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八千草薫さんが逝く。記憶に残っている作品。

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女優の八千草薫さんが癌のため亡くなりました。ご冥福をお祈り致します。
 

八千草さんは、倉本聰氏が脚本を書き、2019年4月にスタートするテレビ朝日の帯ドラマ「やすらぎの刻~道」に出演する予定だったが、治療のため降板した。「より一層楽しんでいただける作品に参加できるように帰ってまいります」と復帰を誓っていましたが、残念です。

 

文藝春秋2019年8月号に最後の手記を寄せていらっしゃいました。

その一部を抜粋させて頂きます。

 

「 年齢を少し意識するようになったのは、80歳を過ぎてからだと思います。ペットボトルの蓋が開けられなくなる。階段を昇るのがしんどくなる。今まで簡単に出来ていたことが難しくなりました。舞台で勢いあまって転んでしまったこともあります。

こうして振り返ると、自分の体がどんどん変わっていくのを感じます。否応なく“体力の衰え”という現実を突きつけられると、やっぱりショックを受けますよね。あーあ、とため息もついてしまいます。

焦って無理をしすぎると、周りに迷惑をかけてしまう。逆に、全く無理をしないと人生の可能性を狭めてしまいます。これからは、欲は持ちすぎず、“ちょっとだけ”無理をして生きていこうと思っています。

例えば道を歩いていても、コンクリートで出来た平坦な道はつまらなくて飽きてしまいます。逆に自然の中のデコボコした道は歩きにくいですが、「ここに足を置けばいいかな」と考えながら歩けるので、ちょっとわくわくしますよね。

女優業もそうです。今は闘病を続けていますが、体調に自信が持てるようになったら、出来る範囲でちょっとだけ背伸びをし、徐々に復帰していければと思います。 」


*


■ 私の記憶に残っている作品

□ NHKドラマ「阿修羅のごとく」(1980年1~2月/全4話)

ブログ
向田邦子「阿修羅のごとく」NHK再放送を観た感想(2011-07-19)

 


 

 

□ フジテレビドラマ「最高の離婚」(2013年1月~3月/全11話)
ブログ(例)

「最高の離婚」#7「お別れは自分で決めたこと」キャスト・あらすじ(2013-02-21)

 


*


★ 八千草薫さん (1931年1月6日~2019年10月24日)


大阪市生まれ。本名・谷口瞳(ひとみ)、旧姓・松田瞳。愛称・ヒトミちゃん。所属事務所は柊企画(ひいらぎきかく、制作はオフィス・ホーリー。世田谷区等々力5-2-7)。

幼少の2歳時に父を結核で亡くし、母一人・子一人で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、"色のある世界、夢のある世界" に飢えていたことから華やかな世界に憧れた。
高等小学校卒業後、聖泉高等女学校(現・プール学院中学校・高等学校)4年在学中に宝塚音楽学校に合格した(高等女学校は中退)。
1947年、宝塚歌劇団に入団。同期34期には淀かほる(1930/1/2~93/9/19)、百ちとせ(⇒阿井美千子、1930/1/17~) らがいる。宝塚入団時の成績は50人中19位。
入団当初は花組「分福茶釜」の狸などコミカルな役を当たり役とした。
1951年、花組「虞美人」に出演。東宝「宝塚夫人」で映画デビュー。


1952年、雪組「ジャワの踊り子(プナリイ・ムラティ)」に出演。劇団内に新設された映画専科に所属。花組「源氏物語」の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博した。
以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡し、雑誌企画の「お嫁さんにしたい女優」で何度も1位を獲得した。
1954年、ヒロインお通を演じた東宝「宮本武蔵」が米国アカデミー賞で名誉賞(現・外国語映画賞)を受賞するなど海外にもその名が轟いた。
1955年、日伊合作「蝶々夫人」(監督カルミネ・ガローネ)で主役の蝶々さん役に起用された。
宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時の "お嫁さんにしたい有名人" の統計で、たびたび首位に輝いた。
1957年5月、宝塚を退団。最終公演の演目は花組「みにくい家 鴨の子/王春讃歌」。
退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評で、多くの作品に出演。


本格的に映像の世界に進出した。1956年、東宝「乱菊物語」出演が縁となった20歳近くも年上の映画監督・谷口千吉氏(1912年2月19日~2007年10月29日) と1957年、結婚して話題を呼んだ。谷口監督が再々婚 (脚本家・水木洋子さんとスピード離婚、女優・若山セツ子さんと八千草さんとの関係から離婚) とあって周囲からは反対の声が渦巻いたが、めげずにゴールインした。
夫婦には子宝は無かったが、鴛鴦(おしどり)夫婦として知られた。山歩きを趣味とした夫婦として度々登山を楽しんでいたが、2007年に谷口監督が肺炎で満95歳に亡くなるまでの50年間を連れ添った。


1963年、NHK大河ドラマ「花の生涯」

時事通信社1965年撮影 

1970年、日本テレビ「張込み」
1972年、松竹「男はつらいよ 寅次郎夢枕」


1977年、TBS「岸辺のアルバム」・・・それまではおっとりした良妻賢母のイメージが強かったが、それを振り切るかのように家族に隠れて不倫する主婦役では従来のイメージを覆し、テレビ大賞主演女優賞を受賞。


1979年、NHK「阿修羅のごとく」
1980~81年、TBS「熱い秋」。1981年、TBS「茜さんのお弁当」
1980,81,85,94年。芸術座他「女系家族」
1982年、日本テレビ「季節が変わる日」
1984年、フジテレビ「いつも輝いていたあの海」。1986年、フジテレビ「女たちの場所」「わたしの可愛いひと」
1987年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」


時事通信社1993年撮影

1994年、よみうりテレビ「お玉・幸造夫婦です」。TBS「女の言い分」
1997年紫綬褒章。
1999年、NHK「いちばん綺麗なとき」 
2003年、東宝「阿修羅のごとく」で、日刊スポーツ映画大賞助演女優賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞、毎日映画コンクール田中絹代賞を各受賞。旭日小綬章(秋の叙勲)


2003,06,18年、ル・テアトル銀座他「黄昏」


2006年、日本ジュエリーベストドレッサー賞(60代以上部門)を受賞。


2009年、独立系のエンジンフィルム/アスミック・エース「ディア・ドクター」で、毎日映画コンクール女優助演賞、報知映画賞助演女優賞、TAMA映画賞特別賞、山路ふみ子映画賞・映画功労賞、日本映画批評家大賞助演女優賞を各受賞。独立系ファントム・フィルム「ガマの油」。松竹「引き出しの中のラブレター」


2010年3月、ドラマの撮影中に転倒し、右膝蓋骨を負傷。当初は全治3週間と診断されていたが症状が悪化し、5月開催の第19回日本映画批評家大賞授賞式を欠席した。
2013年、詩人の柴田トヨの生涯を描いた松竹「くじけないで」に主演するなど元気に生活。"犬の散歩で歩くこと" を健康の秘訣と明かしていた。
2013年、フジテレビ「最高の離婚」。MBS「母。わが子へ」


2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入り。
2015年、独立系岡本みね子事務所仕事「ゆずり葉の頃」。名誉都民。
2016年、日本アカデミー賞会長功労賞を受賞。


2017年末、膵臓に癌が見つかり、2018年1月に手術を受けた。予後は良好でドラマ収録やシーエイテイプロデュースの舞台「黄昏」の主演もこなした。
しかし2019年、新たに肝臓に転移した癌が見つかったため、4月放送開始予定のテレビ朝日「やすらぎの刻〜道」の主演を降板し休業して治療に専念し、同年2月に公表した。

5月には理事を務める日本生態系協会のイベントに出席、癌発表後初めて公の場に登場した。
2019年10月24日午前7時45分、膵臓癌のため東京都内にて死去。満88歳没、享年89。


著書として、「優しい時間」(世界文化社、1999年)「あなただけの、咲き方で」(幻冬舎、2015年)など。

 


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