■ 1月20日は「大寒」(だいかん)
二十四節気の第24。太陽黄経が300度の時で今年2020年は今日1月20日(月)。「冬至」から1/12年(約30.44日)後。期間としては1月20日(月)~「立春」前日の2月3日(月)。
『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明し、寒さが最も厳しくなる頃。武道では寒稽古が行われる。
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しかしながら、梅の開花は次第に進んでいる。
昨日1/20(月)の午後、「台東区立隅田公園」の「梅めぐり散歩道」(台東区浅草7)で早咲きの梅の開花を観察した。
八重寒紅
紅千鳥
「梅めぐり散歩道」は品種の表示があって助かるが、
その他の園内(花川戸1/2)は表示がないものの開花は進んでいた。
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■「2020年 お年玉付年賀はがき」の切手シートが当選!! 早速最寄り郵便局で受領。
平成19年(2007年)からの連続当選の火が絶えなかったので、うれしい。42枚中の1枚(2.4%)。
□ お年玉切手シート S40年(1965年)以降の当選推移(○内数字は枚数)
S40 ①、S41~S63 0、S64 ①、
H2 0、H3 ④、H4 ⑤、H5 ④、H6 ⑧、H7 ⑧、H8 ⑨、H9 ⑨、H10 ⑥、
H11 ⑨、H12 ⑤、H13 ⑤、H14 ⑤、H15 ⑤、H16 ④、H17 0、H18 0、H19 ③、H20 ①、
H21 ①、H22 ①、H23 ①、H24 ①、H25 ①、H26 ②、H27 ①、H28 ④、H29 ①、H30 ①、
H31 ③、R2 ①。
お年玉切手シート令和2年(2020年)
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■ クリムトの『婦人の肖像』(1917年)が23年ぶりに見つかった。
ピアチェンツァ(イタリア)AFP = 時事通信
2020/01/18配信
23年前の1997年2月にイタリア北部ピアチェンツァのリッチオッディ近代美術館が改修工事で閉館していた際に所在が分からなくなり盗まれたのではないかと考えられていた、
19世紀末ウィーンを代表するオーストリアの画家グスタフ・クリムトの名画『婦人の肖像』(1917年)が、
2019年12月、庭師が約10年ぶりに同じ美術館の外壁のツタを取り除いた際、小さな換気口に仕組まれた「隠し扉」の中から見つかった。額縁はなく黒いゴミ袋に入れられていた。
地元当局が同日、専門家による鑑定で本物だと判明したと発表した。
作品は1916~17年に制作され、緑色の背景に茶色い髪の若い女性の上半身と顔が描かれている。
イタリアメディアは6000万~1億ユーロ(約73~122億円)相当の市場価値があると報じている。
絵は1997年2月に行方不明となっており、何者かが夜間に天窓から作品を釣り上げて持ち出したとみられていた。
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□ グスタフ・クリムト略歴
※ 出典は、Wikipedia、「花美術館vol.62」(2018年10月発行)など。
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Gustav Klimt, 1862年7月14日~1918年2月6日。
1862年、オーストリア帝国ウィーン市の郊外のバウムガルテン(ペンツィング)に生まれ。国籍はオーストリア帝国。
『左を向いた少女』1880年頃、東京富士美術館(八王子)蔵
『森の奥』1881~82年、飛騨高山美術館蔵
『音楽』1895年、ノイエ・ピナコテーク (ミュンヘン) 蔵
『パラス・アテナ』1898年、ウイーン市立歴史美術館蔵
『白樺のある農家』1900年、オーストリア美術館(ウィーン)蔵
『ユディトI(英語版)』1901年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館 (ウィーン) 蔵
『ベートーヴェン・フリーズ』1901~02年、セセッション館(ウィーン分離派会館) 蔵
『エミリエ・フレーゲの肖像』1902年、ウィーン・ミュージアム・カールスプラッツ蔵
『人生は戦いなり(黄金の騎士)』1903年、愛知県美術館蔵
『希望Ⅰ』1903年、カナダ国立美術館(オタワ)蔵
『水蛇Ⅰ』1904~07年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館 (ウィーン) 蔵
晩年の1905年、クリムトとその同士はウィーン分離派を脱退。1906年、オーストリア芸術家連盟を結成。
『マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像』1905年、ノイエ・ピナコテーク (ミュンヘン) 蔵
『樹下の薔薇』1906年、オルセー美術館蔵
『フリッツア・リードラーの肖像』1906年、オーストリア美術館(ウィーン)蔵
『バージン』1906年、プラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿蔵
『ヒマワリの咲く農家の庭』1906年頃、オーストリア美術館(ウィーン)蔵
『法学』『医学』『哲学』1899~1907年、ウィーン大学大講堂天井画
『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』1907年、個人蔵 ⇒ ノイエ・ギャラリー(ニューヨーク)委託
『接吻』1907~08年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館 (ウィーン) 蔵
『ダナエ』1907~08年、ヴュルトレ画廊(ウィーン)蔵
『生命の樹』1905~09年、ストックレー邸 (ブリュッセル) 蔵
『ユディトⅡ(オランダ語版)』1909年、カ・ペーザロ国際近代美術館(ヴェネツィア)蔵
1909年、ウィーン工房によるストックレー邸の壁画を制作。
1910年代には、金箔などを用いる装飾的な作風からの脱却を図り、上流階級の婦人たちの肖像画を多く手がけた。
『メーダ・プリマヴェージの肖像』1912年、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)蔵
『処女(おとめ)』1913年頃、プラハ国立美術館蔵
『オイゲニア・プリマフェージの肖像』1913~14年、豊田市美術館蔵
『死と生』1915年、レオポルト美術館(ウィーン)蔵
『フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像』1916年、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)蔵
『婦人の肖像』1917年、リッチオッディ近代美術館(イタリア・ピアチェンツァ市)蔵
『白い服の女』1917~18年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館蔵 (ウィーン) 蔵
『赤子(ゆりかご)』1917~18年(未完)、ワシントン・ナショナルギャラリー蔵
1918年、オーストリア=ハンガリー二重帝国ウィーン市でスペイン風邪の症状悪化により脳梗塞と肺炎となり死去 (55歳没)。ウィーン市のヒーツィンガー墓地に埋葬された。
クリムトの死の数カ月後、オーストリア=ハンガリー二重帝国は第一次世界大戦に敗北しハプスブルグ帝国は消滅する。フランツ・ヨーゼフ皇帝の後半生とグスタフ・クリムトの生涯はほぼ重なる。