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3月31日は「エッフェル塔の日」、フランスで訪れたいスポット、日仏交流史。

 3月31日は「エッフェル塔の日」


1889年3月31日、エッフェル塔 (仏語: La tour Eiffel、 英語: Eiffel Tower) の落成式が行われた。

エッフェル塔は、パリ7区シャン・ド・マルス広場に立つ鉄塔で象徴的な名所となっている。
1889年5月6日に開催された「パリ万国博覧会」(略称「パリ万博」) [仏語「Exposition Universelle de Paris 1889」 (略称「Expo 1889」)」に合わせて建設され、フランス人技師ギュスターヴ・エッフェル [Alexandre Gustave Eiffel (1832年12月15日~1923年12月27日] が設計し、塔の名前は彼に由来する。

建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930年にニューヨークに高さ319mのクライスラー・ビルディングが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため324mとなっている。

1991年、エッフェル塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。


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□ お題「フランスで行ってみたい場所は?」
 

 

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フランスで訪れたいスポットを尋ねられると、世界遺産ならばどこでもかな?

[フランスの世界文化遺産・自然遺産リスト] 

カッコ内数字は登録年。☆印は私が訪れたことがあるスポット。


モンサンミッシェルとその湾(1979)
ヴェルサイユの宮殿と庭園(1979)
シャルトル大聖堂(1979)
ヴェズレーの教会と丘(1979)
ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群(1979)

フォントネーのシトー会修道院(1981)
フォンテーヌブローの宮殿と庭園(1981)
オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」(1981)
アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(1981)
アミアン大聖堂(1981)
サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産(1982、2009拡大)
ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場(1983)
サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会(1983)
ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾(自然遺産1983)
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋、1985)
ストラスブールの旧市街(1988、2017拡大)

パリのセーヌ河岸(1991) ☆
ランスのノートルダム大聖堂、サンレミ旧大修道院及びトー宮殿(1991) ☆
ブールジュ大聖堂(1992)
アヴィニョン歴史地区:教皇宮殿、大司教座の建造物群およびアヴィニョン橋(1995)
ミディ運河(1996)
歴史的城塞都市カルカソンヌ(1997)
ピレネー山脈のモン・ペルデュ(複合遺産1997、1999拡大)
リヨン歴史地区(1998)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(1999)
サン=テミリオン地域(1999)
ベルギーとフランスの鐘楼群(1999、2005拡大)

シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(2000)
中世市場都市プロヴァン(2001)
オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル(2005)
月の港ボルドー(2007)
ヴォーバンの防衛施設群(2008)
ニューカレドニアのラグーン:サンゴ礁の多様性と関連する生態系(ニューカレトニア・バリア・リーフ、自然遺産2008)

アルビの司教都市(2010)
レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群(自然遺産2010)
アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群(2011)
コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観(2011)
ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟とも呼ばれるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟(2011)
カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林(自然遺産2007、2011・2017・2021拡大)
ノール=パ・ド・カレーの鉱業盆地(炭田地帯、2012)
ブルゴーニュ地方のブドウ栽培地域クリマ(2015)
シャンパーニュの丘陵・家屋・地下貯蔵庫群(2015)
ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-(2016)・・・日本の上野「国立西洋美術館」も含まれている。☆
タプタプアテア(2017)
ピュイ山地とリマーニュ断層の地殻変動地域(自然遺産2018)
フランス領南方地域の陸と海(自然遺産2019)・・・クローゼー諸島、ケルゲレン諸島、サンポール・ヌーヴェル・アムステルダム諸島。

ヨーロッパの大温泉保養都市群(2021)・・・フランスではヴィシーが登録されている。
コルドゥアン灯台(2021)
リヴィエラの冬季行楽都市ニース(2021)


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この機会に、日本とフランスの交流の歴史 を調べてみた。

江戸期

1619年、フランスのユグノー家に生まれたフランソワ・カロンがオランダ東インド会社社員として日本に着任。フランス出身の人物が日本を訪れた最初。帰国後の1664年、フランス東インド会社社長。
1636年、フランス・ドミニコ会の宣教師ギヨーム・クルテが日本上陸。1613年の禁教令に反し秘密裏に布教したため幕府の拷問を受ける。1637年、薩摩藩の鹿児島で死亡。
1787年、ルイ16世の下でフランス海軍士官・探検家のラ・ペルーズが日本海域を航海。宗谷海峡に国際的正式名称のラ・ペルーズ海峡と命名。
1855年、フランスは沖縄との間で条約を締結。
1858年、フランスと徳川幕府との最初の条約「日仏修好通商条約」(不平等条約) が調印され両国間の外交関係開設。
1864年、下関戦争が起こる。11月、横須賀海軍工廠の建設に着手。初の仏和辞典『仏語明要』執筆。カトリック・パリ外国宣教会が長崎に大浦天主堂を建造。
1867年、幕府がパリ万博に代表団派遣。幕府とは別に薩摩藩と佐賀藩が独自に出展。

明治期

1868年、神戸事件が発生。明石において岡山藩士450人とフランス海軍兵との間で戦闘となり神戸市中心部を外国軍部隊が占拠。フランス水兵11人が殺害される堺事件が起こる。戊辰戦争の進展に伴いフランス第二帝政政府が佐幕派支援を見直す。
1869年、元徳川幕府のフランス人軍事顧問団が元幕臣・榎本武揚の蝦夷共和国設立を支援、箱館戦争で明治政府軍と戦って敗北する。
1870年、日本初となる日本橋・銀座・横浜でのガス灯設置の指揮を執る。
1872年、明治政府の岩倉使節団が第三共和政成立直後のフランスを訪問。ポール・ブリュナーにより日本初の近代絹糸工場・富岡製糸場が開設される。フランス人修道女が横浜で孤児院を設置、後の雙葉学園の源流となる。
1878年、パリ万博に日本政府が出展。ジャポニスムに影響を与える。
1882年、馬車鉄道がフランスから導入され浅草を中心に新橋-上野間を結ぶ。中江兆民がルソーの『社会契約論』の訳書『民約訳解』を出版し、自由民権運動の気運を高める。画家ジョルジュ・ビゴーが来日、日本社会や欧化政策を風刺画で描く。
1886年、フランス海軍技師ルイ=エミール・ベルタンのもと大日本帝国海軍が増強、呉と佐世保の海軍工廠建設の指揮を執り日清戦争での日本の勝利に寄与する。

1891年、シベリア鉄道の建設資金がフランス資本により賄われ、日露戦争でロシア帝国を支える。
1895年、三国干渉。フランスはロシア帝国・ドイツ帝国と共に日本の遼東半島領有を阻止。
1900年、義和団の乱で、日仏両国は八ヶ国連合軍に参加し、清朝の首都北京を占領。
1904年、日露戦争勃発。フランスはロシアに融資しつつ英仏協商にも配慮して中立を維持。。
1907年、日仏協約締結。清における日本(満州・内蒙古・福建省)とフランス(広東省・広西省・雲南省)の利権を相互に承認。
1910年、陸軍中将・徳川好敏がフランスで飛行士訓練を受け、アンリ・ファルマン機で飛行する。

大正期

1911年、日仏通商航海条約調印。関税自主権の回復で不平等条約改正が完了。
1912年、画家・藤田嗣治が渡仏。パリで成功を収める。
1913年、東京でフランス語教室が開講され、翌1914年にアテネ・フランセと命名。以後の日本でのフランス語教育の中心組織となる。
1917年、日本海軍が巡洋艦明石などを地中海に派遣し、第一次世界大戦中のフランス軍事行動を支援。
1918年、 第一次世界大戦終結。ロシア十月革命後の内戦に日仏両国も参加(対ソ干渉戦争)。フランスはヨーロッパ・ロシア北部で1920年まで、日本はシベリア出兵として1922年まで出兵を継続。
1920年、国際連盟発足。日仏両国は常任理事国として参加。
1924年、渋沢栄一の尽力で日仏会館設立。フランスから日本へ初飛行。

昭和期

1940年、日本軍がヴィシー政権下のフランス領インドシナ北部に侵攻し仏印進駐。
1941年、太平洋戦争(大東亜戦争)開始。シャルル・ド・ゴールを中心とした自由フランス国民委員会が対日宣戦布告。
1945年、日本軍がベトナム帝国などを樹立してベトナム・ラオス・カンボジアをフランスから分離し、フランス領インドシナ軍を日本軍が一時制圧したが、ポツダム宣言受諾。日本軍の武装解除が進む中、ベトナム8月革命が開始され第一次インドシナ戦争へ突入。
1951年、日本国との平和条約・サンフランシスコ講和条約締結により、日仏間の戦争状態が終結。
1952年、日本の独立回復により日仏両国間の国交回復。エールフランスがパリ-東京羽田路線を就航。
 

 

 


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