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今日は「愛酒の日」。お酒、飲める?【ブログネタ】

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お酒、飲める?

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8月24日は、酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の誕生日であることから、「愛酒の日」となった。

 


*

 


自然主義文学の牧水は、旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、短い生涯の中で実に約9,000首を詠った。
日本各地に歌碑・文学碑が立てられ、Official Web Siteを覗いて数えると297基に上る。

 

(出典: Studio游)

 

 

牧水が詠んだ歌が多い地は、宮崎118首、静岡28首、長野28首、群馬27首。
私が育った---北陸には無く、

住んだ---埼玉には秩父・入間・飯能・所沢、東京には日野・立川・玉川、神奈川には川崎・横須賀・相模原---と少ない。

従って、これまで歌碑との接触は殆ど無かった。

 


*

 


でも牧水は、毎日のように一升酒を飲んでいたようだ。私も酒好きなので理解できるところは多い。

 

 

尤(もっと)も、牧水は短歌の名手。

#4歌集「路上」(園田小枝子と破局後の1911年発表)より2首。

私なりの解釈を付けてみた。

 

☆「なほ耐ふる われの身体を つらにくみ 骨もとけよと 酒をむさぼる」

こじれた彼女との仲に耐えようとする我が身が憎たらしい。いっそのこと骨まで滲みて溶けてしまえばいいと、酒を貪り飲もう。

 

☆「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」

白玉を肴に飲む。​今は泥沼となってしまったが、出会った頃の彼女の白い膚が思い出される。酒はどこまでも清んで歯に滲み透る。今宵の夜長は、戻って来ないあの頃の思いに浸りながら、独り静かに飲み続けよう。

 

 

*

 

 

俗人の私の場合は、演歌などの歌謡曲だった。

旅(地方出張)をすれば、情緒的(おセンチ)になって、地酒を飲みご当地ソングを歌いたくなる。
好みの女性に出会えば、気持ちが高揚して来て、酒を飲み演歌やデュエット曲を歌いたくなる。

 

 

酒というのは飲み過ぎると、翌日の明るいうちは体調が優れないが、暗くなると元気が戻って来る。
これを毎日のように繰り返していると、半アル中状態へと陥って行く。
それでも酒を断たなければ、肝硬変への道が待っている。
借金塗(まみ)れが許される環境があると、そのうち死に至る。


私の場合には、そのような環境にはなかったので、リタイアとともに節酒の生活を送っている(笑)。

 


*

 


□ 牧水の略歴


 
1885年(明治18年)8月24日、宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市東郷町)坪谷3に生まれる。本名・若山繁。
1899年、宮崎県立延岡中学校(現・延岡高校)入学、1903年秋頃から号・若山牧水。1904年卒業。
1904年、早稲田大学英文科高等予科入学、同級生の北原射水(後の白秋、象徴/耽美主義・童謡)、中林蘇水とともに「早稲田の三水」と呼ばれる。1908年英文学科卒業。
1907年、郷里から上京した園田小枝子との交際(~10年)。
1909年、中央新聞社入社、5カ月で退社。尾上柴舟(叙景詩運動)に入門。
1911年、雑誌「創作」を主宰。1912年、石川啄木(社会主義)の臨終に立ち合う。太田喜志子と出会い結婚。


1920年、千本松原の景観に魅せられ静岡県沼津市に移住。
1926年、雑誌「詩歌時代」を創刊。
1927年、朝鮮への揮毫行脚(きごうあんぎゃ)で珍島や金剛山などを巡り、体調を崩す。
1928年(昭和3年)9月17日、急性胃腸炎と肝硬変を併発し自宅で急死、満43歳・没。千本山乗運寺(沼津市本字出口町335)に埋葬。毎年9月17日に牧水忌。

 

 


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