初キスの味は、レモン味?
ああ哀れ ! 記憶がない!!
▼本日限定!ブログスタンプ
□ 10月5日は「レモン忌」「レモンの日」。
1938年10月5日は、詩人・高村光太郎が妻・智恵子の臨終 == 亡くなる数時間前に、
光太郎が持っていたレモンを齧(かじ)った智恵子がふと正気に戻り微かに微笑み、そのまま静かに息を引き取った最期の姿
---を詠った詩「レモン哀歌」に因んで、「レモン忌」および「レモンの日」と呼ばれる。
□ 智恵子終焉(しゅうえん)の地「ゼームス坂病院跡地」の記念碑「レモン哀歌の碑」
「品川郷土の会」によって建てられた。碑の高さ150cmは智恵子の推定身長に合わせている。
住所は品川区南品川6-7-30。
近くに三越ゼームス坂マンション(南品川6-15-5)、品川エトワール女子高校(南品川5-12-4)が在る。
京浜急行・青物横丁駅下車またはJR京浜東北線・大井町駅東口下車⇒ゼームス坂通りを進む。
【参考】 私のブログ・・・品川周辺散歩
「しながわ花海道」を行く。コスモスがきれい!! (2016-09-10)
新馬場から目黒川河岸の秋を行く。(2013-11-06)
雨水の候の目黒川を散策: 新馬場~大崎~五反田~目黒。(2016-02-18)
□ 詩集「智恵子抄 ~レモン哀歌」 (龍星閣1941年8月)
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関(器官)はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
□ 随筆「智恵子の半生」 (ポプラ社1959年4月)
私自身は東京に生れて東京に育っているため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だろうと思っていたが、
彼女の斯(か)かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかった。
彼女は東京に居て此の要求をいろいろな方法で満たしていた。
家のまわりに生える雑草の飽くなき写生、その植物学的探究、張出窓での百合花やトマトの栽培、野菜類の生食、ベトオフェンの第六交響楽レコオドへの惑溺(わくでき)
というような事は皆この要求充足の変形であったに相違なく、此の一事だけでも半生に亘る彼女の表現し得ない不断のせつなさは想像以上のものであったであろう。
その最後の日、死ぬ数時間前に私が持って行ったサンキストのレモンの一顆(いっか)を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであったろう。
彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗われているように見えた。
◇-----------------------------------------
昨日10/4(火)の午前中、JR有楽町駅で降りて、丸井やマロニエゲートの東急ハンズで買い物。
その後、都立「日比谷公園」 (千代田区日比谷公園1-6)に向かった。
この日のウォーキング7,600歩。
□ ユッカ(Yucca)属 (イトラン属)のアツバキミガヨラン。
・・・先日、五反田で、同じリュウゼツラン科のリュウゼツラン(Agave)属と間違えた。
ルドベキア(黄色・ピンク色)
□ 自由の女神・・・1950年、文化の日制定を記念して作られたモニュメント。
キバナコスモス(黄色)、アメジストセージ(青紫色)
今度の週末には、鉄道フェスティバル10/8(土)~9(日)、東京味わいフェスタ10/8(土)~9(日)、秋の山野草展10/8(土)~11(火)が開かれる。