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日本橋室町の三越「日本橋庭園」など三井関連施設を訪問

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6/19(水)の午前中は、雲が多かったが次第に晴れ上がって行った。

午後、日本橋方面へ昭和通り(国道#4)~江戸通り(国道#6)などをサイクリング&ウォーキング2,700歩と軽く。



■「日本橋室町三井タワー」(中央区日本橋室町2-1-1)

今秋まもなく商業施設「COREDO室町テラス」がオープンする。

色が移ろうカシワバアジサイ


セイヨウアジサイ/アナベル(別名アメリカノリノキ)

 

 

アガパンサス/濃紺



セイヨウオダマキ



■「三井住友銀行 日本橋支店」(日本橋室町2-1-1)

アートフラワー

 

 

■「三井住友信託銀行 日本橋営業部」(日本橋室町2-1-1)

アートフラワー




■「三越 日本橋本店」(日本橋室町1-4-1)

本館屋上


□ 本館屋上「日本橋庭園」



「漱石の越後屋」石碑

 


「漱石は小学校へ上がる前に黄八丈(きはちじょう)や縮面(ちりめん)を買いに越後屋へ連れられて来た。夕暮れに雨戸を操る音、店先の暖簾の色は永く記憶に残った。虞美人草浴衣は高級人気品として今なお語り継がれている。平成十八年十二月吉日 早稲田大学第十四代総長 奥島孝康 識」
漱石が早稲田で講義を行っていたことから、早稲田大学125周年記念事業の一環として、漱石が幼い時から越後屋での買い物に連れて来られたという、小説「虞美人草」の記述に基づいて
石碑が建てられた。


「三圍神社」(別名「三囲神社」、みめぐりじんじゃ)・・・向かいの高層ビルが「日本橋室町三井タワー」

 

文和年間(1353~55年)に近江國の「天台寺門宗総本山長等山円城寺」(別名「三井寺」、滋賀県大津市園城寺町246)のの僧・源慶が東国遍歴の折り、隅田川・牛嶋村の近くに弘法大師が建立したとされる小堂に立ち寄ったところ、床下に壺がありそれを開けると中から白狐に跨る老翁の神像を得て、しかも実際に白狐が現れて神像の周りを三回巡って消えたという。
その伝説に従って小堂は「三圍(三囲)神社」と改称して改築された。
この「三囲神社」(墨田区向島2-5-17)は、松阪の豪商・三井家が江戸に進出すると、その守護神として崇め、「越後屋」(後の「三越」)の本支店屋上に分霊を奉祀し、併せて「大国神(大黒天)」「恵比寿神」も鎮座させて来た。


「季節を映す水辺」ゾーン・・・池(水盤)と周囲の花壇

 

キボウシ/白


キキョウ、ミソハギ


アリウム(別名ハナネギ)


ガクアジサイ/園芸種


 

ガザニア(別名クンショウギク)、ツワブキ


ナミアゲハ、サツキ



■「区立十思(じっし)公園・十思保育園」

(江戸幕府「伝馬町牢屋敷跡」、中央区日本橋小伝馬町5-2)
 

~「十思スクエア」

(区立十思小学校跡、日本橋小伝馬町5−1)

「十思」とは、中国の歴史書「資治通鑑」にある「十思之疏(じっしのそ)」という天子が弁(わきま)えるべき心得「十思」と、明治期の当地に建てられた小学校が「第一大区第一中学区第十四小区」に属していたので、その「十四」との語呂合わせ。

「伝馬町牢屋敷跡」(現在の小伝馬町3~5を占めていた)


「銅鐘 石町『時の鐘』」

 

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徳川幕府の「時の鐘」は、二代将軍・秀忠の1626年に江戸城から石町三丁目(現在の中央区日本橋本町4丁目) の鐘楼堂に移された。
明治維新に廃止され、1930年に「区立十思(じゅっし)公園」(「伝馬町牢屋敷跡」、日本橋小伝馬町5-2) に移された。江戸市中では、本石町の「鐘の音」、即ち大太鼓の音が聴こえたら周囲の寺社等が鐘を鳴らし、それを聴いた更に周囲の寺社が鐘を鳴らすという時報システ厶が構築されていた。


日本橋小伝馬町17付近
常緑ヤマボウシ

 

 

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昨夜の交流戦

巨人vsオリックス2回戦(東京ドーム)は競り勝ったので嬉しかった。

 

大城滉二内野手 by バファローズHP

 

小田裕也外野手 by 日刊スポーツ

 

 

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月齢15.7

南東の空

20190619--23:10

 

 


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