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お正月準備が進む浅草(partⅡ)・上野

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12/23(土・祝)は少し暖かくなった。

一昨日に続き、地元のお正月準備風景を取材した。

 

 

リブログ

 

 

■「鳥越神社」(別称「鳥越大明神」「白鳥大明神」、台東区鳥越2-4-1)

景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀り、その後は白鳥村と呼ばれた。651年に創建。村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされる。

 

1月8日はどんと焼。


主祭神は日本武尊と天児屋根命(あめのこやねのみこと、春日権現・春日大明神とも呼ぶ。岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いた時に太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連の祖となった) 。 仁明天皇の御代に武蔵国司となった藤原氏が祖神を合祀した。


前九年の役制圧(1051年の源頼義の奥州赴任~1062年の安倍氏滅亡)のため、源頼義・義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護と称(たた)え、「鳥越大明神」の社号を奉った。


例大祭は、6月9日に近い土・日曜。千貫神輿は都内最大級を誇る。



 

 

■「下谷神社」 (旧称「下谷稲荷明神社」、東上野3-29-8)

 

 

 



730年建立。都内最古の稲荷神社だと言われる。上野忍ケ岡の地に鎮座していたが、寛永年間の1627年に境内が寛永寺となるに当たり下谷に移転した。1872年に「下谷神社」と改称。

旧町名の稲荷町は、この神社の旧称が由来。今は東京メトロ銀座線の稲荷町駅に名を残す。


例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は千貫神輿(台輪幅4尺1寸)と言われれ、大きな威容を誇る。
社殿の天井画「板絵着色雲竜図」は横山大観の作。1798年に初代・三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれたため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑がある。 

 

 

*

 

 

■ 「五條天神社」 (別称「医薬祖神」「下谷天満宮」、上野公園4-17)

 

茅(ち)の輪をくぐって「年越の大祓(おおはらえ)」。

 

(伝)110年に創建。日本武尊東征の折りに大己貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀った。
室町時代中期には上野山に鎮座。江戸期には寛永寺の拡張などで社地は何度か移転した。


1641年に天神様を合祀。「下谷天満宮」とも呼んで "歌の道の祖神" として信仰されるようになった。

 

 

□ 併設の「花園稲荷神社」

 



「五條天神社」が移転してくる以前からこの地に在った。
幕末には上野戦争(黒門・穴稲荷門の戦い)の舞台ともなった。

1873年に周囲が寛永寺の花畑であることから「花園稲荷神社」と改名された。
 

 

■ 「上野精養軒」 (上野公園4-58)

 

 

 

■ 「上野東照宮」 (上野公園9-88) 

築城の名手・藤堂高虎 (伊予今治藩主⇒伊勢津藩主) が1627年に創建。
 

ぼたん苑は1月1日~2月25日に開園。

 

 

□ 「旧寛永寺 五重塔」

 

 

 

■「不忍池弁天堂」 (上野公園2-1)

比叡山延暦寺に倣(なら)って寛永寺を創建した天海僧正が建立。天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々在った聖天(しょうてん)が祀られた小島を竹生島に、竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)に見立てた。不忍池の四方からお参りできるよう八角形の御堂となっている。

ご本尊の八臂(はっぴ)弁才天は、"音楽と芸能の守り神" として信仰されている。

ご開帳は9月の巳成金(みなるかね)大祭の日。

 

氷川きよしさんはじめ演歌歌手、林家正蔵さんたちが奉納。



 
□「大黒天堂」

 

 

 

■ 「不忍池」

 

子供を惹き付けるカモと白バト。

メタセコイアの落葉、朽ちたハス。

ハスの花床が実を食べられて・・・

夥(おびただ)しい数のスズメ。お宿ではなくエサをやる老婆が傍に居るから。

 

 

*

 

 

今日のサイクリング&ウォーキング3,200歩と軽め。

 

 


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