焼肉屋さん、絶対に頼むものは?
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1993年から「全国焼き肉協会」(中央区日本橋茅場町2-5-6) が、
従来の毎月29日「肉の日」に加え、
「やき(8)に(2)く(9)」の語呂合せで8月29日は「焼肉の日」と定めた。
■ お題「焼肉屋さんで絶対に頼むものは?」
私は朝鮮焼肉が好きだ。
でもそれは、社会人になってからのこと。
金沢の食習慣は魚魚魚で、肉料理と言えばカレーライスか豚汁。食欲旺盛の学生時代に惜しいことをした。
会社独身寮時代には、休日の麻雀後は必ず朝鮮焼肉屋。網金に乗せるか否かに争奪戦。半ナマでも早い者勝ち。特に負けた時には気合が入った。
ソウル五輪1988の前後には、韓国情報産業との取引が活況だったので焼肉三昧。
休日には見よう見まねの仕込みで、育ち盛りの子供たちの食欲を満たしてやった。
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私は焼肉屋さんでは、特に、カルビ肉、ミノ・ハツは絶対に頼む。
白菜キムチ、豆腐(絹ごし)チゲも欠かさない。
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■ 我が家の肉の嗜好
川魚・・・[夫(私)]好まない。
[妻]アユ・ドジョウ・ウナギの焼き物。
海魚・・・[夫]マグロ・青魚・イカ・貝類の刺身・鮨。タラコは大好物。
[妻]貝類に目が無いがホタテは好まない。エビ・タコの刺身・鮨。イカの塩辛・黒作りは大好物。
肉・・・[夫]ビーフステーキ・焼肉・スキヤキ。豚肉炒め(ソティー)・ポークカレー。
[妻]鳥類の皮(鳥肌)が嫌い、肉類はそれほど好きではない。
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■ 日本人の肉食文化の変遷
日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく「魏志倭人伝」(3世紀末)にも牛馬がいなかったことが記されている。
それでも縄文時代の貝塚や遺跡からは、ニホンジカやニホンイノシシの骨も数多く発掘されており、狩猟で得た肉を食していたし、大陸から牛や馬が渡来した。
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その一方で、ヤマト王権時代の仏教伝来(538年)以降は獣肉全般が敬遠され、
奈良時代の732年、聖武天皇が肉食禁止令を発し、
平安時代には食肉の禁忌は、貴族の間ではより強まって行った。
だが、仏教が浸透するまでは、庶民の間では禁令にも拘わらず肉食は続けられた。
鎌倉~戦国時代になると、台頭した武士の間では再び獣肉に対する禁忌が薄まる一方、禅宗の影響で精進料理が発達した。
しかしながら、江戸時代の元禄期、徳川綱吉が発した「生類憐れみの令」(1687~1709年)によって、獣肉食の禁忌がピークに達した。
特に犬を保護した影響は後世まで残り、中国や朝鮮半島で犬肉が一般的な食材になっている一方で、日本では現代に至るまで犬肉は一般的な食材と看做(みな)されなくなった。
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明治時代になると新政府は肉食・洋食の奨励を大々的に展開、特に牛肉を食べることが文明開化の象徴と考えられ鋤焼(すきや)きが流行した。
が、長い抵抗感の歴史・食習慣は残り、日本人の動物性蛋白源は魚肉が中心であった。
ところが昭和の敗戦直後の1946年末から学校給食が再開され、1952年からは肉食も提供されるようになった。
高度経済成長期(1954~73年)には、ブロイラー・馬肉・鯨肉など安価な肉食材を使っての食事の洋食化、缶詰の量産化が急伸長して行った。
更に外食産業の相次ぐ進出と相俟って、1988年には、蛋白源(実質供給質量)で肉が魚を逆転した。
鶏(チキン)の唐揚げ、豚(ポーク)と野菜のソティー、牛(ビーフ)のステーキ、等々。
加えて1992年、空前のモツ鍋ブームを切っ掛けにモツ(内臓)も高水準に達した。
近年、特にソウル五輪1988以降、牛の「焼肉」は、朝鮮料理(朝鮮戦争1953年以降は韓国料理と呼ぶ)の代名詞ともなって、日本人の嗜好の重要な地位を占めている。