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3月6日は「弟の日」。故・畑田国男の「兄弟姉妹型」理論

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昨日3/5(木)夜の月は、月齢10.5 (月没02:31)


20200305--23:01


昨日の午前中は曇天だったが、午後は見違えるように雲が飛んで行ってしまう、北西の強い季節風(11.3m/s)だった。

 

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     気温℃      湿度%     風向 風速m/s  天気
    最高 最低   平均 最小          最大
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3/5(木) 13.7   6.1    54   18  北西  11.3    晴後快晴
3/4(水) 10.9   7.9     85   62  東       3.9   曇一時雨
3/3(火) 17.8  5.3     59    27  北西     6.7   晴後曇 
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 3月6日は「弟の日」


"兄弟姉妹型" 研究の提唱者で知られた漫画家・畑田国男氏 (※1) が1992年に制定した。
既に自身で、1991年に「妹の日」を9月6日として制定。1992年に「兄の日」を6月6日、「姉の日」を12月6日として制定していたことから、

最後の「弟の日」は3月6日を選んだものと思われる。

 


□ お題 「あなたは、男兄弟いる?いない?」

 

私には、姉妹弟の三人がいます。
他人(身外)からは似ていると見られても、身内からはよくぞ!こんなに違うものかと感心する程、人格に相違点があるものです。
 

 

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*
 

「姉の日」12月6日とは---
ヨーロッパでは聖ニコラウス(サンタクロース)にまつわる「三姉妹伝説」(※2) に由来し「サンタクロース・デー」(「St. Nicholas day」「Mikulas Day」) と呼ばれている。


(※2)
三姉妹伝説
昔昔、或る貧しい生活を送る三姉妹がいた。その貧しさの中で、長女の姉は妹たちの幸せのために自分の身を売ろうとしていた。それを知ったニコラウスは心を痛め何とかしようと真夜中に訪れて窓からこっそり金貨を中に投げ入れると、その金貨は暖炉の前に干してあった洗濯物の靴下の中に入った。そしい、金貨のお陰で長女は身売りをせずに済み、後に三姉妹とも無事に嫁入りすることができた。この物語に由来し、姉はしっかり者で控え目で気配りができ犠牲的精神を持つとされている。

12月6日には、赤い服をまとったニコラウスは、黒い服をまとった悪魔とともに各家庭を訪れ、その年一年間に、良い行いをして来た子どもにはニコラウスがご褒美の贈り物をくれるが、悪い行いをして来た子どもには悪魔がお尻を叩くなどのお仕置きをする。
それが日本に伝来し、12月24日のクリスマスイヴにサンタクロースから子どもたち皆にプレゼントが贈られることになった。


(※1)
□ 畑田国男 (1944年10月11日~96年3月11日、満51才没・享年53) 氏の略歴

岡山県生まれ、本名・畑田国雄。東急電鉄大井町線沿線の東京都目黒区緑が丘育ち。通学コースの東横線とその沿線駅前の街をこよなく愛した。

慶應義塾大学経済学部⇒大学院経済学専攻博士課程。在学中に漫画研究会に所属し鈴木義司に師事。
卒業後に大沢商会広告課を経て、漫画家・イラストレーターとして独立。イラストルポ等を得意とした。
漫画家としては主に「悪魔」をモチーフとしたイラスト・漫画作品を「SFアドベンチャー」「週刊ベースボール」などに出稿。
1973年に自費出版した「宇宙船ノア」で第2回日本漫画家協会賞大賞、第2回読売国際漫画大賞優秀賞、ペスカラ国際漫画大賞優秀賞をそれぞれ受賞。

雑学の著述家としては、「相性学」や「兄弟姉妹型」の研究についての書籍を十数冊も発行し、「姉妹型の会」世話人も務めた。
プロ野球・中日ドラゴンズのファンで、アンチ巨人としても知られ、1982年にアンチ巨人ファンの集まり「嫌巨会」を結成し、共著として「アンチ巨人読本」「アンチ巨人狂本」を刊行した。
その他、1992年に放送作家/エッセイスト/日本記念日協会代表理事の加瀬清志(長野県佐久市在住)氏と数字の3に拘る人間学で「日本三大協会」を設立し、「 "3"の秘密 日本人はなぜ数字の3が好きなのか」(PHP研究所1993)、「日本三大ブック」(講談社1993)⇒改題「雑学・日本なんでも三大ランキング」(講談社+α文庫1997)などを共著。「三角関係の超・心理」(毎日新聞社1994)などを出版した。

実家の別棟に家族(妻と娘2人)と住んで来たのだが、実家の2階に在る書斎で、1996年3月11日午前11:30にガス漏れ事故による急性心不全で急逝した。


*


□ 畑田氏の持論


長女==第1子==姉・兄型  ・・・厳しく躾られたため、しっかり者/生真面目/穏やか/保守的/社交的。下の妹弟の面倒を任せられることによって責任感を身につける生真面目な王様。

次女==第2子==中間子型  ・・・自由気ままに育てられたため、マイペース/気まぐれ/自由奔放/大らか/根気強い。上と下に挟まれ自分のアイデンティティを模索し続ける永遠の思春期。

三女==末っ子==妹・弟型 ・・・誰からも甘やかされたため、甘えん坊/要領が良い/明朗/人付き合いが良い/呑気。兄姉という前例を見ながら要領よく甘え上手に育つ強(したたか)かなアイドル。

また、一人っ子型は、親の愛を一身に受けひたすら天真爛漫に成長するマイペースな天才肌。

進路
 長子は、道を切り拓く
 末子は、楽な道を行く
 中間子は、道に迷う
 一人っ子は、我が道を行く

価値観
 長子は、やるべきことをやる
 末子は、やれそうなことをやる
 中間子は、みんながやらないことをやる
 一人っ子は、やりたいことだけやる

短所
 長子は、デリカシーがない
 末子は、ガッツがない
 中間子は、素直さがない
 一人っ子は、常識がない

決断
 長子は、よく考えて決断する
 末子は、人に決断してもらう
 中間子は、決断を先延ばしにする
 一人っ子は、よく考えずに決断する

ピンチ
 長子は、ピンチにもろい
 末子は、ピンチに見て見ぬふり
 中間子は、ピンチに張り切る
 一人っ子は、ピンチに気づかない

チャンス
 長子は、チャンスに気づかない
 末子は、チャンスに浮かれる
 中間子は、チャンスに尻込みする
 一人っ子は、チャンスをつくる

仕事・キャリア
 長子は、成長を求める
 末子は、ワークライフバランスを求める
 中間子は、人間関係を求める
 一人っ子は、やりがいを求める

チームワーク
 長子は、自分がやるべきだと思っている
 末子は、誰かがなんとかしてくれると思っている
 中間子は、誰かがやるべきだと思っている
 一人っ子は、自分のことだけやりたいと思っている

打ち合わせ・会議
 長子は、嫌われても言うべきことは言う
 末子は、おいしいところを持っていく
 中間子は、場の空気を優先する
 一人っ子は、全然違う話をする

注意・叱責
 長子は、「自分が悪かった」と反省する
 末子は、「自分のせいじゃない」と開き直る
 中間子は、「なんで自分だけ」といじける
 一人っ子は、「どうしよう…」とひたすらショックを受ける

褒賞
 長子は、「いえいえ、私なんてまだまだ」と謙遜する
 末子は、「やっぱり自分はすごい」と増長する
 中間子は、「裏があるのでは」深読みする
 一人っ子は、「......!」と動揺する

酒癖
 長子は、説教する
 末子は、無礼講になる
 中間子は、荒れる
 一人っ子は、一対一で話し込む

付き合い
 長子は、頼られたい
 末子は、甘えたい
 中間子は、八方美人
 一人っ子は、一方美人

金銭感覚
 長子は、人のためにお金を使いたい
 末子は、人のお金を使いたい
 中間子は、お金にシビア
 一人っ子は、お金に無頓着

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プロ野球界には兄型の選手も4割前後の割合で存在するが、兄型が大成するとしたら、自分のペースで攻撃を仕掛けて行くことができる投手がほとんど。野手として大成する確率は著しく低い。対して、弟型は投手、野手のどちらに進んでも大成する可能性がある。巧打者からスラッガーまで打者としてタイトルを取り名を成す人はほぼ弟型といっていい。

畑田氏は、中日ドラゴンズのファンで、筋金入りのアンチ巨人だった。その頃の巨人の4番バッターは原辰徳。チャンスでポップフライを繰り返し、ジャイアンツ史上最もチャンスに弱い4番バッターなどと言われていた。それに対し、当時の日本球界で最も恐れられていたバッターは落合博満。ほとんど同時期にプロとしてのキャリアを始めた2人。何が違っていたか? その1つが兄弟型だった。原は2人兄弟の長男で妹がいる。この妹が後の菅野智之の母親になる。原がチャンスに弱いのは長男だからで、長男の特徴である根っからの真面目人間であることが、何とか期待に応えなければというプレッシャーの余りに平凡なフライを打ち上げてしまう。それに対し落合は、7人兄弟の末っ子。末っ子は幼い頃から自分をアピールしなければいけないために目立ちたがり。この目立ちたがり精神が大歓声の中でアガルどころか実力以上の活躍をすることができる。

 

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