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GW 2日目の4/30(土)も晴れ上がっているが強風。
今日の都区内散策は、それも風のデルタ地帯に向かうとあって、
妻を残し(TV野球・海外ドラマ)、昼食後に一人で出発した。
コースは、江東区の大島小松川公園~猿江恩賜公園。
都営地下鉄の大江戸線・上野御徒町駅~森下駅
~新宿線・東大島(おおじまと濁音)」駅で下車。
「東大島駅」は初降り。旧中川の橋上駅舎で、その地下には車両基地(検修場)が在るのだ。
江東区の大島・葛西・砂町のデルタは、見渡す限り大大アパートビル群。
私のイメージでは、
"城北"板橋区の高島平が1970/80年代の首都を支えたとしたら、
"城東"江東区のデルタは1980/90年代の首都を支えたと思う。
しかも今なお増殖し続け、訪れてみて子ども連れのヤングパパママの多さを実感した。
我々ジジババと観光客の多い台東区・墨田区と雲泥の差。
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■ 都立「大島小松川公園」(江東区大島9-9)
旧中川を挟(はさ)んで、西の江東区大島9丁目と、東の江戸川区小松川1丁目とに跨(またが)っている。
1997年開園と未だ新しい。面積25万㎡近くとチョー!!広大。
都内有数のデルタ地帯における「防災市街地再開発」 (災害時には約7万人の避難広場)となる。
□ スポーツ(野球・サッカー・テニス)、わんさか、自由(アスレチック・バーベキュー)、季節(花壇)、風(丘・ジョギング)の5つの広場。
GWの序盤(or終盤)なので、様々なイベントが催されていた。
そして何処へ行ってもツツジツツジ。
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□ 南端の「風の広場」は、流石に疎(まば)ら。
ジョギングを除けば私のようなヨソ者の訪問客。
丘の上から「荒川 + 旧中川」を眺望する。
上流の都営地下鉄「新宿線」鉄橋
下流の葛西橋~メトロ「東西線」清砂大橋の方面
「旧小松川閘門(こうもん)」
・・・荒川~旧中川~小名木川の合流点における水位調整。
1911年~、水害を防ぐため荒川の改修工事開始。
1930年、水位差を解消させるため閘門完成。
中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせている。
ここにも藤棚
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【追記】 5/1(日)
いやー! 驚きました。
東京新聞の朝刊に、昨日歩いたスポット・大島(おおじま)が、航空写真入りで掲載されていました。
(東京新聞本社ヘリ「おおづる」から撮影・潟沼義樹氏、記事・浅田晃弘氏)
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都営地下鉄新宿線・東大島駅~住吉駅下車。(メトロ半蔵門線・住吉駅と交差する。)
□ 今回は訪れなかったが、「猿江」の地名は、例の11世紀の奥州征伐「後三年の役」(1083~1087年)の頃、源頼義・義家親子の家臣・猿藤太が当地の入り江で没したことから「猿江稲荷」が創建され、「猿江神社」(江東区猿江2-2-17)へと発展した。
また、「毛利」の地名は、江戸1722年、麹町/隼町の豪商・伊勢屋毛利藤左衛門が毛利新田開発。1734年、幕府の深川木場に、明治に皇室所有になった。
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■ 都立「猿江恩賜公園」(江東区毛利2-13-7)
横十間川の「水辺の散歩道」の西側。その間を新大橋通り/本村橋が通っており、
北園は毛利2丁目、南園は住吉2丁目にそれぞれ広がる。面積15万㎡。
□ 北園(毛利)・・・1981~83年に新しく拡充。
区民の憩いの場である。野球以外の運動は、北園の各広場で。
樹木や草花壇も豊富。チューリップ・ツツジ・ヤマモモ。間もなく(6月)、アジサイ・ヤマホウシ。
アヤメ
ハナミズキ
シャリンバイ
シャクナゲ
珍しい白シャクナゲ
珍しいサクラアオイ(正式名アンソドンティア・サンレモクィーン)
トチノキの花(左)、モッコウバラ(右)
夏季になれば全長300mの「じゃぶじゃぶ池」で遊べる。
その他に、
幕府の貯木場・木蔵(きぐら)を再現した「ミニ木蔵」
・・・1733年頃、江戸城の建材を貯木した「深川木場」、明治後は宮内庁の貯材所に。
戦後は貯木場が江東区潮見に移転。
ミニ木蔵(HPより引用)
新大橋通りを渡ると、
□ 「南園」(住吉)・・・1932年に開園。こちらが先。
和風庭園となっておりシルバーの散策向き。
シンジュ(樗・神樹、別名・ニワウルシ)やヤマグワの新緑が美しい。
池がありアシ(ヨシ)や水草がたくさん生えている。
花の名が不明(ピンク色のウツギ?)
□ 一角に、「江東公会堂」(愛称「ティアラこうとう」、江東区住吉2-28-36)
ここは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の準本拠地。
「白鳥の湖」のポスター。
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帰途は、メトロ半蔵門線・住吉駅~銀座線・三越前駅で乗り換え。
今日のウォーキングは一人だったので10,400歩の大台突破。
帰宅すると、妻からオリックスのエース・金子千尋が何と!!完封勝利したと報告あり。
西やディクソンや東明、そして左の松葉に伝染してほしい。