1733年の今日、両国川開きで初めて花火が打ち上げられたんだって。
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■ 「花火の日」の始まり
「隅田川花火」は東京下町の盛夏における風物詩の一つ。
この大会は、大飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た1732年、第8代将軍・徳川吉宗が大川端(現・隅田川河畔)で催した、「川施餓鬼」(かわ-せがき、死者の霊を弔う法会)に遡(さかのぼ)る。
翌1733年の7月9日(享保18年5月28日)、幕府は「川施餓鬼」と併せて、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、「両国川開き」の日に水神祭を実施し、花火を打ち上げたのがルーツ。
打ち上げ(約20発)の初期は鍵屋が担当。後の1808年からは、鍵屋の番頭・玉屋清吉(市兵衛)が暖簾(のれん)分けで、2業者体制となり腕を競い合って行った。
浮世絵 揚州延一・作「両国花火之三曲」1891年(明治24年)
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■ 思い出の「北國花火大会」など
私の少年時代には、金沢犀川河岸の「北國花火」・「北陸中日花火」(1961年より)、内灘海岸・河北潟湖岸の「内灘花火」、外日角・白尾海岸の「河北花火」が、集落からもよく見えた。
そして当時は沢山の蛍を追い、団扇で蚊を払いながらの見物であった。
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■ 思い出の「臨海副都心カウントダウン2000 in お台場」
現役サラリーマン時代で最も記憶に残った花火。
"Y2K" と呼ばれた2000年問題を控えた1999年末~2000年始。
1970年代から主流となったコンピューター汎用機(メインフレーム)のみならず、それに続くパソコン(Windows)、ワークステーション(UNIX)などにおいて、
19XX⇒2000と、閏年(うるうどし、2000/2/29)とが重なるため、それに対応するソフトウェアに直しておかないと、00年を1900年と見なしたり、
更に1900年は閏年ではなかったためダブルで誤動作を起こしたりする恐れがあった。
1999年の1年間は、我々、日本の情報通信業界だけでなく、世界各国の政府・経済界全体が対策を講じることに躍起(やっき)となったばかりでなく、
どこかに見逃したり抜けがあったりしていないかと、神経過敏な状態の中、1999年の暮までにシミュレーションを繰り返し、2000新年の休暇を返上して監視し続けたのであった。
そして遂に迎えた2000年1月1日0時0分。問題なく迎えることができた新年は、泊り込んで来た会社で我々は役員と共にシャンパンで乾杯した。
折しも、眼下の東京湾では年越し(カウントダウン)花火が美しく開いて、来たるミレニアム(2001年)への幕開けを祝っていた。
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■ 東京都区内の主な花火大会
□ 2016年のスケジュール
7/23(土)「足立の花火」(足立区)
7/26(火)「葛飾納涼花火大会」(葛飾区)
7/30(土)「隅田川花火大会」(台東区・墨田区)
8/06(土)「江戸川区花火大会」(江戸川区)
8/20(土)「神宮外苑花火大会」(新宿区・渋谷区)
尚、「東京湾大華火祭」」(中央区・江東区・港区)は東京五輪2020の選手村工事のため、2016年から中断。
(「東京湾大華火祭2015」トレネタより引用)
□ 「隅田川花火大会」
「隅田川花火大会2013」はゲリラ雷雨により中止(2013/07/27実施)
(「隅田川花火大会2013」毎日新聞より引用)
「隅田川花火大会2014」の模様(2014/07/26実施)
「隅田川花火大会2015」が穏やかに(2015/07/25実施)
2016年(第39回)「隅田川花火大会」7/30(土)21:05~20:30。荒天の場合は翌7/31(日)に順延。
打ち上げ合計2万発。
第一会場:桜橋下流~言問橋上流 丸玉屋小勝煙火店 約9,350発(コンクール玉200発を含む)
第二会場:駒形橋下流~厩橋上流 ホソヤエンタープライズ 約10,650発。