暦の上で今日11/7(日)は「立冬」だが、現実には漸(ようや)く「秋酣(たけなわ)」である。
■ 11月7日は「立冬」
□「二十四節気」(にじゅうよんせっき)
中国の戦国時代(紀元前5~2世紀)に考案された『宣明暦』(せんみょうれき、太陰太陽暦)がルーツ。
江戸時代には渋川春海による『貞享暦』(じょうきょうれき、太陰太陽暦) をはじめ何度も改暦。
明治時代1883年に『本暦』(別称『神宮暦』、太陽暦) とその簡略化した『略本暦』(りゃくほんれき)を発行。
「立冬」(りっとう) は、第19番目の節気。定気法では太陽黄経が225度の時。前の節気「霜降」から数えて15日目。2021年は11/7(日)頃。期間としては11/7(日)~次の節気「小雪」前日の11/21(日)。つまり「秋分」9/23(木・祝)と「冬至」12/22(水)の中間日であり、「霜降」10/23(土)と「小雪」11/22(月) の中間日である。
▽『暦便覧』(こよみびんらん)
江戸時代1787年(再版1798年)に著者:太玄斎/出版者:蔦屋重三郎ほかによって成立した。
「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」・・・秋が極まり冬の気配が立ち始める頃。実際のところ多くの地域では未だ秋らしい気配が残り紅葉の見頃。太陽の光(日中の陽射し)が弱くなり朝夕は冷え込む日が増える。
「初冠雪」・・・浅間山は10/20(水)に観測し、平年より11日早く昨年より2日遅かった。富士山は10/26(火)に観測し、平年より6日早く昨年より2日早かった。
「初霜」「初氷」・・・栃木県宇都宮市は10/24(日)に本州初の観測をした。「初霜」は平年より14日早く昨年より12日早い観測で、「初氷」は平年より21日早く昨年より18日早い観測だった。
「紅葉見頃」・・・日光・鬼怒川10/25(月)、高尾山11/15(月)。
「木枯らし1号」・・・近畿地方は10/23(土)に観測し、記録が残る1955年以降最も早かった。関東地方は未だ観測していない。
*
□「七十二候」(しちじゅうにこう)・・・ 古代中国(詳しい年代は不明) で考案された季節を表す方式のひとつ。「二十四節気」を更に約5日ずつ3つに分けた (24 X 5=72) 期間。
▽ 初候
「山茶始開」(つばきはじめてひらく)・・・「山茶花」(サザンカ)が咲き始める頃。「冬枯れ」の景色の中でより一層咲き誇る。
11/7(日)~11/11(木)。
▽ 次候
「地始凍」(ちはじめてこおる)・・・冬の冷気によって大地が凍り始める頃。朝は「霜」が降り「霜柱」が見られる所もある。夜は冷え込みが一層厳しくなるので部屋の窓の「結露」にご注意。
11/12(金)~11/16(火)。
▽ 末候
「金盞香」(きんせんかさく)・・・「水仙」(別名「金盞」)の花が咲き始める頃。黄色い部分を黄金の杯に喩(たと)え白い花弁を銀の台に喩えて「金盞銀台」(きんせんぎんだい)とも呼ばれる。
11/17(水)~11/21(日)。
*
□ 旬(しゅん)の物事
▽ 行事
「プロ野球クライマックスシリーズ(CS)」
「ファーストステージ」11/6(土)~11/8(月)、「ファテナルステージ」11/10(水)~15(月)。
「酉の市」(とりのいち)
「一の酉」11/9(火)、「二の酉」11/21(日)。
・・・例年11月の「酉の日」に、鷲(わし)や鶏(にわとり)など鳥に因む寺社で、武運長久(戦勝)・開運・商売繁盛を祈願する祭。威勢よく手締めして「縁起熊手」が売られる。
11月の「酉の日」は2回の年と3回の年があり、「三の酉」まである年は火事が多い俗説があるため「縁起熊手」に「火の用心」シールが貼られる。
出典・産経ニュース20201102
「七五三」(しちごさん) 11/15(月)前後。
・・・男の子は数え年で3歳と5歳の時に、女の子は数え年で3歳と7歳の時に、これまでの子供たちの成長を祝い、氏神様に(住む地域の鎮守様、近所の神社で)今年の収穫とこれからの子供たちの健康を祈る。
▽ 草花・花木
山茶花(サザンカ)
亀戸中央公園20211105
水仙(スイセン)
石蕗(ツワブキ)
旧芝離宮恩賜庭園20211029
八つ手(ヤツデ)
▽ 果物・野菜
林檎(リンゴ)
柿(カキ)
汐入公園20211025
栗(クリ)
銀杏(ギンナン)
冬瓜(トウガン)
南瓜(カボチャ)
蓮根(レンコン)
法蓮草(ホウレンソウ)
▽ 魚介類や料理
牡蠣(カキ)
秋刀魚(サンマ)
蟹(カニ)
水餃子(すいぎょうざ)
各種の鍋物
出典・ヤマキの寄せ鍋
◇----------------------------------------------------------------
昨日11/6(土)の午前中はランチを買う前に、「東本願寺」~「寛永寺」~「東京藝大」を巡って秋色を撮影した。
■「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」(通称「東京本願寺」「浅草本願寺」「浅草門跡」、台東区西浅草1-5-5)
1621年、西本願寺が「江戸浅草御堂」(後の築地本願寺)を建立した。
1657年、明暦の大火(振袖火事)により焼失した。1679年、江戸の東本願寺は「浅草本願寺」、西本願寺は「築地本願寺」にそれぞれ再配置された。
1923年、関東大震災が勃発。大規模火災で「東本願寺」も焼失した。1945年、東京大空襲により被災し本堂内部は全焼したが、外郭は鉄筋コンクリートのため残った。
1965年、浅草本願寺の名称を「東京本願寺」に変更する認証が下りた。2001年、東京本願寺を「東本願寺派本山東本願寺」に改称し現在に至る。
トチノキ、本堂
名物ハゼノキの紅葉進行中
シダレザクラとウメ
珍しいギンモクセイ
近所のクロシロネコのファミリー
**
■「天台宗別格大本山関東総本山東叡山円頓院 寛永寺」
□「根本中堂」(台東区上野桜木1-14-11)
徳川幕府第2代将軍・秀忠の隠居後、1625年(寛永2年)、第3代将軍・家光の時に現在の「東京国立博物館」敷地(上野公園13-9) に慈眼大師・天海大僧正が「本坊」を創建した。当初は江戸城の鬼門の方角に鎮護祈願寺、後に徳川将軍家の菩提寺として、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられ、その中心となる堂宇が1698年建立の根本中堂。本尊は、最澄(伝教大師)自刻と伝わる薬師瑠璃光如来像(秘仏)で国の重要文化財。現在の「上野公園 竹の台噴水」(噴水池テラス、上野公園8) の地に移されて興隆した。
1868年、「戊辰戦争 上野戦争」(彰義隊戦争)で焼失した。1879年、「川越喜多院 本地堂」を移築し再建が始まった。1993年にようやく現在地に移転し再建。
山門傍のイロハモミジ、ハギ
サルスベリ
ハゼノキ
□「寛永寺 第三霊園」(上野桜木1-14-53)
▽「徳川家綱(厳有院)霊廟勅額門」(重要文化財、上野桜木1-16)
第3代将軍・家光が亡くなった1651年に建立された「大猷院(3代・家光)霊廟勅額門」が転用された。なぜなら大猷院霊廟は1653年に東照大権現(初代・家康)を祀る「日光東照宮 輪王寺」に移築されたため。
シダレザクラ
▽「徳川綱吉(常憲院)霊廟勅額門」(重要文化財、上野桜木1-16)
第5代将軍・綱吉が亡くなった1709年に建立された。
シダレザクラ
※ 徳川将軍家 霊廟(墓所)住所録
初代・家康(東照大権現安国院)・・・久能山東照宮神廟・日光東照宮本殿霊廟・他
2代・秀忠(台徳院)・・・増上寺霊廟
3代・家光(大猷院)・・・輪王寺霊廟
4代・家綱(厳有院)・・・寛永寺霊園
5代・綱吉(常憲院)・・・寛永寺霊園
6代・家宣(文昭院)・・・増上寺霊廟
7代・家継(有章院)・・・増上寺霊廟
8代・吉宗(有徳院)・・・寛永寺霊園
9代・家重(惇信院)・・・増上寺霊廟
10代・家治(浚明院)・・・寛永寺霊園
11代・家斉(文恭院)・・・寛永寺霊園
12代・家慶(慎徳院)・・・増上寺霊廟
13代・家定(温恭院)・・・寛永寺霊園
14代・家茂(昭徳院)・・・増上寺霊廟
15代・慶喜(神式)・・・・・谷中霊園
□「区立上野中学校」(上野桜木1-14-55)
□「台東区コミュニティ 上野桜木会館」(上野桜木1-5)のサザンカ
右手前は「和菓子処 桃林堂上野店」(上野桜木1-5-7)
*
□「(独立行政法人) 国立文化財機構」(上野公園13-9)
▽「東京国立博物館」(上野公園13-9)
▽「東京文化財研究所」(上野公園13-43)
▽「国立教育政策研究所 社会教育実践研究センター」(上野公園12-43)
イチョウ、カツラ
■「東京藝術大学」(上野公園12-8)
1887年、「東京音楽学校」を創立した。
1949年、「東京美術学校」と包括され新制「東京藝術大学 音楽学部 & 美術学部」と改称した。
2004年、国立大学法人化。
□「音楽学部」
ハゼノキ
□「美術学部」「東京藝術大学大学美術館」(上野公園12-8)
正門
イチョウ
イチョウ
□「芸術の散歩道」(上野公園8-4)
▽「令和2年度東京藝術大学卒業・修了作品展」
美術学部大学院美術研究科修士課程・御代将司氏
東京都知事賞 「ねぇ、おねがい」(ブロンズ石膏埋没鋳造法)
・・・コロナウィルスによる危機的状況は未だ改善されない現状を憂いて、自身が飼育していたフェレットを題材に選んだ。