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冬の「旧古河庭園」「六義園」を巡る

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年末に液晶テレビの寿命が来て、AKIBAのヨドバシカメラで、

AQUOSの4KエントリーモデルのLC-40U45を購入した。

 

その顧客サービス品として選んだ「越後磯おかき」(みゆき堂本舗) が届いた。

 

 

 

 

 

よく底冷えのする冬日が続く中、

 

今日1/26(金)午後は、「旧古河庭園」⇒「六義園」を梯子(はしご)した。

 

往きはJR京浜東北線で上野駅⇒上中里駅。

徒歩で「古河」⇒「六義」の移動。

帰りはJR山手線で駒込駅⇒上野駅。

ウォーキング12,100歩の大台。

 

梅も咲いていず、もの寂しかったが静寂に心洗われる思いだった。

 

 

*

 

 

 「平塚神社」 (北区上中里1-47-1)

 

□ 概要

 

この地は、奈良時代には武蔵国豊島郡「荒墓郷」と呼ばれており、律令制/条里制の区画整理が行われて、その中で「中里」「上中里」の村名が生まれた。

平安時代後期の「後三年の役」(1083~87年、源氏vs清原氏)の帰路に、源氏の棟梁・源義家(八幡太郎)、義光(賀茂次郎)・義綱(新羅三郎)の3兄弟が逗留。平安時代末期から「平塚郷」と呼ばれ、秩父平氏/豊島氏が「平塚城」を築いた。神社は、豊島氏が、後に源氏3兄弟を「平塚三所大明神」として奉祀・鎮守としたことが起源。

 

 

イケメン

 

 

■ 「旧古河庭園」 (北区西ケ原1-27-39)
 

□ 関連ブログ

「旧古河庭園」の春バラ、「平塚神社」「滝野川公園」を巡る(2016-06-14)

 

 

□ 概要


明治の元勲・陸奥宗光の邸宅 ⇒ (次男が古河財閥の養子になった)古河家の所有
⇒ 1917年、西洋風の館と庭園が造られ、迎賓館 ⇒ 戦時中は陸軍に接収 

⇒ 終戦後は連合軍に接収 ⇒ 東京都に移管 ⇒ 1956年、都立公園として開園(面積30,781㎡) ⇒ 2006年、文化財保護法により国の名勝に指定。
 「洋館」・・・新小松石(安山岩)による石造り。 「洋風庭園」のバラは約90種180株。"春バラ"は5~6月、"秋バラ"は10~11月。

 

 

 

 

受付に置かれた福寿草、バックは写真の洋館。

 

 

雪囲いの牡丹

 

洋館

 

九日月

 

下段はツツジ園、上段はバラ園

 

展望台に立っていたら、日本庭園から撮影ロケ隊のような集団が上って来た。

 

心字池、雪見灯籠を見下ろす。

 

心字池の一部に氷が張っている。

 

 

 

*

 

 

 

■ 都立「六義園」 (文京区本駒込6-16-3)

□ 関連ブログ
2015師走入り、「六義園」で色づき始めた紅葉を鑑賞した(2015-12-02)
 

 

□ 概要

 

赤穂浪士討ち入り(元禄15/12/14)の直前に完成した、川越藩主・柳沢(⇒松平)吉保の庭園。
加賀藩下屋敷 ⇒川越藩下屋敷・庭園⇒ 三菱・岩崎家別荘・庭園⇒東京市庭園へと変遷。
①小石川「後楽園」とともに江戸二大庭園
②紀州「和歌ノ浦」の景勝を模した、中の島を有する大泉水名園
③都区内有数のモミジ名所。



金箔のような蝋梅(ロウバイ)


躑躅(ツツジ)茶屋

 

 

 

水分石

 

千鳥橋、滝見茶屋

 

吹上浜、吹上茶屋、吹上松の雪吊り

大泉水

 

吹上浜、蓬莱島、妹山・背山

大泉水

手前はソテツの雪除け

 

内庭大門、石灯籠

手前はシャガ

 

竹造りの庭門

 

 

 


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