東京都のコロナ感染者が3,000人以上に上る毎日が続くと、独りでサイクリング散歩と雖(いえど)も慎重になってしまう。
■ 「投稿トレンド ~食欲がない日に食べるもの」
未だ身体が弱い少年時代には、風邪を引いたりお腹(なか)を壊したりしたが、
そんな時は母が、①リンゴ下ろし、②お粥(かゆ)に卵や梅干し、などを作ってくれた。
成人以降は呼吸器系も消化器系も随分と丈夫になっていたので、食欲が無い時というと決まって二日酔いの朝(リタイア後は無くなった)。
そんな時は次の選択肢から選ぶ。
①熱い番茶
②ネギの味噌汁orコンソメスープ
③お茶漬けと梅干し/キュウリやナスの浅漬け/タラコ
④かけうどんorトロロ掛けごはん
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■ 7月30日は「プロレス記念日」
1952年2月3日、プロレスラーの力道山 (百田光浩、1924年11月14日~63年12月15日)は修行のためハワイへ出発して、米国の太平洋岸を転戦し300戦295勝5敗の成績を残して帰国した。
1953年7月30日、帰国後の力道山が中心となり日本初のプロレス団体である「日本プロレスリング協会」を結成することによって、プロレスラーの養成を行いプロレス人気を高めることに貢献した。当時、開始されたテレビ試合中継が新橋駅西口広場の街頭テレビで放送され黒山の人集(だか)りができた。
1954年2月19日から3日間、力道山・木村政彦組 VS ベン&マイクのシャープ兄弟が、日本初のプロレス興行国際試合「NWA世界タッグマッチ3連戦」を蔵前国技館で開催した。日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには約2万人の群衆が殺到した。
力道山は、大相撲の力士出身 (二所ノ関部屋、最高位は西の関脇、1950年夏で引退) で身長176cm/体重116kg。外国人レスラーを空手チョップで次々と倒す姿に人気が集まった。素行の面では色々と問題はあったが、日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者であり、「日本プロレス界の父」と呼ばれて来た。
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▽ 小学生期
自分がするなら相撲。テレビ観戦なら大相撲(初代若乃花関の多才な技に惹かれ真似ていた)、ボクシング(多くの世界タイトルマッチに熱中していた)。
▽ 中学生~社会人期~リタイア以降
テレビ観戦で、大相撲、そしてボクシングの世界タイトルマッチ、オリンピックにおける柔道/レスリングが好きである。