村上春樹のエッセイ集「やがて哀しき外国語」
装幀・本文カット 安西水丸
講談社PR誌「本」コラム「人はなぜ走るのか」1992年8月号~93年11月号連載。
講談社単行本1994年2月刊行
講談社文庫1997年2月刊行。
このエッセイ集はずーっと読んでいなかったが、偶々、図書館で単行本をゲットできた。
■ 感想
世界の覇権が19Cのパクス・ブリタニカ(Pax Britannica)⇒ 20Cのパクス・アメリカーナ(Pax Americana) ⇒ 21Cのパクス・シニカ (Pax Sinica)へと変遷して行く過程で、1980~90年代には一時的に敗戦国のドイツと日本が躍り出た。
そうした状況の中で作者は欧州や米国に滞在し、小説・エッセイ・ノンフィクション・翻訳を母国日本へと発信しており、幼少~成長期を過ごした故郷の大震災、首都東京を震撼させたオウム真理教事件などのカオスを契機として、懐疑、社会関係(コミットメント)、境界人などのキーワードで表現できる思想を形成して来た。
それらが「1Q84」の村上ワールドとして実を結んだのである。
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■ 概要
「プリンストン通信」久々の長篇エッセイ。
最初にニュージャージー州プリンストンを訪れたのは1984年の夏のこと。プリンストン大学がF・スコット・フィッツジェラルドの母校であり、そのキャンパスを自分の目で一度見てみたいというだけのかなり単純な理由からだった。
7年後に僕はまたプリンストンを訪れることになった。今度は長期間に亘って大学に滞在するためである。1年間はずっと家に籠って長編小説を書いていた。
この長編小説は不思議な紆余曲折を経てパックリと2つに細胞分裂。『国境の南、太陽の西』という短めの長編小説と、『ねじまき鳥クロニクル』というかなり長い長編小説となった。
アメリカでの生活を、2年に亘り日本の読者に送り続けた16通のプリンストン便り。
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■ 私が注目した箇所 <抜粋>
□ 梅干し弁当持ち込み禁止
p24~25
僕がこれまでにこの町の中で目にした反日メッセージというのは、・・・<ジャパン・バッシング>スティッカーだけである。・・・ 最初のうちは僕はそれが何であるのかよく理解できなかった。中心の赤い円があまりにも小さかったからだ。だからそれは日の丸の旗というよりは、どちらかというと梅干し弁当みたいに見えた。・・・ 「ストップ・ジャパン」という感じというよりは、「梅干し弁当持ち込み禁止」にしか見えない。
p30~31
皇太子の結婚がアメリカ社会に対して果たしたパブリシティーもずいぶん大きかったように僕は感じる。とくに小和田雅子さんという個人が一般のアメリカの人々に及ぼした影響力は思いのほか強かった。ハーヴァード出のエリートということももちろん話題としては大きいけれど、たぶん彼女のパーソナリティーの中に何か人々を引きつけるものがあったのだろう。・・・ものごとというのは意外なところから開けていくものではないかという気がする。
□ 大学村スノビズム <※1> の興亡
<※1>
スノビズム(snobbism)とは、教養人を気取った俗物根性。
p37
バドかミラーといったようなテレビではばんばん広告をうっているようなビールは、主として労働者階級向けのものであって、大学人、学究の徒というのはもっとクラッシーでインタレクチュアルなビールを飲まなくてはならないのだ---というか飲むことを期待されているのである。かくかように、新聞からビールの銘柄にいたるまで、ここでは何がコレクト(正しきひと)で何がインコレクトかという区分がかなり明確である。
□ アメリカ版・団塊の世代
p53~54
日本の「団塊の世代」にあたる世代は、あえて言うなら学生運動世代のその後を描いたローレンス・キャスダンの映画『ビッグ・チル』にちなんで、「ビッグ・チル世代(ゼネレーション)」とでも言えばいいのかもしれない。要するに、「60年代に熱くなって、70年代に冷え込んだ世代」ということである。
p64
インテリのアメリカ人はどのようなかたちであれ、人種差別につながるようなことはまず口にしない。しかしそれと同時にどのようなリベラルな人であれ、ジェオグラフィカル(地理的)にはかなり明確に差別的な言及をする。・・・「あの辺はラフ・ネイバーフッドだから・・・ここから北は行くな。ここから西は行くな」としるしを書き込んでくれたりもする。でも結果的には・・・ラフ・ネイバーフッドの住人の94%はたとえば黒人であったりする。
□ バークレーからの帰り道
p126
黒人の運転手が僕に向かって、「なああんた、ここの国では俺たちはみんなほんとうに犬のように扱われるんだよ、オ-ヤ-」と静かな声で言った、・・・ でもそのおじさんは僕とジャズの話をずっとしていて、その最後にふっとそれだけを呟くように口にした。・・・僕が本当にジャズが好きだということがわからなかったら、彼はそんな話はまずは持ち出さなかっただろうと思う。なんとなくそういう気がする。
□ 黄金分割 <※2> とトヨタ・カローラ
<※2>
黄金分割(golden section)とは、一つの線分を二つの部分に分ける時、全体に対する大きな部分の比と、大きな部分に対する小さい部分の比とが等しくなる分け方。大と小との比 [黄金比(golden ratio)] は1.618:1≒8:5で、古代ギリシャ以来、最も調和のとれた美しい比とされ、絵画・建築等に応用され本・葉書の縦横比もこれに類する。
p140~141
先日雑誌を見ていたら、フォン・クーエンハイムというBMWの会長のインタビュー記事が載っていた。・・・ 北米での売上が大幅に落ちこんで、かなりの危機感を持っているようである。だからどうしても日本車に対する嫌悪感がむきだしになる。・・・「・・・我々はバックグウンドを持っているということなんだ。この二千年、三千年の歴史の源はギリシャであり、ローマなんだ。そしてルネッサンスなんだ。スタイリングのすべてはヨーロッパで創りだされたんだ。ギリシャの寺院を見たまえ。いわゆる黄金分割というやつだよ。・・・」
p142
日本の車にはオリジナリティーや哲学や喜びがないと言われながらも、・・・「洗練された大きなカローラ」的なるものを、下から上にと積み上げていくことによって、これまでになかった新しいイデアを---メルセデス・ベンツ的なイデアに拮抗するイデアを---少しずつ創造しつつあるのではないかという気さえしてくる。
□ 元気な女の人たちについての考察
p148~150
アメリカ人と知り合っていろいろと世間話のようなものをして、そこで「必ず」とまではいかなくとも十中八、九は訊かれる質問がいくつかある。・・・相手が女性の場合はまず間違いなく(3)奥さんは何をしているのか?の質問が出てくると言っても差し支えないと思う。・・・最初のうちはごく単純に「いえ、別に何もしていません。ただのハウスワイフです」と答えていたのだけれど、そう言ったときの相手のいささかこわばった顔を見ていると、・・・もう少し長く丁寧に答えるようにした。「・・・彼女は僕の個人的な編集者兼秘書のような仕事をしています。僕の書いた文章を読んでチェックし、それについて感想を述べ、整理します。・・・手紙の返事を書きます。・・・彼女がこれをやってくれないと、僕は仕事に集中することができないので、とても助かります。・・・実は彼女は写真をやっているんです」・・・小さな写真集のようなものを出したことがある。そのことを持ち出すのだ。・・・とにかく写真のところまでたどり着くと、やっとみんなは納得する---というかみんなやっとそこで安心する。「なるほどそれは素晴らしいことだ。これからも一緒にそういう仕事をするといい」と・・・。
p157~158
ものごとの正しいモーメントというものは、本来的に根本に疑いの念を含んでいるものではないだろうか。というか、本来正当なモーメントというおのはあくまで素朴な自然な疑いに端を発したものであるはずだ。そのような疑いの中から「いちおうこういうことになっているけれど、実はこうではないか?」「いや、実はこうではないか?」という仮説が次々に生まれでてきて、その様々な仮説の集積によってひとつの重要な可変的モーメントが生じるのではないか?しかしある時点でそのような仮説のひとつひとつが固定化され定着されて本来の可変性を失い、誰にでもわかる留まったテーゼになってしまうと、そこにはあの宿命的なスターリニズムが生じることになる。文学世界において言えば、学問的下級霊がここを先途必死にしがみつく「蜘蛛の糸」になってしまう恐れもある。僕が心配に思うのはそういうスターリニズム的細部固定化傾向についてであって、決してフェミニズム文学批評全体についてではない。
□ やがて哀しき外国語
p174~175
僕の経験から言うなら、外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツというのはこういうことである。(1)自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。(2)自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不必要である。(3)大事な部分はできるだけパラフレーズする(言い換える)こと。ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。・・・しかしこれはそのまま<文章の書き方>にもなっているな。
□ 運動靴をはいて床屋に行こう
p178~179
僕はもうとてもとても「男の子」と呼ばれるような年齢ではないけれど、それでも「男の子」という言葉には、いまだに不思議に心引かれるものがある。・・・ 「お前にとって〈男の子〉のイメージとは具体的にどういうものであるか」という風に質問していただけるなら、僕の回答は簡潔かつ明瞭なものになる。箇条書きにすると、(1)運動靴を履いて(2)月に1度(美容室でなく)床屋に行って(3)いちいち言い訳をしない。これが僕にとっての〈男の子〉のイメージである。簡単でしょう。
□ ロールキャベツを遠く離れて
p210
これといってたいした経験はしていないのだけれど、ちょっとしたことに面白みやら悲しみやらを、他人とは違った視点から感じ取れる人たちもいる。そしてそれらの体験を何か別のかたちに置き換えて、わかりやすく語ることのできる人たちもいる。どちらかというと、こういう人たちの方が小説家に近い場所にいるような気がする。
□「やがて哀しき外国語」のためのあとがき
p274~275
ヨーロッパにいたときもそうだったけれど、長く日本を離れていていちばん強く実感するのは、自分がいなくても世の中は何の支障もなく円滑に進行していくのだなということである。僕という一人の人間が、あるいは一人の作家が日本からふっと消えていなくなっても、そのことでとくに誰も困らないし、とくに不便も感じない。決して拗ねているわけじゃなく、「結局俺なんていてもいなくても、どっちでもいいんだよな」と思う。考えてみればこれは自明の理で、人間が一人増えたり減ったりしたくらいで世の中が混乱していたら、世の中が幾つあったって足りない。しかし日本で生活して、自分の役割のようなものに毎日忙しく追われていると、そういう自分の無用性のようなものについてじっくりと深く考え込んでいるような暇がないのも確かである。・・・ 表現がいささかオーバーかもしれないけれど、外国に長く出るというのは社会的消滅の先取り=疑似体験であると言ってもいいような気がする。
p280~281
しかし「哀しき」と言っても、・・・ 自分にとって自明性 <※3> を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り囲まれているという、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいるということだ。・・・ そしてたまに日本に戻ってくると、今度はこう思ってまた不思議に哀しい気持ちになる。「僕らがこうして自明だと思っているこれらのものは、本当に僕らにとって自明のものなのだろうか」と。・・しばらく日本に暮らしていると、この自明性は僕の中にもまただんだん戻ってくるだろう。・・・ しかし中には戻らないものもあるはずだ。・・・ それはたぶん自明性というものは永劫不変のものではないという事実の記憶だ。たとえどこにいたところで、僕らはみんなどこかの部分でストレンジャーであり、僕らはその薄明のエリアでいつか無言の自明性に裏切られ、切り捨てられていくのではないかといううっすらと肌寒い懐疑の感覚だ。一人の人間として、一人の作家として、僕はおそらくこの「やがて哀しき外国語」を抱えてずっと生きていくことになるだろう。
<※3>
ここで言う自明性とは、日本の中でドップリ浸かって深く考えもせず疑うこともなく日本語を話すことに安心感を抱くのは、未来永劫不変のものではなくやがて哀しく外国語となって行くのだろう。
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■ 村上春樹氏の近年(2013年以降)の著作と私のブログ
「パン屋を襲う」新潮社・絵本2013年2月刊行(ブログ2016-04-22記)
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」文藝春秋社・単行本2013年4月、文春文庫2015年12月刊行(ブログ2013-04-17記)
「恋しくて―Ten Selected Love Stories」中央公論新社・単行本2013年9月、中公文庫2016年9月刊行(ブログ2013-09-26記)
「女のいない男たち」文藝春秋社・単行本2014年4月、文春文庫2016年10月刊行(ブログ2014-03-15記)
「図書館奇譚」新潮社・絵本2014年11月刊行(ブログ2016-04-22記)
「職業としての小説家」スイッチ・パブリッシング単行本2015年9月刊行(ブログ2015-08-26記)
「ラオスにいったい何があるというんですか?」文藝春秋社・単行本2015年11月刊行、文春文庫2018年4月刊行(未読)
「騎士団長殺し第1部 顕れるイデア編」「騎士団長殺し第2部 遷ろうメタファー編」新潮社・単行本2017年2月刊行(ブログ2019-03-11記)
「村上春樹 翻訳 (ほとんど) 全仕事」中央公論新社・単行本2017年3月刊行(未読)
「バースデイ・ガール」新潮社・絵本2017年11月刊行(ブログ2018-12-30記)