君が代、歌詞みないで歌える?
▼本日限定!ブログスタンプ限定
時まさしく、リオ五輪の真っ最中。金メダル獲得の度に国歌「君が代」に触れる機会が多い。
更に8月8日、天皇の「生前退位」のお言葉が発表されたことと相俟って、
改めて、日本国の今後の在り方について、われわれ国民が考える気運が高まっている。
*
私は戦後がスタートした時期に生まれ、義務教育の小中学校では、いわゆる"戦後民主教育"を授かった世代。
下記の唱歌8曲の中では、「君が代」と「一月一日」のみ学んだので、これら2曲は歌うことができる。
*
1893年8月12日、文部省が訓令「小学校儀式唱歌用 歌詞並楽譜」を布告。小学校の祝日・大祭日の唱歌に次の8曲が制定された。
「君が代」作詞: 古今和歌集(平安時代912年頃)の詠み人知らず、作曲: 奥好義(おく・よしいさ)
「一月一日」(1月1日)・・・作詞: 千家尊福(せんげ・たかとみ)、作曲: 上真行(うえ・さねみち)
「元始祭」(1月3日)・・・作詞: 鈴木重嶺、作曲: 芝葛鎮(しば・ふじつね)
「紀元節」(2月11日)・・・作詞: 高崎正風、作曲: 伊沢修二
「神嘗祭」(10月17日)・・・作詞: 木村正辞(まさこと)、作曲: 辻高節(たかみち)
「勅語奉答」(10月30日)作詞: 勝安芳(勝海舟)、作曲: 小山作之助
「天長節」(11月3日)・・・作詞: 黒川真頼(まより)、作曲: 奥好義
「新嘗祭」(11月23日)・・・作詞: 小中村清矩(きよのり)、作曲: 辻高節
1999年8月13日、「国旗国歌法」により「君が代」が正式な国歌となった。
◇-------------------------------------
「リオ五輪2016」競泳/女子200mバタフライ決勝で、現地時間8/10(水)=日本時間8/11(木・祝)、
星奈津美選手(25歳=ミズノ)が「ロンドン五輪2012」に続き、2大会連続の銅メダルを獲得した。
持病との闘いの上に、メダル連続獲得期待への重圧が圧し掛かった中で、結果を出すという強靭な精神力が証明された。
星さんは、レース後は涙で声にならない状態。ようやく声を振り絞りながら---
「昨日の準決勝までは思う様な動きが出せずに不安だった。決勝を迎えるまでにたくさんの人からメッセージをもらって、
自分のやるべきことは決勝で力を出し切ることだと思ったので、積極的に悔いのないように泳いだ。
最後は腕もかけなくなる足も蹴れなくなるぐらいまで、初めて出し切れた。悔いはない」
---感無量の様子だった。
*
星さんはロンドン五輪2012で銅メダル獲得。しかし、仁川アジア大会2014を境に高1時から患っていたバセドー病の症状悪化。レース後は全身がいつも以上の疲労感に覆われ歩くのがやっとという状況だった。余りに病状が思わしくなかったため甲状腺の全摘出手術を決断。選手生命の危機に直面した。
けれども驚異的な回復力と周囲のサポートで練習を再開した。そして水泳世界選手権カザン2015では奇跡の復活V。否が応にもリオ五輪2016では2大会連続となるメダル獲得が期待されていた。
*
星選手に関する私のブログ
「世界水泳カザン2015」星奈津美選手が金メダル!!(2015/08/06)
「ロンドンオリンピック2012」水泳の星奈津美選手が銅メダル!!(2012/8/2)
「北京オリンピック2008」女子競泳選手(2008/08/12)
その中からプロフィールを抜粋。
1990/8/21越谷市弥栄町生まれ。1歳半の時にベビースイミング教室に通い出し、3歳から本格化した。
越谷市立鷺後(さぎしろ)小学校(越谷市東大沢)、マンモス校で有名な越谷市立栄進中学校(越谷市大沢)、水泳・野球などの名門校・春日部共栄高校(春日部市上大増新田)に進学。スウィン大教SS(さいたま市見沼区東大宮)に所属。
高校2年(16歳)の時にバセドウ病と判明し、泳げない時期もあったが、不屈の精神で水泳を継続。
2006~2007年、高校総体200mバタフライ連覇。2008年、中国オープン200mバタフライでアテネオリンピックの覇者を破って優勝(予選で日本歴代2位の2分07秒35)。
"超新星"として一躍、注目を浴びた。武器は特別大きくもない足から繰り出されるキック、そして天性の粘り強い持久力。残り50mのラストスパートは驚異的で世界水準。
ジャパン・オープンでも2分07秒04で優勝。更に日本選手権で2位となり、インターハイ王者から一気に2008北京オリンピック代表に選ばれた。結果は10位。
2009年に早稲田大学のスポーツ科学部スポーツ医科学科に進学。学生選手権200mバタフライは3連覇、100mバタフライは1年と3年時に優勝。2009ローマ世界選手権代表にはなれなかった。2010アジア大会では200mバタフライで2位。2011年は大震災で日本選手権中止。代替の競泳国際大会代表選手選考会で200mバタフライを日本新2分06秒05で優勝。上海世界選手権では2分05秒91の日本新を出しながら0.01秒差の4位。
2012年、日本選手権200mバタフライで自身の日本記録を1秒22更新する2分04秒69で優勝、2012ロンドンオリンピック代表に選ばれた。
かくして、8月1日のロンドンオリンピックの女子200mバタフライにおいて、ラストスパートをかけて2人を抜き2分05秒48で、遂に銅メダルを獲得した!!
早稲田大学スポーツ科学部大学院へと進む。
しかしながら、2014年10月のアジア大会直後の11月21日、前述の通り甲状腺の全摘出。「ずっとあった不安要素が減って、すっきりした」。約1カ月間プールから離れたため、復帰するときは不安だった。「(平井)先生が背中を押してくれた」と感謝する。
そして、逆境を撥ね退けて、2015年4月に行われた日本選手権200mバタフライで6連覇を果たした。強靭な精神力だ。パワーの源は「泳げることがうれしい」という強い思い。ロンドン後、現役を続行したのもリオで「金メダル」を目指すためだ。
30代に同様の病気を患った母親の真奈美さん(51歳)は、「奈津美はリオにかける思いが強く、心の底から競技を続けたいのだと思う。自分で決めたことは絶対に妥協しない。静かに見守りたい」と話す。
食べ物はエビが大好物で、寿司やフライ類もエビエビ。ウナギも好きで験担(げんかつ)ぎとして大会前にはウナギを食べる。嵐の大野智さんのファンでもある。