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「東京国立博物館 ~2017秋の庭園開放」に行きました。

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「東京国立博物館」(略称:トーハク、台東区上野公園13-9)

本館北側に、四季折々の花や紅葉に彩られる庭園。

春の桜の季節と秋の紅葉の季節には一般に開放されている。

入館料は大人620円、大学生410円、高校生以下は無料。

特別展以外の各館常設展も鑑賞できる。



YouTube 東京国立博物館 --庭園と茶室

 


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2014春の庭園開放

 

■ 春の庭園開放:2017年3月14日(火)~5月7日(日)  10:00~16:00 
 

庭園へは東洋館レストランラコール脇から入園する。エドヒガンザクラ、オオシマザクラ、ギョイコウザクラなど10種類もの桜が次々と開花する庭園は、1年で最も美しい花の園になる。


■ 秋の庭園開放:2017年10月24日(火)~12月3日(日)  10:00~16:00


入口は2ヵ所の何れからでも。

①本館を正面に見て右側、レストラン「ゆりの木」側の入口、

②本館を正面に見て左側、平成館との間の入口。

 

5棟の茶室は茶会・句会等に利用。会員向けに「庭園茶室ツアー」「応挙館茶会」を月に1~2回程度実施。

5代将軍徳川綱吉が法隆寺に献納した五重塔や、石碑や燈籠などが庭園には遺されている。

 

かつてあった動植物の研究部門「天産部」の名残で、珍しい樹木や野草が植えられている。

池に遊ぶカモやセキレイなど野鳥の訪れも楽しい季節。

燃え立つようなイチョウの黄、池の水面に映るモミジの赤、春とはまた異なるしっとりとした風情を楽しむ。

 

 

博物館構内地図

 

 

 

<追記>

庭園散策MAP

 

 

 

 

 

■ 本館 庭園

 

シダレザクラ

アカメガシワ

 

★春草廬(しゅんそうろ)


江戸時代、河村瑞賢(かわむらずいけん1618~1699年)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、その後大阪へ、さらに原三渓(1863~1939年)によって横浜の三渓園に移され、1937年に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875~1971年)の柳瀬荘内に移築された。1948年に柳瀬荘が当館に寄贈され、1959年に春草廬は現在の位置に移された。入母屋の妻に掲げられた「春草廬」の扁額は、能書家として知られる曼殊院良尚法親王(1622~1693年)の筆で、三渓が耳庵に贈ったもの。木造平屋建て、入母屋造、茅葺き、座敷は5畳と3畳からなる。

 

(妻が撮影)

(妻が撮影)

 

 

ムクノキ

ヤマザクラ

 

★転合庵(てんごうあん)


小堀遠州(1579~1647年)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折り、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令・福島県知事・男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築した。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっている。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなった。その後、塩原又策(三共、今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から1963年に茶入とともに当館に寄贈された。

 

 

池を巡りながら本館を望む。

 

(妻が撮影)

池の畔のイロハモミジ

サンゴジュ

池の畔の大きなドウダンツツジ、そのスキ間からイロハモミジ

 

 

★六窓庵(ろくそうあん)


慶安年間(1648~1652年)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもので、元は興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室と言われた。1875年に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破したが、幸い材は流失をまぬがれて1877年に当館に移築された。その後、第二次大戦中再び解体され疎開したが、1947年、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたもの。入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584~1656年)好み。水屋、寄付、腰掛などは1881年に古筆了仲(こひつりょうちゅう)によって設計・増築された。にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤と言われる形式のもので、925年、関白の藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔の一つだった。その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、1885年に当館の所有になった。

 

 

 

イスノキ

ツバキ

 

★応挙館(おうきょかん)


尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院、明眼院(みょうげんいん)の書院として1742年に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁、 1848~1938年)邸内に移築、1933年、当館に寄贈され現在の位置に移された。室内に描かれている墨画は、1784年、円山応挙(1733~1795年)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられている。松竹梅を描いた床張付が遺されている。墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されているが、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙揮毫当時の絵画空間が応挙館に再現された。木造平屋建て、入母屋造、瓦葺き、間口15m、奥行き9m、2室、廻り廊下を巡らしている。

 

ザクロ

サザンカ

 

ミツデカエデと甍(いらか)の調和

 

 

★九条館(くじょうかん)


元は京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていた。1934年に九条家から寄贈され、現在の位置に移築された。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされている。木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造、間口15m、奥行き10m、2室、廻り廊下を巡らしている。

 

(妻が撮影)

狩野派山水画が見える

 

メグスリノキ

カンザンザクラ

 

★大燈籠

2017年6月に8年間の修理期間を終えた「大燈籠」が、茶室「九条館」の前に戻って来た。この燈篭は、れっきとしたトーハクの館蔵品(列品:G-4218)。京都で、現在も代々続く陶家・清水六兵衛家の四代(1848-1920年)によるもので、陶製である。四代が61歳の時に作り、1938年に五代によって寄贈された。陶製の燈籠という、器にとどまらない四代の作風の幅の広さを伝えるものとして、大変貴重な作例。その大きさ、迫力に驚く。総高は2m30cm強。宝珠、傘、火袋、中台、竿、基礎部、の大きく6つの部分から成り、総重量は1tを超える大変堂々とした作品。


 

 

ボダイジュ

 

★ 石灯籠

 

 

トウカエデ

(妻が撮影)

 

オオシマザクラ

シダレザクラ

 

本館側から池の向こう岸、                       転合庵↓

 

池を眺めながらキッチンカーのコーヒーブレイク。

 

ヤエベニヒガン

 

 

★ 五重塔


高さ5.7mの銅製の塔。最上部の相輪には龍が絡み付き、垂木(たるき)、斗拱(ときょう)の組み物の細部まで入念に作られている。基壇に第5代将軍徳川綱吉(1646~1709年)が法隆寺に奉納した旨の銘文「大和国法隆寺元禄元年十二月日常憲院徳川綱吉」が線刻されている。綱吉の存命中に、院号と俗名を併記することは一般的にないため、没後奉納時の年号と施主の銘文が書き加えられたのだろう。

 

 

ハゼノキ、本館裏

                                            五重塔↑

 

ホオノキ

ケンロクエンキクザクラ

 

 

*

 

 

庭園巡りを終えて、博物館の各施設も巡回した。

 

 

■ 本館正面

 

イチョウ、ユリノキ、サクラ

ケヤキ、イチョウ

大きなイチョウ (妻が撮影)

 

 

■ 表慶館

 

本館正面のユリノキ紅葉も終わりに近づいた。

 

(妻が撮影)

 

 

 

 「フランス人間国宝(メートル・ダール/Maître d' Art)展」 を開催中[ 11/26(日)まで]。

 

一対の獅子(ライオン)像の吽形(うんぎょう)。

 

 

■ 黒門、鬼瓦

 

            ↓ 黒いカラスが、黒門脇の黒い鬼瓦に止まったとさ。

 

 

■ 法隆寺宝物館

 

 

■ 平成館

 

「興福寺中金堂再建記念特別展 ~運慶」を開催中 (11/26(日)まで)。

長い列が続いていた。
 

 

■ 東洋館

 

 

 

 

 

今日のウォーキング7,500歩。

 

 


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