一句どうぞ!
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「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せで、正岡子規研究家の俳人・坪内稔典氏
(1944年4月22日愛媛県町見村九町生まれ、現在は京都教育大学名誉教授・「船団の会」代表) らが、
夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日として提唱し、1991年に制定した。
■ 俳句の略歴スタディ
俳諧という言葉は、平安時代前期(905~912年)に編纂された「勅撰 古今和歌集」に集められた滑稽な和歌は"誹諧歌"と呼ばれたことに始まる。
室町時代には、和歌の連歌の表現を滑稽・洒脱にした"俳諧連歌"と呼ばれた。
俳諧(発句と連句)は、江戸時代前期の俳諧師・松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」(1694年)などによって、芸術性を極めた。
20160611「深川芭蕉庵」にて撮影
風刺性の強い川柳は、江戸時代中期の俳諧点者(評者)・柄井川柳の名前に由来する。
「俳句」という言葉は、俳諧・和歌(短歌)の改革運動、野球の普及を進めた正岡子規※ が、明治時代中期に作った造語で、"俳諧の発句"を縮めたもの。
※ 正岡子規 (1867年10月14日~1902年9月19日)
1867年、伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町3-5)生まれ。
1893年、日刊紙「日本」(東京府東京市日本橋区蛎殻町⇒神田区雉子町32) の新聞記者として俳句の革新運動を始めた。
1896年、「子規庵」(東京市下谷区上根岸82⇒現・東京都台東区根岸2-5-11)で句会(後に歌会)を始める。
1902年、肺結核⇒脊椎カリエスにより死去[享年36(満34歳)]。大龍寺(東京都北区田端4-18-4)に眠る。
「根岸子規庵」HPより引用
■ 私と俳句
中学時代、いえ小6時から俳句や短歌に関心を持ち続けていた私は、1987年(40歳)冬のボーナスで「マイワープロ」を買ったことを切っ掛けに休日の深夜を利用して、
俳句・川柳を作ったり青少年期の思い出を綴ったりとコツコツと著作(笑)を貯めていた。
「 遠き日を 寒夜もすがらの 五七五 」
リタイアを意識し始めていた2005年頃、マイPCで「電子掲示板の俳句シリトリ欄」へ投稿しているうちにブログの存在を知った。
「 掲示板 リレー相手は 何するぞ 」
そして還暦を迎える前年の2006年秋から、「ブログ」へ投稿する中で過去のワープロ著作を移植(マイグレート)するようになった。
「 悠として ブログ打つ手に 秋の風 」
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