■ 喫茶店の略史
1888年4月13日、東京上野・西黒門町(現在の上野三丁目交差点角の上野1-1-2)に日本初の喫茶店舗として「可否茶館」(かひさかん)が開業した。2階建て洋館で1階がビリヤード場、2階が喫茶室。
新聞に開業案内広告「開店可否茶館開業報條」が掲載されたが、5年程で閉店した。
近年になって2008年に「可否茶館跡」碑(煉瓦造りの碑の上にコーヒーカップのオブジェ)として、
その後のビル再開発の中でも「日本最初の喫茶店発祥の地」碑(パネル)として現存されている。
出典 発祥の地コレクション
*
喫茶店洋式に先立つこと、文明開化の波にコーヒー店舗がお目見えした。
coffeeの音韻に当てられた漢字としては、「可非」「可否」「黒炒豆」「珈琲」があったが、そのうち「珈琲」は圧巻だった。
考案者は幕末の蘭学者・宇田川榕菴(ようあん、1798年~1846年)。
彼の造語には現在も生きているものが多い。
酸素・水素・窒素・炭素・白金などの元素名、元素・酸化・還元・溶解・分析などの化学用語、細胞・属などの生物学用語。
「コーヒー」が「珈琲」という漢字で表記された理由は、コーヒーの木の枝に実った赤い実の様子が当時の女性の髪飾り「簪(かんざ)」に似ていることからで、「珈」は髪に挿す花かんざし、「琲」はかんざしの玉を繋ぐ紐を表している。何とも美しい発想であった。
1874年、神戸元町通りに「放香堂」(現在の中央区元町通3-10-6)
1876年、東京浅草寺境内に「油絵茶屋」(現在の台東区浅草2-3-1)。
1886年、東京日本橋日本橋鎧橋通りに「洗愁亭」(現在の中央区日本橋小網町4丁目)。
*
一方の喫茶店は、1911~12年に相次いで登場した。
銀座煉瓦街の一角に
「カフェー・プランタン」
・・・京橋区日吉町(現在の中央区銀座8-6-24銀座会館)で、「初の会員制喫茶店」、
「カフェー・パウリスタ」
・・・京橋区南鍋町(現在の中央区銀座8-9-16長崎センタービル)で、「初の庶民喫茶店」or「初のチェーン店舗型喫茶店」、
尾張町交差点の一角に
「カフェー・ライオン」
・・・中央区銀座5-8-1サッポロ銀座ビル⇒現在の銀座プレイス)で、「初のメイド喫茶」。
大阪では
「カッフェー・キサラギ」
・・・西区川口1-5 市立本田小学校)。
◇
■ 好きな喫茶店メニュー
学生時代は、コーク、レスカ、チョコパフェ。
現役サラリーマン時代は、コーク、アイスティー、ナポリタン。
どちらかと言えば、喫茶店よりスナックの方が好みだった。
シルバーになってからは、専らホットコーヒー。
▼本日限定!ブログスタンプ