Quantcast
Channel: ちとちのなとちのブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

「麻雀の日」---ルーツ、私と麻雀の歴史。

$
0
0

 

昨日7/31(火)は夜半まで「火星大接近」を撮影していたが、眠くなったので中断してしまった。

 

今朝は、「火星」が没した後の「月」が涼し気に見えたので撮影した。 

 

西南西の空

20180801 6:37

 

 

◇-------------------------------------------------

 

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 
■「麻雀の日」

8(は)1(い)で「牌」(パイ)の語呂合せとして、「全国麻雀業組合総連合会」(全雀連、横浜市西区北幸2-9-40銀洋ビルB1F麻雀サロン・シルバー内)が1989年に制定した。だが、(社)日本記念日協会(代表理事・加藤清志)に正式登録されたのは、一昨年2014年4月30日である。


尚、8月1日を語呂合わせで記念日としているのは、「牌」で「麻雀の日」以外にも、「肺」で「肺の日」、「おっ"ぱい"」で「母乳の日」、「"パイ"ン」で「パインの日」、などがある。
 
 
*
 
 

■ リブログ


 
 
*
 
 
■ 麻雀の起源(有力説)

1862~74年、中国/清朝/寧波の陳魚門(重臣)が、明朝からあった紙カードゲームの「馬吊」(馬弔、マーディアオ)と獣骨板ゲームの「骨牌」(コッパイ) とを合体、完成させた。

尚、日本での普及は、1923年の関東大震災後、銀座のカフェー・プランタンが出した神楽坂支店の場で、文藝春秋社を創設した菊池寛はじめ広津和郎・久米正雄(いずれも作家)らが広めた。当時の同社は麻雀牌の販売まで行っていた。


*


■ お題 「麻雀のルール知ってる?したことある?」
 
 
ルールを知っており、何しろ麻雀全盛期に大学生~独身サラリーマンだった身。
会社独身寮でも職場でも盛んで、同期・先輩・後輩の縦横に付き合ったものだった。

 
結婚して頻度は落ちたものの、それでも1970~80年代前半は、残業を2H位した後で埼玉への終電時間を気にしながら、虎ノ門界隈の雀荘などで過ごした。

 
1980年代後半~90年代の経済バブル景気の頃に私はグリーンの雀牌(ジャンパイ)を買い、肉親の子供たちがやって来ると、トランプに混じって「家庭麻雀」で遊んだ経験があった。炬燵(こたつ)の天板(裏面はラシャ張り)を裏返して、麻雀卓として利用していた。

 
1980~2000年代は、週1回⇒月1回⇒年数回へと頻度は急速に下がる一方だったが、昭和世代のサラリーマンには或る種"ノスタルジア"さえ覚えるコミュニケーションツールだった。
利用した雀荘は、芝~浜松町~新橋界隈の雀荘、そして渋谷道玄坂の「健康麻雀 ガラパゴス」など。

 
リタイア後の2010年代の今日は、数年に1度の "風前の灯火" 状態である。
 
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2687

Trending Articles