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「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」事前スタディ

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「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」
( 原題 「Impressionist Masterpieces from the E.G.Bührle Collection, Zürich, Switzerland」)

 

 

ビュールレ・コレクションの日本公開は、横浜美術館で「西洋の名画展」(1990年11月2日〜1991年1月13日)が開催されてから27年振りとなる。
 

 

 

 

 

明後日2/26(月)に鑑賞予定なので、事前にスタディした。


■ 開催概要

□ 東京展

会期: 2018年2月14日(水)~5月7日(月)、休館日: 毎週火曜日[但し5月1日(火)は除く]

 

2/14(水)〜28(水)の来場者全員に特製ポストカード「可愛いイレーヌ嬢」(非売品)をプレゼント!


会場: 国立新美術館企画展示室1E(港区六本木7-22-2)

主催: 国立新美術館、東京新聞、NHK/NHKプロモーション
後援: 外務省、スイス大使館
協賛: ジュリアス・ベア・グループ、損保ジャパン日本興亜


■ 巡回展

□ 福岡展
会期: 2018年5月19日(土)~7月16日(月・祝)
会場: 九州国立博物館3階特別展示室(福岡県太宰府市石坂4-7-2)

□ 名古屋展
会期: 2018年7月28日(土)~9月24日(月・祝)
会場: 名古屋市美術館(名古屋市中区栄2-17-25 芸術と科学の杜・白川公園内)



■ 見所

展覧会HP 紹介映像
 

スイスの大実業家エミール・ゲオルク・ビュールレ(Emil Georg Bührle、1890-1956年)は、生涯を通じ絵画収集に情熱を注いだ傑出したコレクター。

主に17世紀オランダ絵画から20世紀の近代絵画に至る作品、中でも印象派・ポスト印象派の作品は傑作中の傑作。

 この度、ビュールレ・コレクションの全てがチューリヒ美術館に移管される。その前に日本での展覧会が実現。

計64点を展示し、その約半数は日本初公開。

 


1:至上の印象派コレクション

特に印象派・ポスト印象派の作品は傑作揃い。

中でも、最も有名な少女像とも言われるルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》と、セザンヌの《赤いチョッキの少年》。



2:全て、一人のコレクターが集めた

エミール・ゲオルク・ビュールレの死後、別棟は美術館として一般公開されたが、スイス国外にコレクションが纏まって公開されたのは過去に数回のみ。

2008年、世界的に報じられた4点の絵画盗難事件以来、一般公開が規制され、2020年にチューリヒ美術館に全コレクションが移管されることになった。

 


3:出品作のおよそ半数が日本初公開!

出品作64点の全てがビュールレ・コレクション財団所蔵品で、その約半数は日本初公開。

中でもモネの代表作の一つ、高さ2m×幅4mの大作《睡蓮の池、緑の反映》は、これまでスイス国外には一度も出たことが無かった。



■ 作品紹介



1. 肖像画

名作への期待に胸膨らませて会場を訪れた来館者を先ずお迎えするのは、肖像画の数々。17世紀のオランダを代表する画家フランス・ハルスの傑作、《男の肖像》に始まり、フランス古典主義の完成者アングルが愛情を込めて描き出した妻の肖像、さらには友人シスレーをモデルにルノワールが描いた若き日の半身像など、各時代を彩る名人たちの筆による個性豊かな肖像画が並ぶ。これらの作品により、西欧絵画200年の伝統とその表現の推移、さらにビュールレ・コレクションの広がりと厚みを体感することができる。

フランス・ハルス《男の肖像》1660-66年 油彩、カンヴァス

一瞬の表情や雰囲気が生き生きと描き出されており、スナップ写真のようだと表現される。それまでの固くて動きのなかった集団肖像画を、雰囲気と活気のある絵に変化させた。


日本初公開
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アングル夫人の肖像》1814年頃 油彩、カンヴァス 70×57cm

アングルの妻、マドレーヌを描いた肖像画。1813年に結婚した二人は、1849年にマドレーヌが死去するまで非常に仲睦まじい夫婦として知られた。穏やかに微笑みながらこちらを見つめる彼女の姿は、アングルにしては珍しく、やや粗い筆遣いによって描かれている。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルフレッド・シスレーの肖像》1864年 油彩、カンヴァス 81×65cm

1861年、画家シャルル・グレールがパリで開いていた私塾で出会ったルノワールとシスレーは、その後も親交を深めた。本作品では、経済的な困窮など苦難に見舞われる前の若きシスレーが、非常にリラックスした様子で描かれている。


2. ヨーロッパの都市

この章ではヴェネツィア、ロンドン、パリといったヨーロッパの大都市を描いた作品を紹介する。ビュールレ・コレクションの中核は、19世紀後半の印象派、ポスト印象派の作品ですが、大学で美術史を学んだビュールレは、自らのコレクションにも歴史的な広がりを与えたいと考えていた。18世紀前半のカナレットが描いた写真のようなヴェネツィアの風景。それから百数十年後の、色彩の中に全てが溶け合うようなモネのロンドンの風景。二つの作品は風景表現の歴史と画家の個性の在り方を明確に教えてくれる。

アントーニオ・カナール(カナレット)《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》1738-42年 油彩、カンヴァス 121×152cm

景観画の巨匠、カナレットによる本作品には、ヴェネツィアのカナル・グランデの東方の眺望が描かれている。前景に描かれたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂は、当時のヴェネツィア絵画において好まれたモティーフの一つ。暖かな陽光と輝く水面、澄んだ大気や建造物の細密な表現など、カナレットの景観画の特徴を示している。

日本初公開
クロード・モネ《陽を浴びるウォータールー橋、ロンドン》1899-1901年 油彩、カンヴァス 65×100cm

普仏戦争が始まった1870年、ロンドンに移住したモネはターナーの作品に感銘を受け、亡命したフランス人芸術家とのネットワークを築いた。それから20年後、ロンドンを何度か訪れ、都市の建物を主題とした一連の作品に取り組んだ。本作品では、光に満ちた捉え所のない霧がかった都市の情景が描き出されている。


3. 19世紀のフランス絵画

19世紀のフランス美術の最も大きな変化といえば、主題性が希薄になって行く点が挙げられる。つまり何を描くかではなく、いかに描くか? 神話や宗教、歴史といった、それまで最も重要と考えられていた主題が後退し、風景や静物など、日常の何気ない一瞬を捉えたような作品が画家たちの関心の的となって行く。この章では、ドラクロワやシャヴァンヌなど、古典的な主題を取り上げながらその様式で近代への扉を開いた画家たちや、しばしば近代絵画の父と称せられるマネを中心に紹介する。


カミーユ・コロー 《読書する少女》 1845-50年

それまで画面構成のための下書きでしかなかった風景画の写生を完成作品にまで高め、自然を崇拝するバルビゾン派を形成した。この絵は、自然を愛したコローの優しい眼差しが、デッサンのモデルである少女(労働者)に向けられているのが伝わって来る。


日本初公開
ウジェーヌ・ドラクロワ《モロッコのスルタン》1862年 油彩、カンヴァス 69.5×57.5cm

1832年、ドラクロワは記録係としてフランスの使節団によるモロッコ訪問に随行し、同国のスルタン、ムーレイ・アブドゥッラフマーンに謁見(えっけん)した。ドラクロワは、この時の記録や記憶を基にスルタンを描いた作品を1845年のサロンに出品した後も、同主題を度々、手掛けている。1862年に描かれた本作品では、多くの従者に囲まれたスルタンの威厳のある姿が鮮やかに描かれている。

エドゥアール・マネ《オリエンタル風の衣装をまとった若い女》1871年頃 油彩、カンヴァス 96×74.5cm

東洋趣味を示す本作では、伏し目がちな表情をした女性が、中東風の装飾品とシースルー状の白いロングドレスを身に着け、佇(たたず)む様子が描かれている。本作品におけるマネの関心は、この衣装の表現に向けられているようだ。官能的な衣服を身に纏った女性の姿には、妖艶さと倦怠感が漂っている。


4. 印象派の風景--マネ、モネ、ピサロ、シスレー

印象派の画家たちは、肖像、静物、風俗など様々な主題に挑戦したが、最も熱心に取り組んだ画題が風景だった。パリ近郊、セーヌ河畔の豊かな自然を舞台に繰り広げられる作品の数々は、描かれた時の光の煌(きらめ)きや風の囁(ささや)きを感じさせるほど、生き生きと表現されている。世界中の人々を魅了するこの美しい風景画が、誕生当時酷評されたことなど今では信じがたいものがあるが、それほどまでに自然を写し取る彼らの細やかな技法は革新的だったのだ。

日本初公開
カミーユ・ピサロ《ルーヴシエンヌの雪道》1870年頃 油彩、カンヴァス 43.5×65.5cm

パリ郊外のルーヴシエンヌで家族と暮らしていたピサロは、普仏戦争が始まると戦争を逃れて数か月、ロンドンに滞在した。プロイセン軍が侵攻し、自宅が占拠されてしまう前に描かれた本作品では、戦争の前の平和な日常を象徴するかのように、柔らかい陽の光が雪道を照らす穏やかな光景が広がっている。

 

カミーユ・ピサロ《オニーからポントワーズへ向かう道--霜》1873年 油彩、カンヴァス



日本初公開
アルフレッド・シスレー《ハンプトン・コートのレガッタ》1874年 油彩、カンヴァス 46×61cm

1874年、シスレーはバリトン歌手ジャン=バティスト・フォールに招待され、ロンドンに約4か月間、滞在した。本作品は、シスレーが対岸にハンプトン・コート宮殿を望むキャッスル旅館に滞在した際に制作された。軽やかな筆致と簡略化した構図によって、夏場のボート競技の様子が生き生きと描写されている。

クロード・モネ《ジヴェルニーのモネの庭》1895年 油彩、カンヴァス 81.5×92cm

1883年の春、モネはジヴェルニーに移り住み、1926年にこの世を去るまで、自然豊かなこの地に住み続けた。本作品では、シャクヤク、ゼニアオイ、バラやアイリスなど、色とりどりの花を愛でるモネの義理の娘、シュザンヌ・オシュデが描かれている。点描のような細かい筆触からは、印象派絵画の新たな展開が覗(うかが)える。

日本初公開
エドゥアール・マネ《ベルヴュの庭の隅》1880年 油彩、カンヴァス 91×70cm

本作品で描かれているのは、マネが夏の間、過ごしていたパリ近郊の別荘とその庭。戸外で制作され、軽やかな筆の運びと明るい色彩を特徴とする本作品は、マネがモネを始めとする若い画家たちと親交を持ち、印象派への志向を強めて行ったことを示している。


5. 印象派の人物--ドガとルノアール

印象派の画家の多くは風景や静物を得意としたが、ドガとルノワールの二人は主に人物に力を注いだ。そして人物を対象にしながら、そのポーズや動きに着目し、冷静な眼差しで一瞬の姿を画面に記録したドガに対し、ルノワールはモデルに寄り添うようにしてその生命の輝きを、豊かな色彩によって謳い上げた。対照的な個性を見せる二人だが、長い伝統を誇る人物を中心に据えたその作品には、他の印象派の作家とは異なる何処か古典的な趣が漂っている。

エドガー・ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》1871年頃 油彩、カンヴァス 65×81cm

ドガの友人で、印象派展への出品経験を持つ芸術家でもあったリュドヴィック・ナポレオン・ルピック伯爵と2人の娘を主題とした肖像画。大胆で自由闊達(かったつ)な素早い筆致と、透明感ある色遣いによって巧みに表現されている。2008年の盗難事件の被害作品。

 

エドガー・ドガ《出走前》1878-80年 油彩  カンヴァス 

 

エドガー・ドガ《14歳の小さな踊り子》1880-81年(ワックスによる原作) /1932-36年(ブロンズによる鋳造)、ブロンズ、着彩、木綿のスカート、絹のリボン、木製の台

写実的なのかもしれないが、その細さ、表面の凸凹、経年劣化してしまった木綿のスカートが一層彼女の置かれた環境の厳しさを想像させる。

 

エドガー・ドガ《控室の踊り子たち》1889年頃、油彩、カンヴァス



ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 (可愛いイレーヌ) 》1880年 油彩、カンヴァス  65X54cm

裕福な銀行家のルイ・カーン・ダンヴェール伯爵の長女、イレーヌを描いた作品。当時8歳であったイレーヌの栗色の豊かな髪やあどけない表情が、背景に描かれた深い緑の茂みによって引き立てられている。ルノワールによる子どもの肖像画の代表作の一つである本作品は、1881年のサロンに出展され好評を博した。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《夏の帽子》1893年 油彩、カンヴァス

1878年頃から肖像画の依頼が増えたため、一時、印象派を止めて、モデルをきちんと描写する古典的なデッサン重視の描き方をしていたルノワール。しかし、1888年代からまたタッチ本位の描き方に戻り、自然や母性愛などを主題を扱うようになった。

日本初公開
ピエール=オーギュスト・ルノワール《泉》1906年 油彩、カンヴァス 92×73cm

本作品の制作当時、65歳であったルノワールの健康状態は深刻化していた。度々、リウマチの発作に見舞われ、手の関節が変形したことによって絵筆を持つこともままならない状態となったのだ。しかしながらその創作意欲が衰えることはなく、本作品でも豊麗で愛らしい裸婦が生命力豊かに描き出されている。


6. ポール・セザンヌ

マネ、モネ、ルノワールなど、ビュールレ・コレクションの印象派の傑作は枚挙に遑(いとま)がないが、中でも白眉と言えるのがセザンヌの充実したコレクション。6点の出品作は、暗い情念を感じさせる初期のバロック的宗教画から、印象派の筆触を独自に展開させた風景画、最盛期の妻の肖像と自画像、キュビスムの先駆を思わせる最晩年の作品まで、この画家の作風の変遷を明らかにしている。そして、近代美術の金字塔ともいえる《赤いチョッキの少年》は、絵画を見ることの喜びの全てを私たちに与えてくれる。

 

ポール・セザンヌ《風景》1879年頃 油彩、カンヴァス

 

ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》1888-90年 油彩、カンヴァス 79.5×64cm

セザンヌの肖像画の中でも最も有名な作品。肘(ひじ)を突き、物思いに耽(ふけ)る少年。頭を支える腕の直線や、背中や手前に長く引き伸ばされた腕の曲線が、カーテンやテーブルクロスの斜めの線と絶妙な均衡を保っている。画面周辺の沈んだ色調に囲まれ、少年の顔と赤いチョッキ、右腕を包むシャツの白さが際立っている。

ポール・セザンヌ《パレットを持つ自画像》1890年頃 油彩、カンヴァス 92×73cm

セザンヌの自画像の中で最大のサイズを誇る。画家としての自負に溢れたポーズで、堂々と立つ50歳頃のセザンヌ。頭部や両肩の丸みに、パレットとカンヴァスの鋭い四角形が対比されている。簡素な黒い仕事着に包まれた体躯が、がっしりと立体的に捉えられている。

日本初公開
ポール・セザンヌ《庭師ヴァリエ(老庭師)》1904-06年 油彩、カンヴァス 65×54cm

1902年にセザンヌは、南仏レ・ローヴの丘に新しいアトリエを建てた。少し坂を上るとサント=ヴィクトワール山を一望できるこの絶好の場所で最晩年を過ごしたセザンヌ。その身の回りの世話もしていた庭師ヴァリエは、最後のモデルでもあった。未完の本作品は、晩年に特有の瑞々しく軽やかなタッチで覆われている。


7. フィンセント・ファン・ゴッホ

セザンヌと並ぶポスト印象派の代表的画家ファン・ゴッホのコレクションも大変充実している。6点の出品作はこの画家の様式の変遷を辿るのに十分な多様性を見せているが、それが僅か6年の間に描かれたものと知る時、驚きと戸惑いが私たちを襲う。炎の人と呼ばれるこの画家が、いかにその短い生涯を燃やし尽くして作品を生み出したのか、6点の作品が雄弁に物語る。そして、作者と作品とが分かち難く溶け合い見るものに迫る、という体験もこのファン・ゴッホから始まる。

フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くマロニエの枝》1890年 油彩、カンヴァス 73×92cm

サン=レミの療養院を退院した後、ファン・ゴッホは、パリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズで印象派絵画の愛好家でもあったポール・ガシェ医師と多くの時間を過ごした。かつてガシェ医師が所蔵していた本作品では、厚みを増した筆触を特徴とし、画家がパリ時代に取り入れた新印象主義の手法を独自に発展させたことを示している。

フィンセント・ファン・ゴッホ《日没を背に種まく人》1888年 油彩、カンヴァス 73×92cm

1888年にパリからアルルに居を移したファン・ゴッホは、ジャン=フランソワ・ミレーの同名の作品から想を得て、油彩や素描で繰り返し、この主題に取り組んだ。浮世絵からの影響が明確に示された本作品では、画家は画面の上下を断ち切り、樹木と対比させることで、鑑賞者の視線を人物に惹き付けている。


8. 20世紀初頭のフランス絵画

19世紀後半のフランス絵画は、印象派やポスト印象派の画家たちによる造形的な探求が進み、20世紀のモダン・アートへの道が用意された。一方で、造形的な探求に飽き足りず、人間の内面に迫ろうとする画家たちも世紀末になると登場し、20世紀絵画のもう一つの方向性を示す。この章では象徴派やナビ派、綜合主義などに分類される、ヴュイヤール、ボナール、ゴーギャンといった画家たちの、時にメランコリック(憂鬱な)、あるいは謎めいた作品の数々をご紹介する。

日本初公開
ポール・ゴーギャン《贈りもの》1902年 油彩、カンヴァス 68.5×78.5cm

タヒチのパペーテを離れたゴーギャンは、1901年にマルキーズ諸島のヒヴァ・オア島アトゥオナに移住しました。西洋の文明社会から逃れ、タヒチでの生活を始めて以降、ゴーギャンは現地の人々を鮮やかな色彩と平面的な構図の中に描き出した。新しい命の誕生を祝って花を贈る場面を主題とした本作品では、タヒチ時代の様式に加え、女性の肌には繊細な色調表現が認められる。

日本初公開
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《コンフェッティ》1894年 油彩、カンヴァス 55.5×43cm

本作品は、イギリスの製紙会社J.&E.ベラ社のために制作されたポスターの習作。コンフェッティとは、カーニバルの時に使用される紙吹雪を意味している。1890年代、トゥールーズ=ロートレックは、役者や踊り子、そして歌手をモデルに多数のポスターを制作した。楽しげな表情を浮かべる女性は、画家が長年描き続けていた女優のジャンヌ・グラニエをモデルとしている。


9. モダン・アート

この章ではピカソやブラックなど、20世紀のモダン・アートをご紹介する。ビュールレ・コレクションの大半は1940年以降の10数年間に収集されているが、抽象絵画など当時の現代美術は含まれていない。コレクションの中で最も新しいものは20世紀初頭のフォーヴィスムやキュビスムなど、その後の絵画の急激な変貌を予兆するモダン・アートの一群の作家たち。僅かな時間の間に目まぐるしいほどの変化を見せる彼らの作品は、20世紀初頭の絵画革命の熱気を生き生きと伝えてくれる。

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリニスト》1912年 油彩、カンヴァス 100×73cm

1908年以降、ブラックはピカソと共に、物体を平面的な小さな面に解体し、それらを再構成するキュビスムの絵画を作り上げるようになった。1912年に制作された本作品では、演奏者のイメージは細かく分解されているが、ヴァイオリンの4本の弦とf字孔ははっきりと認識できるように描かれている。

日本初公開
パブロ・ピカソ《花とレモンのある静物》1941年 油彩、カンヴァス 92×73cm

1940年にナチスによるパリ占領が始まっても、ピカソはパリのグラン=ゾーギュスタン通りのアトリエで作品を制作し続けた。1944年のパリ解放までの間、ピカソが描いた静物画は戦争の暗い影を落としている。本作品で一際、目を引く画面を分割する黒い線は、占領下の不安や苦悩を感じさせる静物画に度々、現れた。

日本初公開。撮影可。 
クロード・モネ《睡蓮の池、緑の反映》1920/26年頃 油彩、カンヴァス 200×425cm 

門外不出と言われたモネの《睡蓮の池、緑の反映》は高さ2m×幅4mの大作。睡蓮や池が映し出す複雑な色彩の変化を捉えた「睡蓮」シリーズの日本初公開作品であり、必見の一作だ。

1883年、ジヴェルニーに移り住んだモネは、自宅の敷地内にエプト川から水を引き、睡蓮の池を作り上げた。植物の様々な色彩を映し出し、時の流れに応じて表情を変える水面は、画家の後半生の創作の中心的モティーフとなった。ビュールレはパリ郊外のジヴェルニーに実際に足を運ぶなどしており、モネの睡蓮を主題とする作品に特別な関心を持っていた。1951年、ビュールレは亡きモネのジヴェルニーのアトリエに保管されていた「睡蓮の池」を主題とする作品2点を購入し、それらをチューリヒ美術館に寄贈した。その翌年、モネの大回顧展がチューリヒ美術館で開催され、その際に出品されていた《睡蓮の池、緑の反映》を目にし、モネの遺族から購入した。

 


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