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カズオ・イシグロの長編小説「わたしを離さないで」あらすじ

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長編小説 「わたしを離さないで」

■ 原作

原題:「Never Let Me Go」

著者: Kazuo Ishiguro (石黒一雄)


リブログ

 

 

刊行:「Faber and Faber」社 2005年3月 

 

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□ 発刊当時の評判 

 

The New Yorker writer Louis Menand described the novel as “quasi-science-fiction." (準SF小説)

Sarah Kerr, writing for the New York Times, described it as a subversive exception in the “pop genre—sci-fi thriller.”(ポップなSFスリラー小説) 

The horror novelist Ramsey Campbell considers it a horror novel. However, at its core, the novel is about human relationships and perhaps the ability of those relationships to transcend the technologically complicated and dystopian systems they are entangled in. (ホラー小説) 

Joseph O’Neill, writing for The Atlantic, frames it best when he described it as a “coming of age” novel, or a Bildungsroman.(人間形成小説)

 


 

 

■ 土屋政雄・日本語訳

邦題:「わたしを離さないで」

□ 早川書房単行本2006年4月

□ ハヤカワepi文庫2008年8月

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□ カバーのキャッチコピー

優秀な介護人のキャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。
生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。
キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。
図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度・・・。
彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。
---全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。


■ 主な登場人物

キャシー・H (Kathy H.)・・・主人公の語り手。優秀な介護人。
ルース(Ruth) ・・・キャシーの親友。提供者となりキャシーを介護人にリクエストした。
トミー(Tommy)・・・キャシーのボーイフレンド。提供者。
ローラ(Laura)・・・おどけ者。トミーの介護人。提供者としての通知が届いている。
ルーシー先生(Miss Lucy)・・・新任の保護官。保健体育教師。
ジェラルディン先生(Miss Geraldine)・・・保護官。美術教師。
エミリ校長先生(Miss Emily)・・・ヘールシャム施設の創立者。実父はクローン研究の一人者。
正体不明のマダム(Madame)・・・施設の支援者。実はマリ・クロード(Marie Claude)というエミリ校長とは彼女が主任先生の時期からレズビアンカップルだった。

*

 


■ あらすじ

1990年代末のイギリス。
自他共に認める優秀な「介護人」(carer) のキャシー・H は、ヘールシャム(Hailsham)と呼ばれる施設で育てられ、今では「(臓器)提供者」(organ donor) と呼ばれる人々を世話をしている。
共に青春 の日々を送り、固い絆で結ばれた親友のトミーやルースも彼女が介護した「提供者」だった。
そもそも、キャシーも生まれながらにしてヘールシャムで育った「提供者」である。
施設を出て、大人となったキャシーは、病室のベッドに座りあるいは病院へ車を走らせながら、閉鎖的なヘールシャムでの子供時代の奇妙な日々を回想する。

ヘールシャムでの教育は、至って奇妙なものであった。
「保護官」(guardian) と呼ばれる教師たちのぎこちない不思議な態度。
展覧会に出展するための絵画や詩などを作る創作活動に力を入れた授業や、毎週繰り返される健康診断など。

キャシーが12~13歳の頃、彼女にはトミーという親友がいた。
彼は周囲の能力の差について行けずに教室内で度々、癇癪(かんしゃく)を起こす生徒だった。
しかし、或る日を境にトミーは騒ぎを起こさなくなり、それがキャシーにとっては疑問であった。
またの或る日、キャシーは、トミーに騒ぎを起こさなくなった理由について問い質(ただ)す。
彼は「保護官」の一人であるルーシーの影響だと語る。
トミー曰く、ルーシーには絵を描きたくなければ描かなくてよいと言われたと言う。
またルーシーはヘールシャムの方針に不満を抱いていることがトミーの口から明かされる。
この話を聞いた頃からキャシーは、ルーシーのことを注視するようになった。
キャシーが15歳になった時、ヘールシャムでの最後の1年の出来事であった。
或る雨の日、ルーシーは生徒の「映画俳優になりたい」という一言を耳にし、突如、生徒を集めて、このヘールシャムの真実を語ったのだ。
「提供者」達は臓器提供のために造られ、摘出手術が終われば死ぬだけのクローンだった。
ヘールシャムを出ると直ぐに臓器提供が始まる。
将来の夢など無意味だという、驚くべき残酷な真実をキャシーの回想が明かして行く。キャシーと愛する人々が辿(たど)った数奇で皮肉な運命。


□ 印象的な箇所(抜粋)

p105~106 キャシーの回想
ノーフォークはわたしたちの心の拠(よ)り所でした。
だからこそ、いい年をしたいまになっても、冗談を装いながら、相変わらずノーフォークについて語り合うのだと思います。あれから数年後、トミーと二人、ノーフォークの海岸沿いの町を歩いていて、なくしたものと同じテープを見つけたとき、わたしたちはそれを単なる偶然とは考えませんでした。心の奥底に感動がありました。かつて心にあった願いが、再び信じられるものになったという感動が・・・。テープに戻りましょう。ジュディ・ブリッジウォーターの「夜に聞く歌」でした。レコーディングが1956年。もともとはLPレコードだったようですが、わたしが持っていたのはカセット版で、ジャケットの写真もLPジャケットのそれを縮小したしたものだと思います。

 

p110~111 キャシーの回想
このテープがわたしにとって特別のものだったのは、先頭から三曲目に「わたしを離さないで」があったからです。スローで、ミッドナイトで、アメリカン。「ネバーレットミーゴー・・・オー、ベイビー。ベイビー・・・わたしを離さないで・・・」このリフレーンが何度も繰り返されます。
この歌のどこがよかったのでしょうか。聞きたかったのは、「ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで」というリフレーンだけです。聞きながら、いつも一人の女性を思い浮かべました。死ぬほど赤ちゃんが欲しいのに、産めないと言われています。でも、あるとき奇蹟が起こり、赤ちゃんが生まれます。その人は赤ちゃんを胸に抱き締め、部屋の中を歩きながら、「オー、ベイビー、ベイビー、私を離さないで」と歌うのです。もちろん、幸せで胸がいっぱいだったからですが、どこかに一抹の不安があります。何かが起こりはしないか。赤ちゃんが病気になるとか、自分から引き離されるとか・・・。

p401~402 エミリ校長
「 あなたがたからすると、しごく当然の疑問でしょうけれど、でもね、みなさん、歴史的に見るとどうなります? 戦後、50年代初期から次から次へ科学上の大きな発見がありました。あまりに速すぎて、その意味するところを考える暇も、当然の疑問を発する余裕もなかったのですよ。突然、目の前にさまざまな可能性が出現し、それまで不治とされていた病にも治癒の希望が出てきました。世界中の目がその点だけに集中し、誰もがほしいと思ったのですね。でも、そういう治療に使われる臓器はどこから?真空に育ち、無から生まれる・・・と人々は信じた、というか、まあ、信じたがったわけです。ええ、論議はありましたよ。でも世間があなた方生徒たちのことを気にかけはじめ、どう育てられているのか、そもそもこの世に生み出されるべきだったのかどうかを考えるようになったときは、もう遅すぎました。こういうことは動き始めてしまうと、もう止められません。癌は治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?そう、逆戻りはありえないのです。あなた方の存在を知って少しは心を痛めても、それより自分自身が、自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューロン病や心臓病で死なないことの方が大事なのです。それで、長い間、あなた方は日陰での生存を余儀なくされました。世間はなんとかあなた方のことを考えまいとしました。どうしても考えざるをえないときは、自分たちとは違うのだと思い込もうとしました。完全な人間ではない、だから問題にしなくていい・・・。こに世界があって、その世界は生徒の臓器提供を必要としている。そうであるかぎり、あなたがたを普通の人間と見なそうとすることには抵抗があります。」

p439の抜粋 ラストシーンのキャシー
半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました・・・。空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。



■ 書評

イシグロは読者に最初から完全な情報を示さないで少しずつ開示して行くことで期待を高めたり、不穏な雰囲気を醸し出したりすることに長けた作家との評が広まっている。

□ 英米文学者・柴田元幸氏の解説(文庫本巻末に掲載)

細部まで抑制が利いていて、入念に構成されていて、かつ仰天させてくれる、きわめて稀有な小説である。
静かで端正な語り口とともにはじまって、いかにもありそうな人間関係が丹念に語られるなか、奇怪なありようが次第に見えてくる。そして奇怪さが見えてきたあとも、端正な語りから伝わってくる人間的切実さはますます募っていき、もはや他人事ではなくなっているその切実さが胸を打ち、心を揺さぶる。決してあわてず、急がず、じわじわと切迫感を募らせていくその抑制ぶりは本当に素晴らしい。
イシグロ自身の頭のなかで醸造された奇怪な妄想をとことん膨らませ、持ち前の緻密な書きぶりを駆使して強引かつ精緻に最後まで書き切ったかのような迫力がある。
作家が想像力のなかにとことん沈潜したその徹底ぶりによって、これまでのどの作品をも超えた鬼気迫る凄味と、逆説的な普遍性をこの小説は獲得している。
1980年代から90年代にかけてイギリスで起きた理想主義の消滅と関連づけて考えることもできる作品だろうし、遺伝子工学が今後ますます進展して行くなかでその倫理を考えるための重要テクストとみなされるようになるかもしれない。

□ 訳者・土屋政雄氏のあとがき(文庫本巻末に掲載)

ミステリではないが、やはり謎めいた要素があって、雰囲気も微妙な違和感に満ちている。謎自体は、途中、比較的早い段階で登場人物の口から明らかにされる。
一つだけ、翻訳直後に湧いてきた疑問がまだ心に残っている。物語の最後で、エミリ先生はかなり衰えている。加齢による衰えだけでなく、何らかの病気があるのかもしれない。そんなエミリ先生の前に、介護人を終えて次の段階に進んだキャシーが現れたとしたら、エミリ先生はキャシーを使うだろうか、という疑問。そしてマダムは?

□ 小池昌代 (詩人)

朝日新聞2006年5月28日 http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701328.html

「不可解な『存在』めぐる戦慄の小説」


英国にある施設・ヘールシャム。幼少時から共に育ってきた生徒たちが、数人の教師と暮らしている。全寮制の学校かと思いきや、描かれる空気には微妙な違和感がある。
まず彼らには家族が見あたらない。孤児かというと、そういうわけでもなく、その「存在」の感触に、言葉では、説明しにくい不可解さが漂う。望めばいつの日か、好きな人と暮らす程度の可能性はありそうだが、どうやら子供は産めないらしい。
そんなことってあるだろうか? わたしたちが普通に使うような意味での、「将来」とか「未来」あるいは「可能性」などという言葉が、彼らにはどうも、うまくフィットしないのだ。若者たちは施設にいるあいだ、仲間たちと密接な関係を育み、詩をつくり絵を描く、一見幸福そうな日々を送る。
だが施設を出たあとは、「介護人」あるいは「提供者」となって、孤独な生活を強いられるようになる。
誰を介護するのか、何を提供するのか。すべては明確に説明されぬまま、作品は注意深くミステリアスに進む……。

著者、カズオ・イシグロは日本人として生を受け、幼い頃に英国に渡った。厳密な意味で母語でない英語で書く作家である。
不条理な世界に取り残されたような人間(それは私たちのことに他ならないと思うが)が、多くの作品に登場し、彼らの魅惑的な語りを通して、いくつもの豊穣(ほうじょう)な物語を生み出してきた。

本書では、穏やかな知性と豊かな感受性を持つキャシーという女性が語り手である。彼女もまた、あの施設で育ち、今は「介護人」として働いている。
彼女の繊細で音楽的な語りは、読み進めるにしたがって、ああこの人は信じられるという不思議な友情を読者に感じさせる。
ヘールシャムでの膨大な過去をゆさぶりながら、人が確かに生きたという証を丁寧に紡ぎだしていくその手つきは、母のように懐かしく慈悲があり、証人のようにおごそかだ。
その語りによって真実は、薄皮をはがすようにあきらかになっていくが、それでも最後まで、あれはいったい、どういうことだったのだろうと、謎のままに残される細部もある。
しかしその謎は解明されずに残されるからこそ、まぎれもない生の温(ぬく)もりを持って記憶の底でいつまでもうごめく。
わたしたちは、何かの目的のために生まれるわけではない。生まれるために生まれ、生きるために生きる。なぜ、生きていくのか、わからないままに、先の見えない暗闇を進んでいく。ある目的のもとに生を受け、役割をはたして死ぬ彼らは、その点で私たちとまったく異なってみえる。
だが、どんな圧力が彼らの生を限定し未来を縛ろうとも、命それ自体は、目的など無効にして、ただ生きようとするのだ。
生きるために。その矛盾と拮抗(きっこう)がこの小説に、深く大きな悲哀をもたらしている。
「複製」の概念が「命」の本質を押しつぶそうとする戦慄(せんりつ)の小説である。
まだ誰もこのことを経験したことがない。でも知っていたという既視感がある。そこが真に恐ろしい。

□ 勝田有子(精神科医)

紀伊國屋書店「書評空間」2008年2月15日 

https://www.kinokuniya.co.jp/c/20110418004051.html

「仕掛けられたSF」

『わたしを離さないで』は紛れもなくSFである。そして、郷愁の想いが全編を通じて深々と読者のこころに沁みわたる逸品である。
主人公たちにとっての故郷、彼らの出自(ルーツ)、そこからの出立とそれらの喪失は、回顧のかたちでキャシーという女性によって語られる。
イギリスの曇天を想起させる、おそらくは寒々とした片田舎を舞台に、キャシーは介護人として働き、年若くしてその職を辞そうとしている。
こども時代を回想する当たり前の始まりが、胸をえぐられるような結末になろうとは読者は予想だにしない。
本書の書評を書くにあたっては言葉を失くさざるをえない。見事に仕組まれた展開が、推理小説並みの謎解きを胚胎しているからだ。
したがって、幾層もの意味を帯びた『わたしを離さないで(Never let me go)』というタイトルのことも、そこに込められる痛切な感情も、凍るような仕掛けも、何ひとつ洩らすことはできない。
巧妙なのは、謎解きの仕掛けがあることにすら気づかせず、こども時代への郷愁を湛えた回顧のごとく読ませていく筆力である。
読み進むうちに言い知れぬ謎が湧き、本書がSFである謂われは後半に至ってから知らされるという異端の筋書きである。
『わたしを離さないで』の謎解きは蓋を開けるようにではなく、紐が自ずからほどけるような具合に明らかになっていく。
キャシーの回顧に沿って、ジグソーパズルのピースがゆっくりとはめられていくようにして、戦慄の全貌が明かされていく。
緩慢でいて間延びせず、謎に惹き寄せながも焦らすでもない独特のリズムが、350頁近い長編の器量のなかで絶妙に配分されている。
独創的でありながらも奇抜さも強引さも感じさせない、自ずからの流れを感じさせるような重心の利いたリズムこそがカズオ・イシグロの特徴なのかもしれない。
回想のなかでは、こども時代から思春期にかけての人間関係が、あたかも映画を見るような刻銘さで描かれる。
仲間意識や除け者意識、移ろいやすい関係と固い絆、おとなの世界とこどもの世界の間にある壁と間隙、性の意識の芽生えと戸惑い。
危うい年頃を象徴するそれらの事象が意外性もなく綴られていくうちに、そこにある嫉妬・羨望・差別・秘密が単なる個人的物語ではなく、途方もなく深い地底を発祥としていることに読者は知らされていく。意表を突く真実の恐怖を明かされていくのだ。

本書のタイトルは、仕掛けられた物語の骨格のなかで折々に出没し、鍵の役割を果たしている。『わたしを離さないで』という端的な言葉には、別離を拒絶する意志が込められている。そして、ジグソーパズルがはめられていくにしたがって、別離の意味はその深さと次元を変えていく。
恋愛を彷彿させがちな情緒的次元やうら悲しい郷愁とはまったく異質の状況と感情が、読者の想像力に挑んでくるかのようだ。
そして、主人公の拒絶する意志が単なる拒絶でも意志でもないことを、読者は圧倒させられる思いのなかで知らされることになる。

土屋政雄の翻訳は、本書の淡々とした基調をしっくりと日本語に乗せている。あざとさのない平易な言葉遣いとリズムが、イシグロの墨絵のような世界と歩調を合わせ、その濃淡を慎ましく浮き彫りにさせている。見事な翻訳である。さらに、表紙を飾る民野宏之の装画も大胆なようでいてひっそりとしていて、その意匠も読後になって一層頷ける具合になっている。

『わたしを離さないで』は、切望と絶望の境界を越えて、彼女なりの方法で別離を拒否する女性を描いている。
離れていくこと、離れていることを運命づけられた主人公(たち)が、それぞれの離別を体現していくなかで、キャシーは彼女自身の運命に対処していく。
そもそも別離、「離す」ということは何を意味するのか。離れていくことによってしか離れないでいることが叶わない運命。巧妙に仕組まれたシステムは作品の構造だけでなく、主人公たちの運命の仕掛けを意味している。
決定的な別離または隔離の起きた場所・施設は、ありきたりの望郷を越えて、彼らを疎外し同時に吸引していく故郷なのだ。
『わたしを離さないで』は恐怖に満ちたSF小説であり、その感動は身体に響く。


◇--------------------------------------------------------------------


■■ 映画化作品

■ 英米合作のハリウッド映画

原題:「Never Let Me Go」
製作: 2010年英米合作
配給: 20世紀フォックス、フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
先行公開: 米国2010年9月(テルライド映画祭)、日本2010年10月(東京国際映画祭)
一般公開: 英国2011年2月、日本2011年3月

 

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□ スタッフ

監督: マーク・ロマネク
脚本: アレックス・ガーランド
音楽: レイチェル・ポートマン
撮影: アダム・キンメル
編集: バーニー・ピリング

□ ロケ地: 

寄宿学校ヘールシャムは、ロンドンの南西部サリー州リッチモンド地区の「ハムハウス(Ham House)」。
美しい桟橋は、イングランドの南西部サマセット州クレブドン地区の「クレブドン桟橋(Clevedon Pier)」。
その他、Andrew Melville Hall、Bexhill-on-Sea、Clevedon、Weston、Docking、Holkham Beach and Estateなど。

□ キャスト
 
語り手、介護人のキャシー(Kathy H.): キャリー・マリガン・・・英国インディペンデント映画賞/主演女優賞 (幼少期 イゾベル・ミークル=スモール)
友人、提供者のトミー(Tommy D.): アンドリュー・ガーフィールド (幼少期 チャーリー・ロウ)
友人、提供者のルース(Ruth C.): キーラ・ナイトレイ (幼少期 エラ・パーネル)
校長先生、保護官のエミリー(Miss Emily): シャーロット・ランプリング
新任先生、保護官のルーシー(Miss Lucy): サリー・ホーキンス    

□ 受賞歴

英国インディペンデント映画賞
主演女優賞・・・受賞。
インディペンデント映画賞(作品賞)・監督賞・脚本賞・助演男優賞・助演女優賞・・・ともにノミネート。

□ あらすじ・・・出典 「Movie Walker」 https://movie.walkerplus.com/mv46988/

緑豊かな自然に囲まれた寄宿学校ヘールシャム。
そこで学ぶキャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)の3人は、幼い頃からずっと一緒に過ごして来た。
しかし、外界と完全に隔絶したこの施設には幾つもの謎があり、“保護官”と呼ばれる先生のもとで絵や詩の創作に励む子供たちには、帰るべき家が無かった。
18歳になって、校外の農場のコテージで共同生活を始める3人。
生まれて初めて社会の空気に触れる中、ルースとトミーは恋を育んでい行く。
そんな2人の傍に居ながらも、次第に孤立して行くキャシー。
複雑に絡み合ったそれぞれの感情が、3人の関係を微妙に変えて行く。
やがて、彼らはコテージを出て離れ離れになるが、それぞれが逃れようのない過酷な運命を全うしようとしていた。
やがて再会を果たしたルース、トミーと掛け替えのない絆を取り戻したキャシーは、細(ささ)やかな夢を手繰り寄せるため、ヘールシャムの秘密を確かめようとする。
だが、彼らに残された時間は余りにも短かった……。


*

 

 

■ ホリプロの舞台化

□ 劇場

2014年4月29日~5月15日:「彩の国さいたま芸術劇場」大ホール
2014年5月23日~5月24日:「愛知県芸術劇場」大ホール
2014年5月30日~6月 3日:「梅田芸術劇場」シアター・ドラマシティ

□ スタッフ

企画制作: ホリプロ
演出: 蜷川幸雄
脚本: 倉持裕
音楽: 阿部海太郎

□ キャスト

介護人の八尋: 多部未華子
提供者のもとむ: 三浦涼介
提供者の鈴: 木村文乃
晴海先生: 山本道子
校長の冬子先生: 銀粉蝶 
マダム: 床嶋佳子

□ 概要

舞台は、第二次世界大戦後の現実世界とほとんど同じだが、少しだけ異なるところのあるパラレルワールド。
そこでは遺伝子工学がクローン技術を実用化していた。
昨今、話題になっている万能細胞にしても、この技術を確立する第一歩。
それがもう少し早く確立していたらどうなるか?
そんな想像から構想されたのが『わたしを離さないで』のパラレルワールドなのだろう。

□ あらすじ 

 

出典: 小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学)http://webronza.asahi.com/culture/articles/2014050700005.html

寄宿学校「ヘールシャム」では、生徒たちが思春期を迎え、若い輝きを放っている。
プロローグを置いての冒頭、少年たちがサッカーボールを追い、舞台後方からスローモーションで前面にせり出して来る。
学校は海に近く、波の音や汽笛が聞こえ、教室の白いカーテンが風に揺れる。透明感あふれる爽やかな幕開けだ。
クラスで浮いた存在のキレやすい「もとむ」(三浦涼介)は、サッカーチームの編成で仲間外れにされ、教室で暴れる。
そんな「もとむ」に、大人びた八尋(多部未華子)は優しい気遣いをみせる。
一方、自己主張の強い親友の鈴(木村文乃)は「もとむ」が好きで、積極的に付き合い始める。
一見、普通の学園生活に見えるが、冬子先生(銀粉蝶)は頻(しき)りに「ヘールシャムの生徒は特別」だと説く。いったい何が「特別」なのか?
彼らは多くの時間を図工に費やし製作した作品を「マダム」(床嶋佳子)と呼ばれる女性が買い取って行く。
なぜかマダムは生徒たちを怖がっている。この女性の謎が終盤への伏線となる。
2年後、使われていない教室で、良心的な晴海先生(山本道子)は集まった八尋ら3人に言う。「あなた達は、普通の人たちが働くような仕事には就けない……なぜってあなた達の人生はすでに決められているんだから……」と。
そして、衝撃の事実が明らかになる。生徒らは、成長して後、臓器提供することだけを目的に作られたクローン人間だったのだ。
彼らは「ヘールシャム」を出て「農園」に移り、準備期間に入る。
次に、提供者の介護人を3年以上務めた後、何度かの提供をして使命を終える、というルートが定められていた。
クローン人間は心を持ちながら、人権はないのだ。しかし、クローン人間同士が愛し合うことは普通にある。
「農園」を出ることは愛する者との別れを意味し、彼らは残り時間が少ないことを自覚する。
そんな或る日、「農園」の同僚から、「鈴のオリジナルを目撃した」という情報が寄せられる。
その女性は、かつて鈴が憧れたガラス張りのオフィスで働いているという。鈴らはその女性を見に行く・・・。
==以下略==

*

 


■ TBSドラマ化

制作: TBS金曜ドラマ枠
放送期間: 2016年1月15日~3月18日(10回)

 

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□ スタッフ 

 

プロデュース:渡瀬暁彦・飯田和孝 

演出: 吉田健・山本剛義・平川雄一朗 

脚本: 森下佳子 

音楽:やまだ豊 

劇中歌: 「Never Let Me Go」(作曲・やまだ豊、作詞・Julia Shortreed / Henri Ohara、歌・Julia Shortreed)・・・劇中ではCDアルバム「Songs after Dark / JUDY BRIDGWATER」の1曲という設定。 

 

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□ キャスト

介護人 保科恭子: 綾瀬はるか(幼少期:鈴木梨央)
提供者 土井友彦: 三浦春馬(幼少期:中川翼)
提供者 酒井美和: 水川あさみ(幼少期:瑞城さくら)
提供者 遠藤真実(まなみ): 中井ノエミ(幼少期:エマ・バーンズ)
教師・保健体育 堀江龍子: 伊藤歩
教師・美術 山崎次郎: 甲本雅裕
経営者・校長 神川恵美子: 麻生祐未
正体不明のマダム: 真飛聖

□ 概要

世間から隔離された施設・陽光学苑で「良質な」教育を与えられ育てられて来た恭子・友彦・美和。
子どもらしい生活、子どもらしい教育を享受し「普通の子ども」であったはずの彼ら。
或る日、生まれながらに或る使命を与えられた「特別な子供」であると教えられ、自分たちの「本当の運命」を知らされる。
彼らに課された使命とは?学苑に隠された秘密とは?
運命を知った3人は絆を求め、人を愛することで生きる希望を得ようとする。
子どもから少年・少女、そして大人になる中で「生きる意味」を模索して行く3人。
大人になった3人は運命に抗うのか?それとも運命に従うのか?
生と愛が絡み合うヒューマンラブストーリー!!

□ あらすじ 

 

出典: TBSオンデマンド https://tod.tbs.co.jp/program/9442

 

 

 


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