■ 8月5日は「ハンコの日」
「ハ(8)ンコ(5)」の語呂合せで「ハンコの日」として、印判総合商社「モテギ(株)」(山梨県甲府市相生町2-10-12) が制定した。
この日とは別に、10月1日は「印章の日」として、「全日本印章業組合連合会」(2012年8月1日付けで「公益社団法人 全日本印章業協会」に移行。東京都千代田区神田神保町2-4 印章会館2F) が制定した。
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□ 印章(ハンコ)の略史
紀元前5000年頃の古代メソポタミア文明では、粘土板や封泥の上に楔形(くさびがた)文字の記録と「スタンプ型印章」を押す文化が誕生した。紀元前2600年頃、メソポタミア南部のバビロニアなどシュメール都市文明/初期王朝時代に、動物と戦う英雄を描き粘土板の上で転がす「円筒印章」(「シリンダーシール」)へと変化した。
紀元前3000年頃、古代エジプト文明で、ヒエログリフ(神聖・聖刻な象形文字)が刻印された宗教性をもった「スカラベ型印章」。
紀元前2600~1800年頃、インダス文明で、インダス文字・動物(実在と架空)などが刻まれた凍石(soapstoneなどのsteatite)製の「インダス式印章」。
古代中国・殷朝(紀元前1700~1046年)では、図象を鋳成した「青銅印」が使われた。その後は漢朝から南北朝に至るまで(紀元前206年~紀元後589年)、古代文字・篆(てん)書体の「漢印」が使われた。
紀元後57年頃、中国・後漢の光武帝からに送られた「漢委奴国王」金印[1784年に筑前国那珂郡志賀島村東南部(現・福岡県福岡市東区志賀島)で出土]。
692年、飛鳥朝の持統天皇に「木印」を神祇官が奏上したと「日本書紀」に記され、701年、大宝律令の制定とともに「官印制度」が導入された。
平安時代後期~鎌倉時代初期(12世紀頃)、意匠化された署名として「花押」が主流となって行った。
室町時代(15世紀頃)以降、中国・宋朝出身の禅宗僧侶たちを通じ、書画に用いる「印章」が復古した。
戦国時代には「花押」に掛かる手間を簡略化するため、大名の間で文書を保証する用途に略式の署名として「印章」が普及して行った(織田信長の「天下布武」など)。
江戸時代には行政上の書類のほか私文書にも印を押す慣習が広がるとともに、「実印」を登録させるための印鑑帳が作られるようになり後の印鑑登録制度の起源となった。
明治新政府は印章の偏重を悪習と考え、欧米諸国に倣(なら)って署名の制度を導入しようと試みたが、事務の繁雑さや当時の識字率の低さを理由に反対意見が相次ぎ、議論の末に1900年までに殆どの文書において自署の代わりに記名押印すれば足りるとの制度が確立した。
▽ 中国における語源
「節」という漢字の省略体として「印」という漢字が生まれた。それは「卩」[ひざまずく] +「爪」(下向きの爪・指の節) とで構成され、跪(ひざまず)かせて押さえ付けながら爪や指で「印」(「記」、しるし)」を付けさせる行為を指している。
▽ 日本語の定義
「印章」・・・印材の平らな面(印面)に名前を彫刻した本体部分のことで、いわゆる「ハンコ(判子)」。
「印影」・・・印面に朱肉を付けて紙に押して残る文字。
「印鑑」・・・「鑑」とは「見分ける」という意味。都道府県市区町村などの役所(自治体)や銀行・保険・証券などの金融機関に届け出て登録され、その「印章」の所有者が明確で真偽を確認することができる「印影」を指す。
▽ 日本における種類
「認印」・・・下記の「実印」および「銀行印」を除く、申込・届出・受領など日常の証明用に頻繁に用いられる印章。氏(姓・苗字)のみが彫られた既製品を使うケースが圧倒的に多く、二束三文の故事成語を捩(もじ)って安っぽいという意味で"三文判"と俗称され、シャチハタに代表される「スタンプ印」(ネーム印・インク浸透印)まで利用されている。
「実印」・・・法律(印鑑登録制度)に基づき所管の役所(自治体)に登録した印章。「印鑑登録証明書」が発行され、身分証明・財産登記など重要書類に使用されるので、偽造を防ぐため個別に製作された氏名のフルネームで彫られることが多い。
「銀行印」・・・銀行・保険・証券会社などの金融機関に口座開設する際に届け出た印。「実印」と異なり各金融機関毎に規定が定められている。
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□ お題「最近、ハンコをいつ使った?」
▼本日限定!ブログスタンプ
最初の使用は、一戸建てのマイホーム購入時に、銀行ローン、売買契約、不動産登記で。
その他では、自動車購入時・売却時、自動車保険・生命保険の加入時、失業保険・公的年金の受給開始時、父の遺産相続時、マンション購入時など。
近年では、健康保険証を企業から国民(都)に変更した時に使用した位で、毎年の所得税確定申告、運転免許証を返納した(運転経歴証に切り換えた)時、パスポートを継続申請した時
-----いずれも印鑑は必要無かった。
今後は、私の遺言書の公正証書を公証役場で作成する時だろう。
尚、宅配便や小包郵便、排水管清掃や防火点検などは引き続いてシャチハタかサインである。
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■ NHK「ラジオ深夜便 にっぽんの歌こころの歌 作家でつづる流行歌 山上路夫作品集」を聴いたところ、
私の大学生期(1967~70年)~独身サラリーマン期(71~74年)~新婚サラリーマン期(75~76年)にリリースされた、"団塊世代" の青春を彩った歌ばかりだった。
★ なかでも私の好きなプレイリスト
「夜明けのスキャット」
「或る日突然」
歌・トワ・エ・モワ、作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦/編曲・小谷充、エキスプレス/東芝音楽工業1969年
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「翼をください」
歌・赤い鳥、作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦、リバティ(東芝音楽工業)1971年
三重県志摩郡浜島町(現・志摩市)の「合歓(ねむ)の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られた。
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「学生街の喫茶店」
歌・GARO(ガロ)、作詞・山上路夫、作曲・すぎやまこういち、日本コロムビア1972年・・・1973年度日本有線大賞新人賞。
舞台となった喫茶店は東京・JR御茶ノ水駅前駿河台の中央大学付近に在った「名曲珈琲 丘」(1983年秋に閉店) など諸説あり。
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「岬めぐり」
歌・山本コータローとウィークエンド、作詞・山上路夫、作曲・山本厚太郎/編曲・瀬尾一三、CBSソニー1974年
モデルとなったのは神奈川県三浦半島だと地元では信じられている。
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「空港」
歌・テレサ・テン、作詞・山上路夫、作曲・猪俣公章/編曲・森岡賢一郎、ポリドール1974年・・・第16回日本レコード大賞新人賞。