6/11(日)午後、鳥越⇒柳橋⇒両国橋⇒両国⇒横網(よこあみ)をサイクリングした。昨日よりは涼しい。
■「鳥越神社」(台東区鳥越2-4-1)の夏祭り真っ最中。
景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀り、その後は白鳥村と呼ばれ、651年に村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされる。
主祭神は日本武尊と天児屋根命(あめのこやねのみこと、春日権現・春日大明神とも呼ぶ。岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、中臣連の祖となった) 。 仁明天皇の御代に武蔵国司となった藤原氏が祖神を合祀した。
前九年の役制圧(1051年の源頼義の奥州赴任~1062年の安倍氏滅亡)のため、源頼義・義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、「鳥越大明神」の社号を奉った。例大祭は、6月9日に近い土・日曜。千貫神輿は都内最大級を誇る。
□ 鳥越~蔵前付近は、
初夏の花や果実が祭りに彩りを添えている。
ビワの熟しつつある実
「初夏の街 アジサイの花 清く清けき」
カシワバアジサイ
ガクアジサイ
□ 大川端==神田川の「柳橋」(南岸・中央区東日本橋2丁目~北岸・台東区柳橋1丁目)~~
大川==隅田川の「両国橋」(西岸・中央区東日本橋2丁目~東岸・墨田区両国1丁目)付近にも
ブドウの青い実、アジサイが広がる。
窓に柳橋が映っている。
ガクアジサイのスミダノハナビ(右)など
■ 浄土宗諸宗山無縁寺「両国回向院」(墨田区両国2-8-10)
"振袖(ふりそで)火事" と呼ばれた「明暦の大火」(1657年)の焼死者10万8千人を幕命(当時は第4代将軍・徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。
イチジクの青い実(奥)
犬猫供養塔(中)の手前に生きた野良猫が眠っていた。
後に「安政大地震」をはじめ水死・焼死・刑死など横死者の無縁仏も埋葬する。あらゆる宗派だけでなく全ての生あるものを供養するという理念から、軍馬慰霊碑・犬猫供養塔など、様々な動物の慰霊碑・供養碑も多数ある。
1793年、老中・松平定信の命によって造立された水子塚は水子供養の発祥とされている。
著名人の墓として、山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉(下の写真)など。 参拝客のために両国橋が架けられた。
"悪しきをば見ざる聞かざる言わざる" (三猿) が良し。
ヒイラギナンテンの実。
1833年から境内で勧進相撲が興行され、これが今日の大相撲の起源となった。その後は、1909年に旧「両国国技館」(両国2-8-10)⇒1954年に「蔵前国技館」(現「東京都下水道局蔵前庁舎処理場・蔵前水の館」、蔵前2-1-1)⇒1984年に現「両国国技館」(横網1-3-28)へと遷移。
■「両国国技館」「相撲博物館」(墨田区横網1-3-28)
「東日本学生相撲選手権大会」が開催された。
■ 都立「江戸東京博物館」(横網1-4-1)
■ 区立「旧安田庭園」(横網1-12-1)
江戸時代に常陸笠間藩(後に丹後宮津藩)・本庄松平氏の下屋敷で、潮入り回遊式の大名庭園として整備された。明治時代1889年に安田財閥の祖・安田善次郎が所有。大正時代1922年に東京市へ寄贈したが翌年の関東大震災で倒壊。昭和時代1927年に復元し市民の庭園として開園。1967年に墨田区へ移管。「浜離宮恩賜庭園」「旧芝離宮恩賜庭園」とともに、隅田川の干満を利用した潮入りの池を持つ庭園だったが、現在は人工的に水位の干満が再現されている。
雪見灯籠の配置。
クチナシの花。
庭園内の「駒止稲荷」。
■ 都立「横網町公園」「東京都復興記念館」「東京都慰霊堂」(横網2-3-25)
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