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ボブ・ディラン「ノーベル文学賞」の衝撃!!

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10/13(木)、世界を電撃が走った!! 

2016年「ノーベル文学賞」はボブ・ディラン(Bob Dylan, 1941/5/24米国ミネソタ州ダルース生まれ)!!

 

何ぃぃぃーーー!! 文学賞にシンガーソングライター!?

それもあろうことかリジェンド「吟遊詩人」に!?

いつの間に、文学賞から文芸賞に変わったんかい??

 


まあ、1927年の仏哲学者アンリ・ベルクソン(著作「笑い」など)、1953年の英国ウィンストン・チャーチル元首相(回顧録「第二次世界大戦」など)にも授与したサプライズの前例はあった・・・。

 


□ 伏線、伏流水もあるにはあった・・・。

 

 

1991年2月、グラミー賞生涯功労賞。

授賞式では湾岸戦争開始直後の好戦気分溢れる時期でありながら「戦争の親玉」をハードロックアレンジで歌い聴衆の度肝を抜いた。


1997年2月、アルバム「タイム・アウト・オブ・マインド」グラミー賞の年間最優秀アルバム賞。

 

1997年9月、イタリア・ボローニャで行われたカトリック教会のイベント、世界聖体大会の教皇ヨハネ・パウロ2世の前で「風に吹かれて」演奏。

教皇は2万人の会衆に対して「風に吹かれて」の歌詞をモチーフとした説教を行った。

 

1997年12月、ホワイトハウスにてクリントン大統領夫妻からケネディ・センター名誉賞を受賞。

 

2007年2月、「モダン・タイムズ」と「サムデイ・ベイビー」でグラミー賞2冠。


2008年4月、「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞。


2012年7月、米オバマ大統領より大統領自由勲章(文民に贈られる最高位の勲章)が、レコードデビュー50周年を迎えたボブ・ディランに対して授与。

 


□ ボブ・ディランへの授与理由

 

 

スウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長のインタビュー。


ディラン氏が紡(つむ)ぎ出す詩の数々は、古代ギリシャの詩人ホメロスらの創作活動と共通している。古くから詩人は、自身の作品が単に読まれるだけでなく、(朗読などによって)聞かれること、実演されることを念頭に創作を行って来た。ディラン氏も同じだ。


ノーベル文学賞の選考対象範囲が拡大された訳ではない。ディラン・ファンの間で名作と呼び声が高い1966年のアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」を取り上げ、見事な詩作が示された非凡な例だ。文学作品として歴代の授賞と同様に評価した点は特異ではなく変わらない。

 

 

□ ボブ・ディラン受賞に異議を唱える人々

 


フランスの小説家ピエール・アスリーヌ氏のインタビュー。

 

ディラン氏の名はここ数年頻繁に取り沙汰されてはいたが、私たちは冗談だと思っていた。
今回の決定は作家を侮辱するようなものだ。私もディランは好きだ。だが(文学)作品はどこにある?スウェーデン・アカデミーは自分たちに恥をかかせたと思うと、選考委員会に対する憤りを露わにした。

 

 

英スコットランドの小説家アービン・ウェルシュ氏のインタビュー。


私はディランのファンだが、これは呆(ぼ)けて支離滅裂の年寄りヒッピーたちの、悪臭を放つ前立腺が捻(ひね)り出した検討不足で懐古趣味(ノスタルジー優先)の賞だ、とディラン氏の選出を酷評した。

 

 

□ ボブ・ディラン受賞の意義を表する人々

 


音楽評論家の萩原健太氏、文芸評論家の川村湊氏らのインタビュー。


代表曲「風に吹かれて」(1963)は歌詞に並べた問い掛けに曖昧さを取り入れ、歌詞に暗喩(あんゆ)・隠喩(いんゆ)を散りばめ、良い言葉が良い順序で配置されたことによって、聴き手毎に異なる世界観を届け、時代を超えた歌になった。

 


 

 

54年間に亘って、アメリカ歌謡の伝統の中で、英語圏(英語話者)の文学的伝統の流れを汲む詩人。常に新しい境地を開き、新しいアイデンティティ(新たな詩的表現)を創造して来た。

 

吟遊詩人を選んだということは文学の原点回帰とも言える。「風に吹かれて」(1963)「時代は変る」(1964)「ライク・ア・ローリング・ストーン」(1965)など、彼のメッセージ性の強さ反戦運動や公民権運動におけるプロテストソングが評価された。


また「追憶のハイウェイ61」(1965)「ブロンド・オン・ブロンド」(1966)「血の轍(わだち)」(1975)などのアルバム作品、「ネヴァー・エンディング・ツアー」(終わらぬ旅)と表現する人もいる1980年代後半からのコンサートツアーはもまた、彼を称賛する声は絶えない。


「ブロンド・オン・ブロンド」(Blonde on Blonde)1966年5月リリース

Amazonで購入

 

 

 

□ ボブ・ディランの影響を受けているアーティストは?

 


1963年、モンタレー・フォーク・フェスティバルで共演したジョーン・バエズは、以後積極的にディランの楽曲を歌い行動を共にすることが多くなる。ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて」がビルボード2位のヒットを記録する。


ワシントン大行進で演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは次第に「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされ、反戦などメッセージを強く訴えた。

 

 

ビートルズやローリング・ストーンズをはじめイギリスのミュージシャンとの交流が芽生えた。ビートルズは、ディランの影響により「ラバー・ソウル」という深みのある作品を創り出した。
1965年頃のジョン・レノンが熱病のごとく傾倒し、作風から精神面、スタイルに至るまでディランに触発され、ジョージ・ハリスンとは後に生涯に亘る友情を築くこととなる。

 

 

ディランもまた、ビートルズの影響によりフォーク・ギターからエレキ・ギターへと楽器を変えた。

従来のフォーク・ソング愛好者、特に反体制志向のプロテストソングを好むファンなどはこの変化を「フォークに対する裏切り」と捉え、賛否両論を巻き起こした。

 


しかしながら、

内省的で作家性の強い原曲を、アメリカ社会の様々なルーツミュージックやリズム&ブルースなどのバンドアレンジに乗せたこの時期の作品が、ロック史の大きなターニングポイントとして位置づけられている。

そして、この頃の歌詞はアレン・ギンズバーグらの文学者からも絶賛されるようになっており、ロックの歌詞が初めて文学的評価を獲得した。

 

 

「ディランズ・チルドレン」を自認して来た大御所ミュージシャンに、さらに多くのフォロワーが枝分かれしている事実からも、

「シンガー・ソングライター」という系統を確立した役割は遥かに大きい。
 

 


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