■ 11月9日は「119番の日」
1987年に当時の自治省(現・総務省)消防庁が、自治体消防の発足40周年を機に、消防・救急に関する緊急通報用電話番号の「119番」に因んだ語呂合わせで制定した。
国民の消防全般に対する正しい理解と認識を深め、住民の防火・防災意識の高揚を図ることが目的。
「秋の全国火災予防運動」の初日でもある。
火災報知の電話サービスが、1926年に導入された時の番号は「112番」だった。当時はダイヤル式の黒電話であり、"一刻を争う緊急のためにダイヤルを回す時間の短い番号" として指定された。しかし、意外と掛け間違いが多かった。そこで、翌1927年に掛け間違い防止のため、"最後にダイヤルを回す時間が長い「9」を回すことで落ち着いて話ができる番号" として現在の「119番」になったと言われている。
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□ 関連する主な記念日
1月10日は「110番の日」 ・・・1985年に内閣府国家公安委員会警察庁が、警察への緊急通報用電話番号の「110番」に因んだ語呂合わせで制定した。
1月18日は「118番の日」 ・・・2010年に当時の運輸省 (現・国土交通省) 海上保安庁が、海上保安 (海上での事件・事故対処)に関する緊急通報用電話番号の「118番」に因んだ語呂合わせで制定した。
3月 7日は「消防記念日」・・・1950年に内閣府国家公安委員会国家消防庁 (現・総務省消防庁) が、1948年3月7日に消防組織法が施行されたことを記念して制定した。
9月 1日は「防災の日」 ・・・1960年に内閣閣議決定により、1923年9月1日に勃発した巨大災害の「関東大震災」を記念して制定された。
9月 9日は「救急の日」 ・・・1982年に当時の厚生省 (現・厚生労働省) が救(9)急(9)という語呂合わせで制定した。
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□ お題「救急車に乗ったことある?」
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▽ 救急車に乗った経験
1967年春、大学に進学して直ぐのこと。高校・大学浪人の頃から映画(特に洋画)が大好きだった私は、現役で合格した高校クラスメートの勧誘もあって文化サークル「映画研究会」に入部した。その新入生歓迎コンパ(第一会場は金沢市柿木畠の「芝生」)では激しい洗礼が待っていた。私は恐らく誰よりも多いビール(勿論の大瓶)7本を呷(あお)られ、更に第二会場のスタンドバー(片町)でも勧められるものは何でも口に運んでしまった。
結果は急性アルコール中毒で大学の部室に戻って(どう戻ったか覚えていない)、朝方まで戻していた。もう内容物も無く苦い胆汁しか上がって来ない状態に陥った。そして遂に誰かが救急車を呼んで着いた先は「精霊総合病院」(長町)だった。
▽ 序(つい)でに、パトカーに乗った経験
1960年、中学1年時の晩秋だった。小学校まではマラソンに加え短距離走のリレー代表となってまずまず速かった私は、中学に進学して迷わず陸上部に所属した。ところが身長が急速に伸び始め足の筋肉発達が伴わず、みるみる間に脚力が落ちて行ったため、学年の後半には陸上部の劣等生となっていた。その劣等生仲間3人が放課後のグラウンドからロード(国道8号線)に出て津幡川 (河北郡津幡町) までを折り返す練習を行った。せいぜい往復15kmの距離。
だが帰路にはすっかり日も落ちて我々はトボトボと歩き始めていた時、パトカーが止まって「どうした」と尋ねたので説明したところ、「靴は汚れてないか」「はい」「じゃ乗れ」と中学グラウンドに近い場所で下ろしてもらった。