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私にとっての恐怖体験【ブログネタ】

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恐怖体験教えて ブログネタ:恐怖体験教えて 参加中
本文はここから

 

私は、身の毛が弥立(よだ)った恐怖体験をしたのは、今になって数えてみると合計4回あった。

時系列に挙げてみることにする。

 

①小学校低学年の時

 

自宅に妹と二人切りで留守番をしていた時のことだった。
身体が弱かった妹がバッタリ倒れてしまった。
母が出かけて来ると言った家は、在所の離れた場所に在った。
夢中になって駆け出したが、気が動転していて足が縺(もつ)れ中々、速く走れない。
漸(ようや)く母の顔をその家の前で見つけた時、私はヘナヘナと腰砕けて崩れ、前を流れる生活用水に落ちてしまった。

 

②小学校高学年の時

 

5つ年下の幼い弟を含む近所の小中学生たち10人近くで、農家が収穫した稲を運ぶ舟で遊んでいた。
皆で舟を揺らしながら燥(はしゃ)いでいたところ、弟が見当たらない。私は叫んだ。
皆が騒ぎ始めた時に、弟がポッカリ水面に浮き上がって来た!!
最年長の中学生が救い上げてくれたのだった。

 

③新社会人の時

 

私は就職し、前出の弟は大学浪人で東京の予備校に通うことになり、同時に上京して来ていた。
初めてのゴールデンウィーク、それも最終日だった。
私は、横浜の会社独身寮から大学4年時に買ってもらったスバルを駆って、弟の予備校寮の在る千葉・船橋へ向かった。
父母からよく面倒を見るようにと言われていたこともあって、お互いの新世界を語り食事もし、日が暮れてしまった。
明日から会社が始まると、私は横浜への帰途を急ぎ車を飛ばしていた。
アクセルを強く踏んだ次の瞬間、京葉道路は工事中で私の車線が無くなった。
前で急停止した車に激突する瞬間、私は死!!が過(よ)ぎった。
車の前(リアエンジン車なのでトランク)部はペチャンコとなったが、強く握り締めたハンドルに私は額(ひたい)を強(したた)か打ち付けただけで、助かった。
45年経った今でも眉間(みけん)にあの時の傷跡が残っている。

 

④1980年代半ば(30年前)

 

埼玉に住んでいた頃の休日、家族5人で或る公園のアスレチック遊戯場に出掛けた時の出来事だった。
幼い末娘を前にロープ遊びの台へと階段を上っていた。
妻は下でカメラを構えていた。
次の瞬間、ロープが娘の脚を巻き取って行ってしまった。
気付いた私はロープを掴(つか)んだが物凄い勢いで止まるものではない。
娘の頭が!!
地面に叩き付けられずに逆さま吊りに浮いたまま、向こうの台の前でロープの動きは止まったのであった。

 


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