくの間、希林さんからの連絡は途絶えた。
==以下略==