何メートルぐらい泳げる?
▼本日限定!ブログスタンプ限定
8月14日は「国民皆泳の日」。
「(財)日本水泳連盟」(渋谷区神南1-1-1 岸記念体育会館4F)が、国民の皆が挙(こぞ)って水泳を習得し体力の増進を図るため、1953年に制定した記念日。
■ 語源
□ 「泳」
「氵」・・・「水」「川」。
「永」・・・「足」「流」。
⇒ 手足を長く引き伸ばして、水を渡る・川と合流する・水に潜(もぐ)る。
□ 英語「swim」
・・・泳ぐ・時流に乗る。float浮かぶ。swoon眩暈(めまい)がする・卒倒する・気絶する。
< 中英語 「swimmen」< 古英語 「swimman」
ドイツ語 「schwimmen」(シュヴィンメン)・・・泳ぐ。卒倒する・気絶する。 < ゲルマン語 「swimmanan」< 前ドイツ語 「swimmaną」
フランス語 「nager」(ナジェ)・・・泳ぐ。浮かぶ。 < ラテン語 「natare」
*
■ 水泳の思い出
□「国民皆泳の日」が定められた1953年には、私は5歳から6歳になった年。
われわれ戦後のベビーブーマー(1947~49年生まれ、"団塊世代")と後続の小中学生たちが皆、泳げるようにとの願いが込められていた。
私の場合は、その頃には既に、農業用水のために大川が堰(せき)止められた、通称 "用水"に飛び込んで、犬掻(いぬか)きで泳いでいた。
そして、小中高生時代(1954~65年)を通じて、郷土の競泳・山中毅(つよし)選手※ の国際的な活躍があった。
「東京五輪1964」に向け、どんな田舎の学校にも競泳プールが設置された。
尚、石川県は元々、相撲も盛んな土地柄だったので、どんな学校にも土俵もまた設置されており、同輩の輪島博選手(1948年七尾市生まれ)は、1973年に史上初の学士・本名横綱となった。
※[山中毅選手の略歴]
1939年、石川県輪島市生まれ。母親は舳倉島(へぐらじま)の海女さんで、出産の数日前まで海に潜っていたことから"毅は生まれる前から泳いでいる"と称賛された。
1956年、県立輪島高校3年在学中、「メルボルン五輪」・・・400m自由形で銀メダル、1500m自由形で銀メダル。
1959年、早稲田大学3年在学中、200m自由形で世界新、400m自由形で世界新。
1960年、早稲田大学4年在学中、「ローマ五輪」・・・400m自由形で銀メダル、4x200m自由形リレーで銀メダル。
1961年、南カリフォルニア大学1年留学中、200m自由形で世界新3度更新。
1964年、「東京五輪」・・・400m自由形で6位入賞。
□ 我が家の子供たちは、小学生時代には珠算塾とヤマハに加え、スイミングスクールに通わせた。私同様に何れの才能もフツーだったが・・・(笑)
それでも水泳を身に着けてくれたお陰で、夏休みには様々な海水浴場※※で事故もなく楽しむことができた。
※※[訪れた海水浴場]
日本海側(私)・・・小舞子、内灘・白尾・高松、千里浜・柴垣、雨晴。
太平洋側(家族)・・・大洗、九十九里・勝浦、坂田、湘南(江ノ島・大磯)、西伊豆・沼津。
(出典 http://free-photos.gatag.net)
お題の何m泳げるか? については、計ったことはない。50歳前半まではプール25mをノンブレスで泳げた。
◇
【追記】 8/14(日)未明
リオ五輪を観戦していたところ、ジャニーズ事務所から「SMAP年内で解散」の広報があった。
我が家では、次女と妻が大ファン(ちょっぴり私)。残念だがもうそんな時期。ステップアップに期待する。
私のブログ SMAP解散危機に思う(2016/01/14)