次はどんな髪型にしてみたい?
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■「丁髷」(「ゝ髷」、ちょんまげ。英語: topknot)の歴史
□ 戦国時代(15世紀後半~16世紀)
武士の兜(かぶと)が改良され、頭に密着し防御力が高まった反作用として、兜を被(かぶ)った時に頭が蒸(む)れるようになってしまったため、
戦いの前には前頭部~頭頂部にかけて、頭髪を抜いたり剃(そ)ったりするようになった。
剃り上げた部分を「月代」(さかやき)、結った部分を「髷」(まげ)と呼び、更にその形から俗称として「丁髷」(「ゝ髷」、ちょんまげ)と呼ぶようになった。
□ 江戸時代(1603~1868年)
武士たちは、平和な世になったにも拘わらず、その清潔感や好感度の高さから、日常的に頭を剃って「月代」にし、髪を結って「丁髷」を作るヘアスタイルが確立した。
男性の丁髷や女性の髪を結った職業の者は、風呂屋などで行う場合には「髪結」(かみゆい)、自分の店を持つ場合には「髪結床」や「床屋」と呼んだ。
□ 明治維新以降(1868年~)
1871年、明治維新政府は(太政官の布告として)、「散髪脱刀令」(「断髪令」)によって武士が髷を切り刀を差すのを止めてよくなった。
ところが、髷を切り帯刀を止めることに反対する武士がいたり、逆に断髪を自ら行う都会の女性がいたりしたため、
1872年に東京府が「婦女子散髪禁止令」を出し、1876年には太政官が軍人・警官以外の「帯刀禁止令」(「廃刀令」)を出した。
これに反対した女性たちが、この1872年4月4日を「ヘアカットの日」にした。
尚、現在に至るまで髷を結う風習・風俗は大相撲に残っており、力士の髷を結い上げる職業もまた今も「床山」と呼んでいる。
■ 美容専門学校の設立
1897年、「横浜オリエンタル・ホテル理髪部」(芝山兼太郎) が婦人部を併設した。但し、外国の女性限定。
1906年、日本の一般女性を対象にした「遠藤理容館」(遠藤波津子)、1910年「美粧倶楽部」(山本久栄) を開店した。
1906年、理髪業界が技術向上を図る目的で「大日本美髪会」を設立した。
1913~1916年、美容専門学校の設立認可が相次いだ。
1913年「東京女子美髪学校」、1914年「日本女子美髪学校」、1916年「大阪美髪女学校」。
1918年、全国に先駆けて大阪府で「理・美容師試験制度」が公布された。
その後の設立。
1922年、肌と髪の手入れ法や化粧法を教える専門校として「日本女子美容術学校」。
1922年「丸ノ内美容院」、1924年「神戸美髪九十九学校」、1926年「高木女子美髪学校」など。
■ お題「次はどんな髪型にしてみたい?」
年金生活に入ってからは、「カットセブン」(理髪料700円)で散髪し、妻にヘアダイをしてもらっている。それで満足。
妻は美容室で。