昨日7/11(木)午後、俄(にわか)雨が有りそうだったので、近場のサイクルに止めた。
昭和通り
□「両大師橋」(台東区上野7 ~ 上野公園6)を手押しで上った。
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□「寛永寺 輪王殿」(貸し葬儀式場、台東区上野公園14-5)
■「寛永寺 開山堂」(通称「両大師」、上野公園14-5)
1644年に創建。元は前年に亡くなった「寛永寺」の開山・慈眼大師天海大僧正(1536~1643年)を祀る「開山堂」として1644年に創建。後に「寛永寺 本坊」内の「慈恵堂」から慈恵大師良源大僧正(912~985年)像を移し、慈恵・慈眼の両大師を祀ったため、「両大師」と呼ばれるようになった。東京で唯一の"門跡寺院 厄除け大師" 。1993年に再建。
縁日は毎月3日。
本堂
燈籠
1951年、千葉市検見川に在る東京大学農場(現・運動場)内の縄文期・落合遺跡で発掘された実から発芽・開花した。
コンロンカ(別名ハンカチノキ)
アメリカフヨウ
(寛永寺の子院19のひとつ、上野公園15-9)
未だ開花しないスイフヨウの中に、
アルストロメリア(別名ユリズイセン)
□「国立教育政策研究所 社会教育実践研究センター」(上野公園12-43)
白黒ネコ「ご用件は?」
私「別に」
白黒ネコ「怪しいジイサン」
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■「寛永寺 根本中堂」(上野桜木1-14-11)
「寛永寺」の正式名称は「天台宗別格大本山/関東総本山/東叡山/寛永寺/円頓院」。
2代・秀忠の隠居後、1625年(寛永2年)、3代・家光の時に現在の「東京国立博物館」敷地(上野公園13-9) に「本坊」を創建。当初は江戸城の鬼門の方角に鎮護祈願寺として、後に徳川将軍家の菩提寺として。1698年、現在の「上野公園 竹の台噴水」(噴水池テラス、上野公園8) の地に創建。1868年、「戊辰戦争 上野戦争」(彰義隊戦争)で焼失。1879年、「川越喜多院 本地堂」を移築し再建。
「根本中堂」
7/12(金)「盂蘭盆会(うらぼんえ) 施餓鬼大法要」の準備中。
隣接の「区立上野中学校」(上野桜木1-14-55)との境・・・終期のカシワバなどアジサイ類
「盂蘭盆会[7/13(土)~7/16(火)] 前々日の徳川家所縁の墓参か?
■「寛永寺霊園 常憲院(5代・綱吉)霊廟勅額門」(重要文化財、台東区上野桜木1-16)
5代・綱吉が亡くなった1709年に建立。
■「天台宗/東叡山/浄名院」(通称「糸瓜(へちま)寺」、上野桜木2-6-4)・・・「寛永寺」三十六坊のひとつ、1666年に創建。「江戸六地蔵」など地蔵尊が多く像の数は増え続けた。
中でも「地蔵菩薩坐像」(青銅製)は、かつて江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像が在った深川・永代寺が明治維新で廃寺となり日露戦争戦没者を弔うため、1906年に建立された。
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■「京成本線 東臺門(東台門)」(通称「上野山トンネル」、上野桜木2-3)・・・1933年に完成した上野公園駅(現・京成上野駅)~日暮里駅の間のトンネル。
言問通り
□「寛永寺陸橋」(上野桜木2/1 ~ 台東区根岸2)
□ 根岸うぐいす通り(根岸1/3)
■「入谷鬼子母神」[正式名称「法華宗/仏立山/真源寺(しんげんじ)」、台東区下谷1-12-16)
1649年に創建。江戸三大鬼子母神の一つ、七福神の福禄寿を祀っている。狂歌師・大田南畝の「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落。
「入谷朝顔市」は、「鬼子母神」を中心として言問通りに60軒の朝顔業者と80軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わう。朝顔は今から千百年以上も前の奈良時代、中国から遣唐使によって伝来した。朝顔の種のことを中国名で牽牛子(ケンゴシ)と言い、和名で阿佐加保(あさがほ、朝顔)と言われるようになった。更に牽牛花(けんぎゅうか)とも言われ七夕の牽牛の花と書くので、朝顔の市を開く時期が七夕前後になった。江戸時代に最初は御徒町の下級武士・御徒目付の間で盛んに栽培されていたが、江戸末期の文化・文政の頃には入谷の十数軒の植木屋が作るようになった。
「入谷朝顔市2019」は7/6(土)~7/8(月)に終了。
朝顔市の残り
近隣 (下谷・入谷・根岸) の街に
飾られた朝顔たち
一方、「浅草寺ほおずき市2019」は7/9(火)~7/10(水)に終了したばかり。