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今日は「小さな親切の日」。最近小さな親切なにかした?【ブログネタ】<更新>

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最近小さな親切なにかした?

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「小さな親切運動」がスタートした1963年の私は、高校1年生。


当時は、高度経済成長の真っ只中で、ベビーブーマーの我々高校生は、
他人を蹴落(けお)としても "いい大学に入ろう !  将来はいい会社に就職して幸せな家庭を築こう ! "と、受験戦争をまっしぐらに突っ走っていた。

 

そんな荒(すさ)んだ心に、「小さな親切運動」というモラール啓蒙運動の掛け声は明るい1本の蝋燭(ロウソク)の灯のように映った。

 


私は性格がいい方ではなかった(笑)が、機会があれば他人に親切にしてあげようという気持ちは持ち合わせていた。

 

 

それから8年後、社会人に成れてサラリーマン生活に入っても、


職場の朝礼などで「小さな親切」をネタにしたエピソードが消えることは無かったので、日本全体に風土として浸透していたのだろう。

 

 

*

 

 

お題 「最近、小さな親切 何かした?」

 

過去なら沢山した。人生経験が長い分。

◦ 電車で席を、車運転で道を譲った。

◦ 街頭で道案内したり、重い荷物を持ってあげたりした。

◦ 落とし物・忘れ物を無視しないで駅員や交番に届けた。

◦ 街頭の喫煙所で煙っていたら消したり水を掛けたりした。

◦ その他いろいろ

 

 

シルバーとなった最近したこと。

◦ 車運転を止めた。次の免許更新では返上すると決めた。

◦ 外国人観光客(浅草は多い)に道案内した。

◦ できるだけ電車では立つようにしている(声を掛けられないような立ち位置で)。

◦ マンションの内外付近で落ちているゴミを拾った。ゴミ置き場でマナーやルール違反を見つけたら直してあげる。

◦ 近所のバーのママ(話したことのない中年女性)が店先で泥酔して自転車で帰宅しようとして倒れたまま起き上がれないところを通り掛かったため、抱き上げてあげた(救急車を呼ぼうとしたところ逃げるように店内に戻った)。←もしかして要らぬお節介だった!?

 

 

*

 

 

以上にも拘わらず、

英文にも One good turn deserves another.(ひとつの善行はもうひとつの善行に値する=恩に報いるに恩をもってする)とか、 A kindness is never lost.(親切は無駄にならない)という慣用句がある一方で、


Your small kindness can be a big bother to other people.(小さな親切、大きなお世話(要らぬお節介、有難迷惑)という慣用句もあるように---

 

 

私が未だ若い頃の個人的経験においても、優先席(Courtesy Seat, Priority Seat)が "シルバーシート"名で登場した1970年代前半、私が新社会人と成って上京した頃のエピソード。


照れながら座席を譲ろうと決めたのに "もう直ぐ降りますから" とか言って断る年寄りに出遭い、傷付いたことが何度かあった。


それが事実の場合もあれば、そうではなく "失礼な! 私は未だ若いんだから" という素振りの場合もあった。


私のブログ 電車に乗ると---優先席、女性専用車両、そして痴漢(2011/12/14)

 

 

だから、シルバーと成ってしまった今、"年寄りに見られた"と少しガッカリしたとしても、一言 "ありがとうございます" と微笑んで受ける度量が必要だと思っている。

 

 


只、1つの問題は、若者の方でスマホやタブレットをゆっくり座ってゲームなどをやりたい一心の人が急増していること。

こういう内心を持っていると、浅ましい眼で空席を探す。

 


もう1つの問題は、今やメジャーになりつつある年寄り側にはもっと浅ましい人が多い。

電車に乗るや否や空席は当然、我々のモノと言わんばかりに漁(あさ)る。

 

生き長らえて尚、自己チュー人間にはなりたくないもの。


私のブログ 電車の優先席(2014/07/07)

 

 

*

 

 

改めて原点に立ち返って---


日本の慣用句に、「情けは人のためならず」がある。


他人に情けを掛けるのはその人のためになるばかりでなく、やがては巡り巡って自分に恩恵が返って来るのだから他人には誰にでも親切にせよ、という教え。


他人に情けを掛ける行為は、美しい道徳であり、人間社会を維持し発展させる上で大切な倫理。

 

その第一歩が「小さな親切」だった筈。

 


それを進めると、労働ならばボランティア、金銭ならば募金・寄付金。何時の日か巡って自分にもリターンがあるであろう。

 

しかし、その行為をする発露が、最初からリターンを期待しているとすれば、それはもう倫理に外れて来る。

この故事が求めている処は、無欲の行為であるに違いないから。


私のブログ 「情けは人のためならず」というヒューマニズム(2012/04/03)

 

 

 

 

【番外】

 

大東京のトップという模範を示すべき立場にある舛添知事は、下賤な自己チュー中年だった。

自分の身内だけのために、親を騙(だま)して小遣い銭を細々(こまごま)とした買い食い、漫画本漁(あさ)りに無駄遣いするが如く、

セコクテイジキタナク、都税の浪費に終始して来たのである。

 

逆ではないか!!

自分の資産や収入(例えば著作本の印税)の一部でも、恵まれない都民のために差し出すような "小さな親切心" の欠片(かけら)もないばかりか、

血税をまるでデタラメに詐取・横領しているのだ!!

 

折しも、都民税の納付請求書が届いている。

払いたくない!!

でも自動引き去りにしていたのだ!!

 

 

 


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