■ 11月18日は「カスピ海ヨーグルトの日」
「カスピ海ヨーグルト」は、京都大学名誉教授・家森幸男氏が長寿地域として知られているヨーロッパ東部のコーカサス地方から日本に持ち帰ったことにより日本に広まったと言われ、独特の粘りがあり一般的なヨーグルトに比べて酸味が少ない優しい味が特徴である。
牛乳を加えるだけで家庭で手軽に手作りできて増やせる「カスピ海ヨーグルト」を食べる習慣を広め、人々の健康増進を図ることを目的として、「カスピ海ヨーグルト」の純正種菌の頒布活動は2002年から実施され、2006年11月18日に100万人に達した。これを記念して家森氏と「カスピ海ヨーグルト」を製品化したフジッコ(株)が制定した。
□ お題「カスピ海ヨーグルト、食べたことある?」
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数回は食べた経験があるが、私の好みは日本ルナ製「バニラヨーグルト」で、週に2,3個は朝食時に食べている。
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■ 関連した記念日として、5月15日は「ヨーグルトの日」
ロシアの微生物学・動物学者イリヤ・イリイチ・メチニコフ (Илья Ильич Мечников, 1845年5月15日~1916年7月16日) 博士は、ブルガリアのスモーリアン地方に長寿者が多いのはヨーグルトに含まれる乳酸菌のためであることを突き止めた。1908年、白血球の食作用を提唱し、免疫系における先駆的な研究を行ったことによりノーベル生理学・医学賞を受賞した。
「明治乳業(株)」[現在の「(株)明治」(中央区京橋2-4-16)] が、メチニコフ博士の誕生日5月15日を「ヨーグルトの日」として制定した。
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■ ヨーグルトの雑学
□ 語源・由来
古いトルコ語で「攪拌(かくはん)する」「濃厚にする」を意味する「yogurmakヨーグールマック」に由来する。⇒「Yoǧurt (Yoghurtヨウルト」⇒ 英語で「yogurt(yoghurtヨーガト)」
□ 製法
動物の乳に乳酸菌や酵母を混ぜて発酵させて作る発酵食品のひとつ。
原料は、乳牛だけでなく、水牛、山羊、羊、馬、駱駝(ラクダ)など。
□ 伝播の略史
起源は7千年前に遡り、偶然に生乳の入った容器に乳酸菌が入り込んだのが始まり。
バルカン半島の先住民・トラキア人⇒ブルガリア人(オスマン帝国領⇒ロシア帝国領)へと継承された。
日本への伝来は、6世紀の仏教伝来とともに寺院の中などで伝えられ「酪(らく)」と呼ばれていたが、寺院の外の庶民には広まらなかった。
明治20年代(1887~96年の頃)より、「凝乳」の呼称で整腸剤として販売されていた。
1912年、東京・赤坂田町の阪川牛乳店が「ケフィール」の呼称の滋養食品を開発した。
1915年、広島のチチヤス乳業 [現在の伊藤園グループ「チチヤス(株)」(広島県廿日市市大野337-4)] が「ヨーグルト」の呼称で販売した。
1950年、明治乳業[ 現在の「(株)明治」(中央区京橋2-4-16)] が「ハネーヨーグルト」を工業化し発売したことにより、知名度が広まった。
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昨日11/18(水)も晴れ上がり、午後は本郷台~駿河台の紅葉狩りに出掛けた。
この一帯は神田川を挟んで坂が多いが、押したり乗ったりもまた楽し。
サイクリング12.4km & ウォーキング4,400歩
不忍通り~春日通り~切通坂
■ 「湯島天満宮」(通称「湯島天神」、文京区湯島3-30-1)
458年 [(伝)雄略天皇2年]の創建。南北朝時代の1355年、菅原道真を勧請し合祀し、主祭神は男神の天之手力雄命と道真(天神様)となった。
神紋は「加賀梅鉢紋」。境内には樹齢70~80年程の白梅を中心に約300本。
春日通りの夫婦坂から、登龍門を望む(逆光)
本殿/拝殿が覗く
□「仏壇・仏具 (有)平野屋清太郎商店」(湯島4-5-3)
2021新年の縁起物(カレンダー、干支の丑など)
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■「臨済宗妙心寺派天澤山 麟祥院」(湯島4-1-8)
「春日局」の隠棲所「報恩山天澤寺」として1624年に創建。1643年9月14日65歳で死去。そのまま菩提寺として法名に因み「天澤山麟祥院」と改称した。
幼名は福。稲葉佐渡守正成の妻。1604年三代将軍家光公の乳母として召出され、離婚し江戸城大奥に入る。大奥制度を確立させた。
山門から庫裡
趣きある苔庭
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■「東大 龍岡門~医学部&附属病院」(文京区本郷7-3-1)
「附属病院外来棟」~何時も賑わう「都バス停留所 東大病院前」
ツタと観葉植物のコントラストが映える「管理・研究棟」
「健康と医学の博物館」、「総合中央館」(旧・医学部図書館)
逆光の "ヒポクラテスの木" と呼ばれるモミジバスズカケ(プラタナス)
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壱岐坂通り
■ 「東京都水道歴史館」(本郷2-7-1)隣接の「区立本郷給水所公苑」(本郷2-7)
□「フランス式庭園(洋風庭園)」・・・52種300株のバラ園。
ランドラ
□「日本庭園(和風庭園)」・・・神田上水幹線水路の石樋を復原、武蔵野の雑木林をイメージ。
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神田川/JR中央線&総武線を挟んで、外堀通り~水道橋
小栗坂~錦華通り~御茶ノ水仲通り~紅梅坂
周辺広域マップ
仲通りの並木・・・ヤマボウシ、ウワミズザクラなど
□「三井住友海上駿河台ビル 本館/新館」(神田駿河台3-9/11)
低層棟の屋上庭園
□「ニコライ堂」(正式名「東京復活大聖堂」、千代田区神田駿河台4-1)
日本人奉職者(正教徒)には、建築家・河村伊蔵/内井進/内井昭蔵、作曲家・金須嘉之進/古関裕而(「ニコライの鐘」)/高木東六、外交官・杉原千畝、画家・佐々木巌、など。
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淡路坂~御茶ノ水駅前~本郷通り~聖橋
淡路坂のサルスベリ並木
聖橋から湯島聖堂の森を望む
聖堂と東京医科歯科大学に挟まれた本郷通りの、
有名なイチョウ並木は、未だピーク前。
■ 「国の史跡 湯島聖堂」(湯島1-4-25)
江戸元禄期1690年に徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、この地に聖堂を創建、上野忍岡の林羅山家塾を移した。1797年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設し、江戸幕府の直参に「朱子学」(幕藩体制の大義名分論)を教えた。
林羅山「孔子廟」⇒徳川綱吉「聖堂」の「大成殿」⇒林羅山の家系「昌平黌(こう)」⇒明治維新の1871年に我が国最初の博物館(現在の東京国立博物館)⇒1872年に東京師範学校(現在の筑波大学)、我が国初の図書館⇒1874年に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置された。
日本の学校教育発祥の地として、湯島天神とともに受験生が参拝に訪れる。
杏壇門~大成殿(孔子廟)
孔子像
カイノキ(楷樹、別名・学問の木で"楷書"の語源となった。ムクロジ目ウルシ科) は威容を放つ。