村上春樹の新作---長編小説「騎士団長殺し」(英語タイトル「Killing Commendatore」)
原稿完了2016年10月中旬、新潮社・単行本刊行2017年2月24日。
「1Q84」2010年4月から7年---ファンが待ちかねた書き下ろし長編小説の最新作。
「1Q84」のリトル・ピープルを想起させるような騎士団長。
■■ 近年の主要作品とその訴求点 <推移>
■「1Q84」 (新潮社2009年5月/2010年4月)
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村上春樹「1Q84 Book1/Book2」のパラダイム<思想の枠組み>(2009-06-30)
村上春樹「1Q84 Book3」感想 (2010-06-22)
☆ 問題状況
「阪神・淡路大震災」1995年1月、「オウム真理教事件」(「松本サリン事件」1994年6月「地下鉄サリン事件」1995年3月「教祖・麻原彰晃逮捕」1995年5月)、「米国同時多発テロ事件」2001年9月---を素材に取り扱ったハードボイルド&メッセージ性の小説。
リトル・ピープルと名付けて警告する原理主義・テロリズム(組織的な虐待・暴力・制裁)。個人の歪(いびつ)な意思が、弱い心の隙間に憑(と)り付く。
それは家族制度の崩壊により生じた家庭内/学校内の苛(いじ)め・暴力・性的虐待などによって受けたトラウマに憑り付く(弱味に付け込む)。
リトル・ピープルによって囚(とら)われた人たちは歪な総意となって、閉ざされた歪な異界「1Q84」へと誘い込む通路を作る。
パラレル・ワールド(二重の月)を形成し退路を遮断して封じ込める。
★ 解決策
貧困・失敗・優劣などから起こるトラウマ(空白・隙間)を埋めてあげるため、
命が尊いと認識し、相手を強く思い慕う---心を持続することが、真の愛と絆を育(はぐく)む。
人と人が互いに長く深く持ち続けた思慕・意思の力によって、異界から現界へ生還させる。
とともに、家族の新しい命(愛の結晶)を受胎、芸術を創出せしめてくれる。
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■「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋2013年4月)
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村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」感想(2013-04-17)
「東日本大震災・福島原発事故」2011年3月、「米国同時多発テロ事件」の「首謀者ビン・ラーディン殺害」2011年5月---を素材に取り扱ったハードボイルドとメッセージを想定したが、
そうではなく、作家としての心(思想)の軌跡を表わしていて、エッセイ的な小説。
村上氏自身は、日米欧を渡り歩く無国籍(ボーダーレス)作家から、日本(ナショナル)作家へ回帰することを試行している。
仏教の五色 (あるいは陰陽道の五色) を引用した主人公の巡礼 (名誉・信頼の回復) の旅。
「TAZAKI TSUKURU」(多崎つくる)⇒ 並べ替え ⇒「TSUZUKU TIKARA」(続く力)の隠喩 <私の推理>。
村上氏はこれまで、アフォリズム&デタッチメント段階 (理念として達観) から1990年代のコミットメント段階 (思想行動として訴求) への飛躍を目指して来たが、それにアジアの民族文化が加わった。
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■「騎士団長殺し」(新潮社2017年2月)
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「騎士団長殺し」紹介(2019-03-11)
☆ 問題状況
「南京事件&ノモンハン事件」1937~39年、「オウム真理教事件」1988~1995年、「米国同時多発テロ事件」2001年、「福島原発事故」2011年~、---を素材に取り扱ったハードボイルド&メッセージ性の小説。
イデアは認識(意思)から生じる実存であり、メタファーは表象(非認識)から生じる意味合い・関連性である。
現実と非現実 (もうひとつの現実)は穴を介して繋がっている。言い換えれば、イデアとメタファーの異空間はメタファーへの通路で繋がっている。
井戸の底(穴)の暗闇は異界に続いており、現実と非現実の境界線が溶け壁を抜けて、消え去るものがいて到来するものがいる。
内面(潜在意識)に在る深い暗闇に昔からじっと棲まっており、正しい意思を捕まえて次々に貪り食べ肥大して行く癌細胞のようなもの。
それを二重メタファーと呼び、心の隙間を狙って侵入し諸悪の根源となる。
餌食になり取り憑かれると、意思とは関係なく(相矛盾する二重の信条を持ち)、邪悪な心を生成し憤怒や憎悪や嫉妬を再生産する。
現実社会は二重メタファーという自己欺瞞で汚れ切っているため、「騎士団長殺し」は、邪悪な二重メタファーの犠牲になった人たちを鎮魂した絵であった。
★ 解決策
日本人のサイキ(精神性)を題材として、読んだ人たちが互いに信じ合える力 (心の隙間を埋められる力) を持てるような善き物語を描き続けたい。
「MENSHIKI WATARU」(免色渉)⇒ 並べ替え ⇒「WASHIKI MENTARU」(和式メンタル)の隠喩 <私の推理>。
主人公(私)は、騎士団長を目覚めさせた挙げ句に殺し、裂け目を通路に異世界へと潜入する。
社会苦を引き受けて地底を巡礼し、暗黒の胎内を潜(くぐ)って帰還できた。
かくして、力強く復活し、離別中の妻ユズとの信じ合える関係を再構築する生活が始まる。
そして、芸術の創造者として、物語や絵画に様々な分身(諸君ら)を登場させて描き続けたい。
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■ 関連する村上氏のインタビュー
□ 2016/10/30(日)、デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞授賞式に参加した村上氏のインタビュー。
アンデルセンの小説「影」を採り上げながら、自らの影、すなわちネガティブな側面と対峙し受け入れることの重要性を説いた。
加えて、それは個人の問題のみならず、社会や政治に関する問題でもあると語っている。
大統領選で排外主義を標榜していたドナルド・トランプ大統領候補(当時)や、歴史修正主義を貫く安倍晋三首相、そして彼らを支持する人々のことである。
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□ 2017/4/2(日)、新作『騎士団長殺し』(新潮社)を発表した作家の村上氏のインタビュー。
喪失感に苛まれる主人公が暗い穴を抜け、遂に獲得する「人が人を信じる力」。
それは大震災から再起へ向かう東北の被災地を旅する中で、自(おの)ずと湧き上がった前向きな思いだった。
今の日本人のサイキ(精神性)を描くには、災害が齎(もたら)した大きな傷を、そこに重ねて行くことになるだろう。ジレンマを抱えながらも主人公は新しい家庭を作るだろう。
日本もバブルが弾けて阪神大震災、サリン事件が起き、景気が低迷し、東日本大震災、原発事故……。国家や経済のシステムはもっと洗練されると考えたが、そうはならなかった。それでも、善き物語は人にある種の力を与える。
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■■ 印象に残るキーセンテンス
■ 第1部「顕(あらわ)れるイデア編」(全512ページ)
p162
彼(免色)は一息置いて続けた。「・・・あなたがおっしやったように、それは『外圧と内圧によって結果的に生じた接面』として捉えるしかないものなのかもしれません」
p449
(騎士団長は)口を開いた。「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」
p451
騎士団長は表情を元に戻して続けた。「真実とはすなわち表象のことであり、表象とはすなわち真実のことだ。そこにある表象をそのままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。・・・」
p452
「・・・なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明されるべきものではない。吞み込まれるべきものだ」
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■ 第2部「遷(うつ)ろうメタファー編」(全544ページ)
p119~120
「つまりイデアにもエネルギー源はなくてはならない、ということですか。・・・」「そのとおり。宇宙の原則に例外はあらない。しかるにイデアの優位な点は、もともと姿かたちを持っておらないことだ。イデアは他者に認識されることによって初めてイデアとして成立し、それなりの形状を身につけもする。その形状はもちろん便宜的な借り物にすぎないわけだが」「つまり他者による認識のないところにイデアは存在し得ない」騎士団長は右手の人差し指を空中にあげ、片目をつぶった。「そこから諸君はどのように類推をおこなうかね?」私は類推をおこなった。少し時間はかかったが、騎士団長は我慢強く待っていた。「ぼくが思うに」と私は言った。「イデアは他者の認識そのものをエネルギー源として存在している」「そのとおり」と騎士団長は言った。そして何度か肯いた。「なかなかわかりがよろしい。イデアは他者による認識なしに存在し得ないものであり、同時に他者の認識をエネルギーとして存在するものであるのだ」「じゃあもしぼくが『騎士団長は存在しない』と思ってしまえば、あなたはもう存在しないわけだ」「理論的には」と騎士団長は言った。「しかしそれはあくまで理論上のことである。現実にはそれは現実的ではあらない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えのひとつであって、その考えを持っている限り、その何かもまた考えられているからだ。何かを考えるのをやめるためには、それをやめようと考えること自体をやめなくてはならない」
p122
「caveat emptor。カウェアト・エンフトル。ラテン語で『買い手責任』のことである。人の手に渡ったものがどのように使用されるか、それは売り手が関与することではあらないのだ。・・・」「E = mc2は原子爆弾を生み出したが、一方で良きものも数多く生み出しておるよ」
p141
「でもあなたには絵を描こうという意欲がある。それは生きる意欲と強く結びついているもののはずです」「でもぼくはその前に乗り越えるべきものをまだきちんと乗り越えていないのかもしれない。そういう気がするんです」「試練はいつか必ず訪れます」と免色は言った。「試練は人生の仕切り直しの好機なんです。きつければきついほど、それはあとになって役に立ちます」「負けて、心が挫けてしまわなければ」
p159
「つまり画材や技法による定義が曖昧になれば、あとに残るのはその精神性でしかない、ということになるのでしょうか?」「そういうことになるのかもしれません。しかし日本画の精神性となると、誰にもそれほど簡単に定義はできないはずです。日本画というものの成り立ちがそもそも折衷的なものですから」
p314
「彼(雨田具彦)は、自分が実際には成し遂げることができなかったことを、その絵の中でかたちを変えて、いわば偽装的に実現させた。本当には起こらなかったが、起こるべきであった出来事として」
p539~540
私は東北の町から町へと一人で移動しているあいだに、夢をつたって眠っているユズと交わったのだ。私は彼女の夢の中に忍び込み、その結果彼女は受胎し、九ケ月と少し後に子供を出産したのだ---私はそう考えることを好んだ。その子の父親はイデアとしての私であり、あるいはメタファーとしての私なのだ。騎士団長が私のもとを訪れたように、ドンナ・アンナが闇の中で私を導いたように、私はもうひとつ別の世界でユズを受胎させたのだ。
◇
■ その他の注目する箇所
□ 主人公は、合間に料理をし絵を描いて人妻とセックスをし酒を飲みオペラを聴く。村上氏の得意芸---性描写とスコッチウイスキー描写で溢れ返っている。
□ 高名な日本画家・雨田具彦は、「ナチス高官暗殺未遂事件」に関与し日本へ送還され、戦後に洋画家から日本画家に転向した。
この登場人物のモデルとなったのは、近藤浩一路(こういちろ、1884年3月20日~1962年4月27日)ではないか。
東京美術学校西洋画科を卒業後は文展に出品する傍ら、読売新聞社に入社して漫画や挿絵を描いた。朝日新聞記者であった岡本一平と双璧で「一平・浩一路時代」と呼ばれた。
珊瑚会に参加するようになり、洋画から日本画へ転向し院展で活躍をした。
1931年、個展開催のためパリへ渡る。小松清の助力を得て個展を開催し、美術批評家アンドレ・マルローと親交を結ぶ。
更に画技に磨きをかけて水墨画へ移行し、洋画・日本画・水墨画と次々に画風を模索した。
その結果、従来の水墨画では描かれていなかった木漏れ日や外光といった潤いを見事に表現することに成功した。
□ p286「・・・近衛文麿の別荘も、たしか山をいくつか隔てたところにあったはずです。・・・」
ここに登場する別荘とは、アバンギャルド戯画家・平賀敬(1936~2000年)が晩年過ごした住居。
明治後期に「萬翆楼福住」の別荘として建造され、井上馨・犬養毅・近衛文麿など明治の元老・重臣が逗留 ⇒ 小田原市入生田の山中に在った近衛文麿の別荘「缶南荘」⇒ 「平賀敬美術館」(神奈川県足柄下郡箱根町湯本613) ⇒ 2018年8月に廃業。
平賀敬は、30歳で渡欧しパリの影響を強く受けた。ピカソの画風に似た作品もあるし、娼婦がほとんどの画に出て来るのが特徴的だ。一度見たら脳裏に焼き付くような作風。