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今日は「看護の日」。入院したこと、ある?【ブログネタ】

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私の病院入院の経験は、小学低学年の時に2回、高校2年の時に1回である。

が、大学以降は幸い、全くない。

 

四十の厄年に患った胃潰瘍も投薬で治癒(ちゆ)したし、腰痛の持病も整骨院通いをしなくてウォーキングによって持ち堪(こた)えている(笑)。

 


私は幼少の頃から風邪を引くと高熱に侵されるとともに、鼻炎に悩まされ、始終、鼻汁を啜(すす)り青白い顔色をした男児だった。

北陸の寒冷で湿った気候・風土の影響か? 成長とともに深刻になっていた。

 

当時の医師の施術は荒療治。

小学1~2年生の時に、金沢市内の病院で、増殖したアデノイド(咽頭扁桃)と腫れがちな扁桃腺(左右)を3回に分けて切除する外科手術をした。

そんな手術入院をしたのは、姉妹兄弟4人の中で私だけだった。


振り返れば、これら一連の手術で効果が現れたのは、風邪を引いた場合に高熱を出さなくなったこと。

従って、中学生以降は身体が伸びシルバーに至るまで熱を出すことはなかった。
ということは、黴菌(バイキン)が侵入してもアラームが発せられない身体になってしまったのネ(笑)と自嘲して来た。

 

一方、鼻炎の方は成長しても一向に治(おさ)まらず受験時代にはハンディになっていた。
ところが、こちらの方は鼻の外科手術は容貌を変えてしまうと恐れた---折角、ハンサムに産んだ息子(笑)---、母の知人の克服談で、塩水で鼻腔(びこう)を洗うというハードな毎朝の自助治療法を繰り返した結果、大学生の頃には何時の間にか治癒(ちゆ)して来たのだ。

 

 

他方、中学生から高校生の時期にかけて、私は動悸・眩暈(どうき・めまい)や手の震えなどの症状が顕著になっていた。
そして金沢大学附属病院で甲状腺機能の亢進症(バセドー病)の診断を受け、父母は切除手術ではなく放射性沃素(ようそ)のアイソトープ治験薬に頼ろうと決めた。


受験期の長期入院生活は精神的に辛いものであった。しかし結果として、この治療法が奏功したのだ。
そして、一浪したものの有意義な大学生活を過ごし、社会人として横浜へと向かうことができた。

 

水泳女子の星奈津美さんは、遂に切除手術を決めて克服し、再びオリンピックに挑む。

同病者にとって励みとなる存在だ。

 

 

そんなこんなで、思春期の私は病気と向き合う時間が多かったのだが、幸い、成人以降は順調に生活して来れた。

 

*

 

 

ところで、5月12日、今日は「看護の日」。


看護と言えば、私の母は、従軍助産婦~田舎の個人助産婦~金沢の産婦人科医院の助産婦をしていた。
金沢の国立助産婦学校に学び、中国大陸の上海・北京・平壌・京城へ、横浜・本牧から日本赤十字社として派遣された思い出を、よくアルバムを説明しながら語ってくれた。

 

 

我が国の従軍看護婦の歴史をチェックすると---
1891年、新島八重をはじめ上流階級の女性は篤志看護婦になり、1894年には日本赤十字京都支部が救護員を広島予備病院に派遣された。
1894~95年の日清戦争において、日赤看護婦が当時のマスコミによって初めて従軍看護婦として宣伝された。
1931~45年の満州事変・日中戦争・太平洋戦争において、出動した従軍看護婦は、日赤出身者だけでも延べ35,000名、うち1,120名が戦没した。

 

 

その母は、4人を産んだ後には内臓疾患の兆候が著しくなり、アチコチの切除手術と大量の投薬を経て、とうとう胃癌が全身に転移して、痛い痛いと呻(うめ)きながら50代で早世した。


来月の命日で、丁度、四十回忌を迎える。



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